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Shota Maehara's Blog

Archive for 2007年9月

ミャンマーの抗議運動が意味するもの―デモクラシーの過去と未来

Posted by Shota Maehara : 9月 28, 2007

leftミャンマーの最大都市・ヤンゴンでふたたび軍事政権によるデモへの武力弾圧が起こった。これは19年前のアウン・サン・スー・チー女史を中心とした学生による大規模な民主化闘争への弾圧以来の出来事である。ここからはグローバル経済の中で取り残されたミャンマーという国のみならず、先進国の21世紀の運動の方向を予示するデモクラシーの真の姿が浮かび上がってくる。

まずビルマの激動の戦後史を振り返ってみよう。1948年にアウン・サン将軍の下でビルマ連邦としてイギリスから独立する。しかし、1962年にはビルマ社会主義となり、軍による独裁が行われる。そして、1988年3月には、学生・市民らによる大規模な民主化要求が起こる。すると1988年9月18日、軍はクーデターを決行。1000人を超える多数の死傷者を出す。その後1989年、民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー女史は軟禁状態に置かれる。さらに1990年には国民選挙が行われ、スー・チー女史の「国民民主連盟」(NLD)が勝利したが、それを軍部は拒否。2003年には民政移管計画が作られたが軍はこれを骨抜きにしようとする。こうして今回2007年8月15日の燃料の大幅な値上げに反発して僧侶・市民による大規模な抗議運動が巻き起こった。

今回の一連の抗議運動の発端は、確かに民主化を要求する運動ではない。むしろより逼迫した生活の困窮から起こされた訴えである。彼らが掲げる軍に対する要求は基本的に次の三点である。第一に拘束された僧侶の釈放、第二に物価高騰への対策、そして第三に政治問題への対話による解決である。ただ、軍部の武力行使はこうした要求を受け容れないことの表明であり、そのため今後大きな国民運動に発展する可能性も出てきた。

こうした背景には、グローバリゼーションの下で、共産主義圏が崩壊し、東南アジアの独裁国家も自らの存続に危機感を募らせていることが挙げられる。国家の舵取りをする軍部は、経済的な豊かさを与えることに失敗し、そのことで逆に国民を力によって縛りつけるという悪循環をもたらしている。こうした軍部を、天然資源の確保という観点から、かつての宗主国ともいえる中国やロシア、そしてインドが支援している。かつての共産主義国は、その多くが市場経済に移行したが、いまだ国民国家の纏まりもつかぬままである。その一方で徹底的に国内の労働組合や民主化運動を弾圧し、他方で核を含めた武器開発によって国際的な発言権を強め、武器の輸出によって貴重な外貨を獲得することで辛くも生き延びようとしている。

こうした流れの中で、従来の学生を主体とした民主化運動を行うことは難しくなっている。そこで登場してきたのがミャンマーの歴史と伝統に深く根を下ろし、社会の一大勢力でもある仏教僧たちである。経済法則や国家の統制という合理的支配によって人々が苦しめられているとき、こうした「合理化」の力に対抗できるのは、宗教という近代においては「非合理」だと見なされてなかば忘れ去られていた権力であったことは象徴的である。

しかし、ミャンマーの仏教徒による抗議行動は、いわゆるイスラム原理主義によるテロ行為とは決定的に異なっている。それはイスラム原理主義が、イスラムの伝統にはないいわば新興宗教による暴走であるのに対して、ミャンマーの仏教徒は人々の生活に根ざし、一心に尊敬を集めている国民の精神的支柱であるということだ。それゆえ彼らの行動がテロではなく、非暴力的な民主化運動と結びついてくるのはある種必然であった。私は、ここにデモクラシーの過去と未来が交錯する瞬間を眼にする。

