ミャンマーの最大都市・ヤンゴンでふたたび軍事政権によるデモへの武力弾圧が起こった。これは19年前のアウン・サン・スー・チー女史を中心とした学生による大規模な民主化闘争への弾圧以来の出来事である。ここからはグローバル経済の中で取り残されたミャンマーという国のみならず、先進国の21世紀の運動の方向を予示するデモクラシーの真の姿が浮かび上がってくる。
まずビルマの激動の戦後史を振り返ってみよう。1948年にアウン・サン将軍の下でビルマ連邦としてイギリスから独立する。しかし、1962年にはビルマ社会主義となり、軍による独裁が行われる。そして、1988年3月には、学生・市民らによる大規模な民主化要求が起こる。すると1988年9月18日、軍はクーデターを決行。1000人を超える多数の死傷者を出す。その後1989年、民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー女史は軟禁状態に置かれる。さらに1990年には国民選挙が行われ、スー・チー女史の「国民民主連盟」(NLD)が勝利したが、それを軍部は拒否。2003年には民政移管計画が作られたが軍はこれを骨抜きにしようとする。こうして今回2007年8月15日の燃料の大幅な値上げに反発して僧侶・市民による大規模な抗議運動が巻き起こった。
今回の一連の抗議運動の発端は、確かに民主化を要求する運動ではない。むしろより逼迫した生活の困窮から起こされた訴えである。彼らが掲げる軍に対する要求は基本的に次の三点である。第一に拘束された僧侶の釈放、第二に物価高騰への対策、そして第三に政治問題への対話による解決である。ただ、軍部の武力行使はこうした要求を受け容れないことの表明であり、そのため今後大きな国民運動に発展する可能性も出てきた。
こうした背景には、グローバリゼーションの下で、共産主義圏が崩壊し、東南アジアの独裁国家も自らの存続に危機感を募らせていることが挙げられる。国家の舵取りをする軍部は、経済的な豊かさを与えることに失敗し、そのことで逆に国民を力によって縛りつけるという悪循環をもたらしている。こうした軍部を、天然資源の確保という観点から、かつての宗主国ともいえる中国やロシア、そしてインドが支援している。かつての共産主義国は、その多くが市場経済に移行したが、いまだ国民国家の纏まりもつかぬままである。その一方で徹底的に国内の労働組合や民主化運動を弾圧し、他方で核を含めた武器開発によって国際的な発言権を強め、武器の輸出によって貴重な外貨を獲得することで辛くも生き延びようとしている。
こうした流れの中で、従来の学生を主体とした民主化運動を行うことは難しくなっている。そこで登場してきたのがミャンマーの歴史と伝統に深く根を下ろし、社会の一大勢力でもある仏教僧たちである。経済法則や国家の統制という合理的支配によって人々が苦しめられているとき、こうした「合理化」の力に対抗できるのは、宗教という近代においては「非合理」だと見なされてなかば忘れ去られていた権力であったことは象徴的である。
しかし、ミャンマーの仏教徒による抗議行動は、いわゆるイスラム原理主義によるテロ行為とは決定的に異なっている。それはイスラム原理主義が、イスラムの伝統にはないいわば新興宗教による暴走であるのに対して、ミャンマーの仏教徒は人々の生活に根ざし、一心に尊敬を集めている国民の精神的支柱であるということだ。それゆえ彼らの行動がテロではなく、非暴力的な民主化運動と結びついてくるのはある種必然であった。私は、ここにデモクラシーの過去と未来が交錯する瞬間を眼にする。
本来、デモクラシーは法律や制度に宿るのではない。それは政府と国民、そしてさまざな社会の「中間権力」が織成す三者間での絶妙なバランス感覚によって維持されていくものなのである。かつてトクヴィルは、アメリカに来た時、教会、裁判所、学校などのアメリカ人が営む地方自治の姿に感動し、そこにデモクラシーの未来を見た。それは自分の祖国フランスで、1789年の革命によって一掃されてしまった多様な「中間集団」が存在し、それが担い手となって中央集権国家の上からの画一化を阻んでいる封建制/地方分権の最も優れた特徴であった。アメリカでは一方で諸階層の驚くべき平等を達成し、他方で国家権力以外に「中間集団」による権力の分有・相互抑止が働いている。このバランス感覚にこそデモクラシーが存するのである。
先進国は、18世紀以来すべての人々を社会の束縛から解放し、フラット化=平等化しようとする啓蒙主義運動こそ民主化であると誤解してきた。そのため、国家と自分の家以外に帰属する先を持たず、社会というものを喪失してしまった。かつては、寺院や都市や組合やクラブやヤクザなど時に国家に鋭く拮抗しうる組織があった。現在はそのほとんどが国家に認可を受けたものだけがあるのみだ。こうして徹底的に個人が孤立化された社会において、人々は無力で、流動的であり国家の統制に唯々諾々と服すしかない。それでも日本と異なり、ヨーロッパにはキリスト教会という伝統が残り、国家の教育などへの関与を強く拒んでいる。
ミャンマーでは、確かに人々の生活に根ざした仏教の伝統が、一面では近代化を困難にしたかもしれない。しかし、21世紀の今日、全体主義化する国家に対する人々の抵抗の拠点が歴史的に受け継がれたことは彼らの民主化のための貴重な財産となるはずである。デモクラシーは、歴史という過去を必要とする。そこにデモクラシーの未来がある。ミャンマーの経験は我々にそうした過去を呼び起こすための手がかりを与えてくれているのだ。
※軍政による武力弾圧に巻き込まれて、ミャンマーのデモを取材していたAPF通信のジャーナリスト・長井健司さんがお亡くなりになられました。こころからご冥福をお祈りいたします。