1. 一つの組織に我が身を捧げる人々
近年、政治や企業における相次ぐ不祥事が問題となっている。そして、そのたびに私たちは記者会見で国民に頭を下げる責任者の姿を目にする。さらに殺傷事件を起こす子供や若者、そして育児を放棄する親たちの無責任が問題となっている。こうした現象は総じて国民のモラルの低下という道徳的な側面から批判され、その中でも行き過ぎた個人主義の弊害であるという意見が実しやかに囁かれている。
だが、私にはむしろこうした現象は行き過ぎた平等主義の弊害であると考えられる。例えば、政治家や官僚の汚職、企業経営者の不祥事の背景にあるのはむしろ「こんなことは誰でもやっている」という横並び的な意識なのではあるまいか。実は最近の人々のマナーの低下の深層にあるのも自分一人が勝手なことをやりたいという意識ではなく、みんなもやっているから大丈夫だという悪い意味での平等意識である。往々にして自分一人でやることは勇気がいるし、社会的責任も伴うものである。
さらに、私がショックを受けるのは、そこに垣間見える恐ろしいまでの個人の欠如である。例えば、ある企業が汚染された米を新米に混ぜて売ってしまった事件がある。現場では上の命令でやったと主張し、上役は自分が考案したが実行したのは現場の人間だという。この両者に共通しているのは恐るべき自己責任の欠如である。指示した経営者もさることながら、人に害のある米を混ぜろと仕向けられ、それに逆らえないのが会社の社員というものなのであろうか。結局はどちらにしても自己の責任をあまり感じずにいられる。これではまるで戦前の軍隊における「無責任の体系」(丸山真男)という他ない。
確かに人は会社で働くことで成長することができる。だが同時に会社で働くことが人格を歪ませてしまう側面もある。人は組織の一員になると社会的にやって良いことと悪いことの区別に無感覚になってしまう。なぜなら組織の一員と言う意識が私個人の人格を見失わせてしまうからだ。単純にこうした問題の背景にあるのは、企業以外に自分を成長させられる場を持っていないことである。私の経験からも、そうしたタイプは人生の大部分の時間を仕事のみで終える人が多い。仕事に燃えるのは結構だが、会社に身を捧げ過ぎてそれ以外の自分を見出すことができないのである。もしくは組織を出ればただの人になるのが怖いのかもしれない。
2. タテ社会とヨコ社会の再検討
人類学者の中根千枝は『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』(講談社現代新書、一九六七年)の中で、日本をタテ社会と規定して欧米のヨコ社会と比較している。それらを要約して整理すると次のようになる。
(1)タテ社会(場・人間関係)――――村(ゲマインシャフト)
(2)ヨコ社会(契約・ルール)――――市民社会(ゲゼルシャフト)
中根はタテ社会では、集団内での極端な平等主義により結束が生まれ、その反面自分が所属する唯一の集団の内と外は対立関係にある。それに対し、ヨコ社会では幾つかの契約やルールを共有する者同士でネットワークが生まれ、個人が複数のサークルに同時に所属できる。その上で日本のタテ社会を「単一社会」と呼び、その特徴を人類学的に分析している。
しかし果たしてこれを日本社会だけの特徴と見なして済ますことができるのだろうか。むしろ私は、(1)のタテ社会こそ民主政治の特徴であり、(2)のヨコ社会こそ自由政治の特徴と見なすべきであると考える。自由政治は市民が同時に複数の集団に帰属することによって多様な自己を獲得している社会であるのに対して、アテネの民主制やアメリカのタウンシップを見ても明らかなように、民主政治は狭い共同体の中での成員間の平等(=相互扶助/互酬制)に基づいて営まれてきた。
したがって民主政はその起源から、ヨコ社会=市民社会=自由政治とは異質な原理に基づいている。だからもし、こうした民主政治によって狭い村を越えて国を統治しようとすれば、必然的に国民間の平等が基軸とならざるを得ない。すなわち近代の民主政治そのものが一国単位で単一社会を生み出していく仕組みなのである。これはナショナリズムの問題とも関わっている。