本来、デモクラシーは法律や制度に宿るのではない。それは政府と国民、そしてさまざな社会の「中間権力」が織成す三者間での絶妙なバランス感覚によって維持されていくものなのである。かつてトクヴィルは、アメリカに来た時、教会、裁判所、学校などのアメリカ人が営む地方自治の姿に感動し、そこにデモクラシーの未来を見た。それは自分の祖国フランスで、1789年の革命によって一掃されてしまった多様な「中間集団」が存在し、それが担い手となって中央集権国家の上からの画一化を阻んでいる封建制/地方分権の最も優れた特徴であった。アメリカでは一方で諸階層の驚くべき平等を達成し、他方で国家権力以外に「中間集団」による権力の分有・相互抑止が働いている。このバランス感覚にこそデモクラシーが存するのである。

先進国は、18世紀以来すべての人々を社会の束縛から解放し、フラット化=平等化しようとする啓蒙主義運動こそ民主化であると誤解してきた。そのため、国家と自分の家以外に帰属する先を持たず、社会というものを喪失してしまった。かつては、寺院や都市や組合やクラブやヤクザなど時に国家に鋭く拮抗しうる組織があった。現在はそのほとんどが国家に認可を受けたものだけがあるのみだ。こうして徹底的に個人が孤立化された社会において、人々は無力で、流動的であり国家の統制に唯々諾々と服すしかない。それでも日本と異なり、ヨーロッパにはキリスト教会という伝統が残り、国家の教育などへの関与を強く拒んでいる。

ミャンマーでは、確かに人々の生活に根ざした仏教の伝統が、一面では近代化を困難にしたかもしれない。しかし、21世紀の今日、全体主義化する国家に対する人々の抵抗の拠点が歴史的に受け継がれたことは彼らの民主化のための貴重な財産となるはずである。デモクラシーは、歴史という過去を必要とする。そこにデモクラシーの未来がある。ミャンマーの経験は我々にそうした過去を呼び起こすための手がかりを与えてくれているのだ。  

※軍政による武力弾圧に巻き込まれて、ミャンマーのデモを取材していたAPF通信のジャーナリスト・長井健司さんがお亡くなりになられました。こころからご冥福をお祈りいたします。

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 リーダーシップの確立不可欠/兵士も困窮 軍の力に衰え

Posted by Shota Maehara : 9月 28, 2007

1988年の民主化要求運動では学生が立ち上がり、5か月かかって市民が合流した。今回は軍政に対する19年間のうっ積した不満が燃料費の大幅値上げを機に爆発した形だが、これだけのスピードでデモが拡大したのは、やはり学生に代わって、男女や世代を問わず国民の尊敬の対象である僧侶が動いたためだ。

かつての学生運動が根絶された今、僧侶は、生活困窮の悩みを抱えた信徒と接する中で自分たちが立つしかないと感じたのだろう。軍政にとっても想定外の事態で、対応に苦慮した様子がうかがえる。

デモは、軍政への不満を示すことには成功しているが、今後はいかに具体的な要求を軍政に認めさせていくかが問われる。そのためには、リーダーシップの確立と交渉窓口の一元化が欠かせない。それがなければ、徹底した武力による封じ込めで再び多くの血が流され、冬の時代を再び招きかねない。

(読売新聞朝刊、2007年9月27日(土)、根本敬・上智大学外国語学部教授・ビルマ近現代史)

デモ参加者の多くは、軍政に対して意を決して臨んでいる。強硬策で彼らの行動を封じ込めることはできまい。

軍政も対応で割れている。トップのタン・シュエ上級大将による弾圧支持に対し、司令官らが従わなかったとの情報もある。兵士も軍政を支える公務員も一般大衆同様に困窮している。軍が国民の間に張り巡らせた情報網も完全ではなくなった。軍の力は衰えている。

今回のデモが総体として要求しているのは政治の平和的変革で、一部にある「軍政打倒」ではない。軍政との対話・交渉を通じた解決だ。軍を政治から排除することはできない。軍との対決を望んでいるのでない。

日本は経済的にミャンマーに影響力がある。軍政に政治・経済改革を促す努力をしてほしい。

(同上、在タイの反ミャンマー軍政組織「ビルマ連邦国民評議会」ソウ・アウン報道官)

