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Shota Maehara's Blog

Archive for 2008年7月

「蟹工船」と漂流する日本

Posted by Shota Maehara : 7月 3, 2008

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

・『蟹工船』ブームに沸く格差社会

日本列島に幽霊船が出没する―蟹工船という幽霊船である。

2008年日本はネットカフェ難民や秋葉原での連続殺傷事件が相次ぎ殺伐とした雰囲気に包まれている。そんな中で、80年前のプロレタリア作品が30万部という異例の売れ行きを見せているという。それは小林多喜二の代表作『蟹工船』である。

蟹工船は、オホーツク海で蟹を捕まえ缶詰めに加工する船のことである。そこで働く出稼ぎ労働者は、極寒の中で長時間の労働と、監督の執拗な虐待に怒り、人間的な待遇を求めて団結し、ストライキに踏み切る。その意味で極めて風刺的な架空小説であり、ヒューマニズムを色濃く漂わせる作品である。

この流行の背後には、つい最近まで中間層に属していた人々が次々に貧困層に落ちていく過程で生み出された不安がある。いわばこの「新貧困層」(ホッファー)は、失った暮らしへの憧憬と戻れない絶望から社会の不安定分子になりやすい。このまま事態を放置すれば、社会の同情を背景にして、大規模なテロや暴力事件が起こる可能性がある。

・「アフリカ的段階」について

最近、批評家の吉本隆明は「文藝春秋」(7月号)に「「蟹工船」と新貧困社会」と題した文章を寄稿している。彼はその中で、日雇いや派遣で働く若者の苦労に一定の共感を示す。その上で、敗戦後の混乱を生き抜いてきた世代として、本当の飢えを知っているのかと疑問を呈する。

だが一方で、彼は人々の連帯を取り戻すために、「アフリカ的段階」なるものを考え直すのがヒントになるのではと述べる。つまり、現代の西欧を中心とした資本主義的段階は、実はこれまで遅れていると思われていたアフリカやおそらく先住民の暮らしにこそ学ぶべきものがある。例えば、資本主義化の波の中でも、生き生きとした共同体が存続し、その結果「人間のモラルや宗教や家族の暮らしがまだ残っている」と指摘する。

確かに現代社会は、個人が孤立したために、他者の幸福への妬みと、他者の痛みへの無関心が満ちている一方で、誰しもがどこか癒しやつながりを求めている。事実、「同世代の若者に、労働者としての何らかの意識、闘争のための古典的な連帯はほとんど存在しない」という読者の嘆きがそれを裏書している。この閉塞感を打開するためには単なる批判ではなく、建設的な批判こそが求められている。

・「コモンズ」(共有財産)の概念

吉本の唱える「アフリカ的段階」なるものをもう少し学問的俎上に載せるなら、それは「コモンズ」(共有財産)の再評価と呼べるだろう。例えば、コモンズとはもともとは村の入会地や川などを指す。入会地は、村人が共同で管理し、そこから薪などを拾ってくることで、燃料に利用することができる。村人は寄り合いで、その資源を平等に配分するよう取り決める。

なぜこの「コモンズ」(共有財産)が重要なのか。なぜならコモンズを守り育てることで人は最低限の生活基盤を確保できるからである。歴史的に、資本主義化の過程とは、こうした地域共同体の共有財をケーキを切り分けるように私有化していく過程であった。その最たるものは土地である。この土地が売買の対象になった時はじめて資本主義が誕生する。マルクスは中世に共有地であった裏山から木材を採って罰せられた近代的裁判の模様を印象深く記している。

私はこの「コモンズ」の概念を拡張して、明確化し、それをデモクラシー(地方分権)の議論と接続すべきであると考える。まずコモンズとして産業化から保護すべきは次の三つの分野である。(1) 教育 (2) 医療 (3) 環境。私がこれらを選んだ理由は二つある。これらがどれも人間の生活の根幹領域であるという点。そして次にこれらがどれも企業の利潤活動に依存させられるべきでなく、やがてはその手を離れてゆくべきであるからだ。

例えば、介護が不足している場合、充実したサービスを提供する企業を求めるが、営利企業であるがゆえに一生介護に依存する人を生み出しかねない。むしろ重要なのは充実したサービスではなく、それがなくても生きられるようにすることである。国家にある程度の補助を受けるとしても、こうした各部門は、地域の事情に通じ、かつ専門的知識を持った市や町の行政やNGO・NPOによって運営されていくことが望ましい。

・次なる社会へ

では日本の次なる社会像はどのように描かれるべきであろうか。私は地域分権化が進み、究極的に小さい行政単位に日本が分割されて、これら教育、医療、環境が人々に無償で提供される社会こそが目指されるべきだと考える。実際、このような例は世界に少なからず存在する。その意味で、スイスやスウェーデンなどの社会民主主義国ばかりでなく、キューバなどの社会主義国が参考になるだろう。

最後に、こうした指摘に対しては多くの批判があり得るだろう。まず、税制をめぐる問題。とりわけ国家官僚の影響力をどうシャットアウトできるか。次に、コモンズである三つの分野の質を持続的に確保できるかという問題。そして何よりも根本的な問題として、人間の持つ攻撃性をいかに抑止しうるかという点は無視できない。なぜなら、人間や共同体の起源にはつねに略奪や征服がある。なかでも、他の共同体との間で紛争や対立は必然的に付き纏う。今後議論を深めていくためにはこれらのことを考えていく必要がある。

ただし詳述はできないが、あえて言えば暴力の発生を相互抑止するメカニズムはデモクラシーの原理のなかにあると確信している。

[付記]

このエッセイを書く上で、多くの先達の議論を参照させていただいた。「コモンズ」(共有財産)の概念には、哲学者のイヴァン・イリイチ、そして経済学者のE・F・シューマッハ、宇沢弘文の諸著作に多くを負っている。とりわけ宇沢弘文氏は「コモンズ」の概念に当たる「社会的共通資本」(Social Common Capital)という考えを提唱し、それを自然環境系、インフラ系、制度系に分類し精緻化させている。変わらぬ敬意と感謝を捧ぐ。

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 温故知新のすゝめ―ズレから見出される創造性

Posted by Shota Maehara : 7月 2, 2008

新しいアイディアは古い建物から生まれるが、新しい建物から新しいアイディアは生まれない。―ジェイン・ジェイコブス 

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