3. 近代化と民主化の流れ
そもそも近代化とは、中世の封建社会における国家から相対的に自立していた様々な諸集団を廃し、市民の帰属を国家へ一元化する過程であった。例えば、職人などの職業組合(ギルド)、自治都市や教会の勢力はその代表的なものである。なぜならば、社会における多様な利益集団・信仰集団の存在は、人々を国家の下で国民として組織するために、同質化=平等化するための妨げとなったからである。
こうして、身分秩序の中で異なった生活を送っていた諸階層が、すべて平等な存在として法的に認められることになった。いうなれば、所属している集団や共同体の違いによって様々な顔をもっていた市民を解体し、再び同質的な国民へと再構成するのである。この結果国家と国民は一体であるという表象が生まれ、いわゆる国民国家(ネーション・ステート)が完成する。
歴史的に、こうした近代化の過程は、民主化の運動によって推し進められた。諸個人を所属する集団や地域から引き剥がし、すべてを平等な国民として扱い、全国規模の議会を作った上で、自らの民意を反映させるべく普通選挙を実現させる。それによって、自分や彼らもまた同じ国民なのだという強烈な平等意識、すなわちナショナリズムが形成されてくる。その意味で、ナショナリズムとは民主化運動とその歩みを同じくする。こうして各々の郷土への愛着は、国家への愛国心(ナショナリズム)に置き換わる。かくして近代化の過程とは、国家の上からの政策と、国民の下からの民主化運動とが合流して完成するのである。
日本はこれを明治・大正期に、自由民権運動や大正デモクラシーによって経験する。ただし、日本の家父長主義や寄生地主制や日本的経営などの問題は戦前・戦後を通じて日本の近代化の遅れや不徹底からくると歴史家によって見なされてきた。前記の中根の研究もこの線上にある。そのため、日本はもっと近代化せねばならない、近代民主政治を根付かせねばならないと叫ばれてきた。
4. アジアと自由政治の欠如
しかし、これまで記述した近代化の過程を俯瞰するとき、日本は世界でもこれ以上にないほど近代化=民主化した国であるように見える。例えば、高度経済成長期には一億総中流ともいわれ、時には共産主義以上の平等な社会を実現したとまで評価されたからである。それならば、日本は封建的遺制を残しているというよりは、完全に払拭してしまったというべきなのではないか。しかしまた同時に、日本特有の「世間」という考え方や、集団意識の強さ、個人の欠如はなにゆえ散見されるのか。
それに対して、私は次のように考える。すなわち、自由民権運動の過程で、個人の「自由」に立脚した上での自由民権ではなく、逆に狭い村落共同体における「平等」という意識の延長戦上に自由民権という考え方を打ち立てたからではないか。その意味で自由主義の観点から見て、自由民権運動には二つの問題点があったと言える。第一に、上記の帰結として、徒党を組むだけでそこに個人がないこと。そして第二に、個人は何か主張すべきことがあるからこそ、言論の自由を求めるのに、日本ではむしろ自分自身の主張や意見もないのに、ただ言論の自由や参政権を要求したことである。
確かに、民主政治は共同体内の平等を実現する。しかしその裏側で自分たちに同調しない者を排除=差別する。それは同じ民族(えた・ひにん)である場合もあり、異人種(ユダヤ人・黒人)である場合もある。さらにこの民主政治の排外性はナショナリズムによって強化される。だから人々はこうした自分の帰属する唯一の共同体から切り離されることを極度に恐れるのである。いずれにせよこうした民主化=平等化の問題は、アジアなどの共同体が強い地域ではさらに深刻である。政治学者の石井知章は、アジアの民主政治について次のように述べている。