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 ミャンマー 国際圧力で軍政に自制を迫れ(9月28日付・読売社説)

Posted by Shota Maehara : 9月 28, 2007

軍事政権下にあるミャンマーが深刻な事態に陥っている。

最大都市ヤンゴンなどで拡大した反政府デモに対し、軍政側は武力制圧に踏み切った。非暴力のデモを主導していた僧侶らに死者が出て、多数が連行された。

ミャンマーでは1988年にも民主化デモに軍が発砲し、1000人以上が犠牲となった。惨事を繰り返してはならない。軍政側の暴走を防ぐため、国際社会は結束して圧力を加える必要がある。

今回の政治危機は、軍政側が自ら招いたようなものだ。

ミャンマーはこの数年、物価高が続き国民は苦しい生活を強いられてきた。そこへ、軍政側は8月中旬、予告なしにガソリンなど燃料費を大幅に値上げし、国民の不満に火を付けた。

不満を代弁する形で決起したのが、托鉢(たくはつ)などを通じ国民の困窮を知る僧侶たちだ。当初、デモは値上げ撤回を求める穏健なものだった。だが、一部の地方で、治安部隊が僧侶に暴行を加えたことからデモは急拡大し、ヤンゴンでは10万人規模にまで膨らんだ。

抗議デモの要求の最大公約数は、民主化に向けた軍政との対話だが、若手僧侶層は軍政打倒を掲げるなど、政治色が強まっている。一部の僧侶は自宅軟禁下の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの自宅前まで行き面会した。

国民の精神的支柱である僧侶と民主化勢力が連携を強めれば、収拾不能の事態となりかねない――。そうした危機感から、軍事政権の指導部は、武力制圧に踏み切ったのだろう。

今回のデモ拡大の底流にあるのは、何より1988年のクーデター以後続く軍事独裁への不満だ。9月に終了した国民会議で、軍政側が示した新憲法の素案は、民政移管を骨抜きにする内容が目立ち、内外から強い批判を浴びた。

ミャンマーは敬虔(けいけん)な仏教徒が9割を占める。武力制圧を機に、約40万人の僧侶を擁する仏教界全体が反軍政に走れば、衝突が拡大しかねない。

そうした事態を防ぐため、国連安全保障理事会は、軍政に「自制」を求める声明を出した。米国と欧州連合は追加制裁を求める共同声明を発表した。

しかし、軍事政権と緊密な関係を保ってきた中国とロシアは、制裁はもちろん非難決議にも反対の姿勢だ。とりわけ最大の援助国として、軍事、経済の両面で軍事政権を支える中国を抜きにした国際圧力は、実効性に乏しい。

軍政、民主化勢力の双方と関係を維持してきた日本としても、事態収拾への貢献策を探るべきだ。

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2007年9月28日1時21分 読売新聞)

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現代社会において何が弱者のプライドを傷つけるのか

Posted by Shota Maehara : 9月 26, 2007

かつての中世の封建社会と近代の民主主義社会では、我々の抱く公平感などの道徳感覚にどのような変化が生じたといえるのでしょうか。

一方の封建社会は、もともと「身分制社会」でしたから、かくべつ社会の中に不公平感はない。まして支配する側から支配される側への「ノーブレス・オブリージュ」と呼ばれる高貴な者が果たすべき道徳的義務があった。他方いまの民主主義社会では、建前では平等をうたっている。ゆえに各自は基本的に自己努力で社会の階段を登らなければならない。しかし、ここに難しい問題がある。まずいくら機会の平等をうたっても社会は競争以前に経済力や家柄の差があるといわれる。これが権力者に道徳的義務の放棄を許すだけに終わるなら、最後には民衆にはエリート層へのルサンチマン(怨念)だけが残る。

次に、生まれ持った身分でなく、各自の能力によって格差ができた社会では、いっそう弱者はプライドを傷つけられ、ルサンチマンは幾何級数的に高まるということです。ましてや彼らに同情は禁物です。弱者に対する同情は何物にも変えがたい屈辱だからです。たとえば身体障害のある方が健常者に対して同情はしないで欲しいと仰います。そうでなく普通の人として自分を扱って欲しいと。これは自分たちの経験してきた人間関係に置き換えてもいえるでしょう。だからイギリスでも産業革命で貧窮した人を収容する救貧院などには誰も入りたがらず、今日でも再チャレンジ委員会は根本的に反発を買うだけでしょう。

では誰かに憐れみをかけないで救いの手を差し伸べることは不可能なのでしょうか。おそらく「愛」によってなら可能でしょう。私の好きな言葉に次のようなものがあります。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」(コロサイ 3:23)。結局人類は英知を傾けて、殺人や戦争へと向かわせる人間の攻撃性をいかに抑えるべきかをずっと考えてきたといえるのかもしれません。ただし、こうした宗教の言葉に敬意を抱きつつも、私はむしろカントやフロイトのように自己を啓蒙する「理性」の力によって徹底的に問い詰めていく道を選びたいと思っています。

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『大英帝国衰亡史』(中西輝政)を読む―「貴族の精神」と民主主義

Posted by Shota Maehara : 9月 26, 2007

大英帝国衰亡史

大英帝国衰亡史

1990年代に入って、グローバリゼーションが叫ばれるようになると、国家や国境にはもはや意味がなくなるという意見が人々の口にのぼり始めた。ただ、市場とは本来グローバルなものである。それを拒んでいたのは19世紀以来の国民国家の存在であった。2001年の9.11同時多発テロ以降、テロとの戦争という名目で、ふたたび国家を前面に押し出した西欧とイスラム文明の対立の構図が唱えられている。そこで、我々は国家の衰亡を文明史の中に置いてもう一度再検討してみる必要がある。

中西は、歴史家の立場から、国家の衰亡の要因を「外」ではなく「内」に求める。すなわち、「偉大な国家を滅ぼすものは、けっして外面的な要因ではない。それは何よりも人間の心のなか、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びるのである」(ジョバンニ・ボテロ)という視点を採る。言い換えれば、それは物質的な要因ではなく、精神的な要因によって滅ぶというわけである。

特に、大英帝国を伝統的に支えたかつての「貴族階級」(aristocracy)の衰退・消滅が最大の要因であると見る。彼らが帯びる「精神の貴族」とは、一言で言えば、「より遠い未来を見据えて、国家のためには、あえて「異端」に耐えつつ、一貫して強力に代替政策を訴えつづけるというエリートとしての精神的伝統」である。その際、彼が強調するのは、知のマニュファクチュアとでも呼べる政治家や知識人の親子・師弟間での語りえない経験や知恵の継承の重要性である。

ではこうしたイギリスの帝国を支える「貴族」は、一体なぜ衰退してしまったのだろうか。中西は歴史家として慎重な立場から明言を避けているが、おそらく次の二点の影響が大きいと思われる。

1.第1次世界大戦による50歳以下の貴族の男子の約20%の戦死

2.19世紀後半から20世紀初頭にかけての大衆社会の到来

第1の要因に加えて、第2の要因によって階級社会イギリスにおけるエリート階層への不満は増大する。その結果、生まれたのが政治のポピュリズムである。国民の間ではかつてのような貴族への尊敬が薄れ、むしろ、ボーア戦争賛否で分裂する世論を前に、新しい大衆向けパフォーマンスによってアピールしたロイド・ジョージやチャーチルのような20世紀型政治家が首相となる。

だが、皮肉にもこのチャーチルこそが大英帝国を終わらせたのである。つまり勝利のためなら財政が破綻することも厭わない無謀な戦争遂行によってイギリスは戦後債務超過に陥り、アメリカに覇権を譲り渡すことを余儀なくされる。こうして見るとまさしく大英帝国の衰亡の歴史は、貴族のバランス感覚の喪失と期を一にしていたかのようである。