これに対して、ヨーロッパにおいて市民的な自由の対立物として扱われてきた専制概念は、中国では必ずしも無条件に自由の概念と対立するものと理解されてきたわけではなかった。というのも、もともと中国における個の概念とは、私=エゴイズムと密接に結び付けられてきたがゆえに一旦は否定されるべき対象であり、国家を私する皇帝の専制に対抗すべき民権とは、「個々の民の私権いわゆる市民的権利ではなく、国民ないし民族全体の公権」(溝口雄三)だったからである。したがって、例えば陳天華が反専制の向こう側に自由を求めたとしても、それはヨーロッパ的な「個人の自由」とは厳密に区別された総体の自由としての「民族の自由」に他ならなかった。つまり、「アジア的」なリベラル・デモクラシーとの関連でいえば、「進歩と専制」という座標軸の中でデスポティズムの問題が語られるとき、そこで優先的かつポジティブに評価されたのは、専制に対するデモクラシーであっても自由そのものではなかったのである。(第三章「東洋的専制主義の位相」/『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』、社会評論社、二〇〇八年、p.148)
このように石井は共同体の規制が強いアジアでは、「デモクラシー」(民主政治)は生まれても、「リベラリズム」(自由政治)は育ちにくいと述べている。その意味では、民主化はアジア社会と親和的であるとすら言えよう。そして彼の主張を敷衍すればアジアの民主政治と東洋的専制主義は必ずしも相互に排他的なものではないとを示唆しているようにも見える。なぜならこうした農村共同体を基盤とする限り、国家は民衆を保護する家父長的な守護者としてつねに立ち現れてくるからである。たとえそれが民主政治と呼ばれようともである。
5. 西欧と自由政治の衰退
だが同時に西欧先進国の民主政治の動向が懸念される。歴史的に、ナポレオン三世やヒットラーの台頭に見られるように、ファシズムは近代民主政治を基盤にしてこそ生まれるといえる。彼らは国民の眼に時代の不況や不安を一気に解消してくれる絶大な守護者として表象されるからである。こうして自由政治の理念が忘れ去られた近代民主政治の下では、政府はつねに人民の名のもとに、権力を拡大する。なぜなら経済にせよ教育にせよ、個人が解決できないなら国家権力が代わりに解決しようと言うことは一見もっともだからである。
確かにマルクスが指摘するように資本制経済や市民社会には様々な矛盾に満ちている。例えば、貧困格差・環境破壊そして戦争などである。そのため市民社会への批判は絶えない。だが、一度も市民社会が存在したことがない国でその衰退を叫ぶことは何を意味するだろうか。それは文明を放棄して野蛮へ向かう道であろう。それを乗り越えるのは過去に起こった出来事のように、多様な価値観を包含した市民社会や自由政治を放棄することであってはならない。互いの差異を認め合った個人の存在なき運動や政治はいかに崇高な理想からなされたものでも、専制下での平等=隷従へと至る。かつてファシズムやボルシェビズムに反対して自由主義や擁護したハイエクは述べている。
人びとを平等に取扱うことは自由な社会の条件であるのに対して、人びとを平等たらしめようとすることは、ド・トクヴィルが述べたように、「隷従の新しい形態」を意味する。(「真の個人主義と偽の個人主義」/『市場・知識・自由―自由主義の経済思想』、ミネルヴァ書房、一九八六年、p.19)
西洋の伝統の中で生まれ、ふたたび見直されるべきは民主政治ではなく、自由政治である。民主政治はアジアにも見出し得るが、自由政治は西欧にしか見出せない。自由政治の理念は、人間の複数性を認め、他者や異論を尊重することである。こうした市民社会の多様性こそが、ナショナリズムや世論に見られる一枚岩的な議論や政策に対する防波堤なのである。その上で絶えず次のことを思い出すべきだろう。「他人は欺く。ならば、自らの頭で考え行動せよ。最後は自分自身だけが頼りなのだ。」―これが自由政治の出発点だからである。そして、こうした自らを律することのできる諸個人が一人でも多く存在する市民社会の誕生こそが次なるリベラルな社会正義を実現していく段階に至るための前提条件なのである。