このように本書の意義は、国家の盛衰における、とりわけイギリスにおける、伝統的な指導階級・エリートの不可欠な役割を歴史的に浮かび上がらせたことにある。そしてまた、この自国の歴史や伝統を重んじる態度が、社会のバランスをとるための錘(おもり)になる反面、いざ改革が必要なときに既得権益を守る抵抗勢力にもなるという歴史のジレンマを正しく指摘し得たことにあると言えるだろう。

しかし、あえて私は氏の言説が語られる「ポジション」に疑問を呈したい。なぜなら、たんに国家の指導階級における貴族的なエートスを称揚するだけなら、それは通俗的な保守主義に堕してしまうのではないだろうか。たとえ同じことを主張したとしても、ポジションを移動することで言説はその意味を大きく変える。つまり、保守やエリート主義の立場から貴族やその精神を称揚するのではなく、むしろ民主主義社会のバランサー(調節者)としての「貴族」を見出すべきだったのだ。

だからそれは本来機能さえ同じであれば貴族であってもなくても構わない。もともとイギリスに比べて階級差が弱く、表面上は平等を建前としている日本の文脈ではかえってそのほうが好ましくもあるだろう。たとえば戦後民主主義の代表である丸山真男は、こうした絶妙なバランス感覚によって、明治の非政治的な自発的結社である明六社の中にこの貴族的機能を果たす「中間権力」の可能性を見出している。

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ポストモダン大衆論

Posted by Shota Maehara : 9月 22, 2007

私は、以前から「個人主義」がなぜ日本に根付かないのか、一般化しないのかに関心を持ってきた。確かに日本でも明治初期、夏目漱石、内村鑑三、岡倉天心、福沢諭吉、中江兆民、そして新渡戸稲造など個人主義が花開いた稀な時期があった。彼らを特徴付けるのは、封建と近代の二つの時期を生き、漢語と外国語の教養を持つがゆえに、両者の長所と短所を隈なく知りつつ「国家」や「文明」をグローバルな視点から批判できたという点にある。だが彼らもついに当時の日本社会に受け容れられることはなかった。

例えば日本論の嚆矢といえるルース・ベネディクト『菊と刀』は、欧米の個人主義を「罪の文化」と規定し、対して日本の集団主義を「恥の文化」と規定している。それは彼女の表現では、あまりに状況的、リースマンの表現では「他人指向型」であるといえる。つまり、「恥の文化」とは、評価軸が常に自分の外側の他人や世間にどう思われているかが重要であることを意味する。だから悪くすれば、「旅の恥は掻き捨て」などといわれるように、世間の目が届かない外国でなら何をしても構わないということにもなり得る。

さらに、イギリスやアメリカやインドなど伝統的に「個人主義」が強い国でも、いわゆる高度消費文化の高まりとともに「他人指向型」の大衆の存在が目立つようになってきている。それゆえに、同様に消費社会が成熟した日本では、二重の意味で、「大衆」の存在が政治・経済・文化にどのような影響を与えるかを吟味していかなくてはならない。

ここでまず大衆社会の変遷を簡単に、振り返ってみよう。歴史的に、大衆化には三つの波があった。

1.大正期(1912)~1930年代まで      <旧モダン大衆>

2.第二次大戦後、特に1950~1960年代  <新モダン大衆>

3.1980年代以降(特に石油ショック以後)  <ポストモダン大衆>

ここで最初に注目すべきは、「大衆」がいずれも景気循環の経済的繁栄期に台頭してきているという事実だ。ただし経済的繁栄期に現れる大衆は、社会を安定化させるよりもむしろ不安定化させる。なぜなら、資本制経済において、経済は好況と不況を繰り返すことが運命付けられている。したがって、この時期経済的に満足感を得た多くの層も、次の不況の局面に社会が入ると耐え難い痛みを経験せざるを得ない。こうしてその多くが体制に対する不満層に変わってしまう。

1930年代に世界恐慌や金融恐慌に直面すると、日本でも農村の貧困を病巣にした天皇制軍国主義が台頭し、ドイツでも小商店主や教師たちミドルクラスの生活が窮乏しファシズムに帰結した。1960年代は、比較的恵まれていたが、アメリカのベトナム戦争の泥沼化と、アメリカを中心とする世界金融・経済不安が重なって、1968年には世界規模の学生運動が起こった。

さらに1980年代には、石油危機や変動相場制への移行を境として、世界的な不況に入った。産業構造に急激な転換を各国が迫られることとなった。特に1985年の日米のプラザ合意以降は、日本はこれまでのような円安での輸出が難しくなり、省エネ、ME化、海外へ工場の移転などの対策を行った。いずれも製品のコストを引き下げるためである。こうした過程で、日本の産業界は、バブル崩壊もあって、金融の自由化や大幅なリストラを余儀なくされていく。いわゆる終身雇用制の崩壊である。

だが、この時期に大規模なデモや運動は日本では影を潜めてしまう。私は冒頭に述べた日本の二重の意味での個人主義化を阻む力がこの時期、新たな装いで顕在化したと考えている。ではそこで何が決定的に変わったのか。それは、「ポストモダン」と呼ばれる現象である。現象としてのポストモダンは、デモや運動によって国家や資本を批判するよりも、資本主義(それを支える国家)がもたらす経済的繁栄こそが人々を解放すると信じられ始めたことだ。そこには旧共産主義圏への幻滅があり、資本主義のほうがまだましだと考えるニヒリズムが横たわっている。リオタールはこれを近代を特徴付けた「大きな物語」の終焉と名付けた。

今日「失われた10年」と呼ばれる長期的な不況を経験し、社会の流れは急速に右傾化し始めた。こうした世論や政治家を支えているのは格差社会で痛手をこうむった若い世代に見られるルサンチマン(怨念)である。私は、彼らのことを仮に「ポストモダン大衆」と呼ぶ。これはインターネットの掲示板などでの匿名投稿に示される様に、情報の発信や交換でなく、世間話や野次馬的な関心に向かう、ニーチェやハイデガーが嘆く堕落した「畜群」のような存在である。それはまるで夢のように無数の声がささやきつづける空間である。

こうした状況は、民主主義にとってきわめて危険であり、「多数者の専制」(無政府状態)や「独裁者の専制」(独裁)に対する何の保証もいまの社会には欠けている。このような時代には、逆に社会の動向に敏感になりすぎず、少数派の意見を守るための防波堤として「中間権力」(トクヴィル)を我々は必要としている。

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「啓蒙の弁証法」(アドルノ/ホルクハイマー)―理性と国家

Posted by Shota Maehara : 9月 21, 2007

pt-adorno■近代の二つの流れ―理性と国家の支配

A.理性→×歴史→合理性(論理)

B.国家→×社会→超国家(官僚)

かつてフランクフルト学派のアドルノとホルクハイマーは、『啓蒙の弁証法』という書物を著した。「理性」(合理性/論理)は基本的に人間の複数性(差異)というものを認めない。そのため近代は、過去の伝統や歴史を批判して社会生活や価値観を画一化=フラット化していく合理化の過程であると述べている。彼らは、その原動力を資本主義経済の合理性に見出し、そのもとで生まれた大衆社会を批判することを自らの哲学的使命としてきた。

だが、もう一人の同時代のユダヤ人哲学者ハンナ・アレントは、人間の複数性を抑圧するのは、たんに資本制経済を支える合理性ではなく、なにより「国家」(官僚)による合理的支配であることを見抜いていた。理性と同様に、いや理性によって国家もまた社会を自らのイメージに沿ってデザイン(設計)できると考えている。その意味で官僚は無知な民衆を指導する教師の立場から政策を立案・計画しているのだ。

それゆえ国家官僚は人間が織り成す社会の予測不可能性や多様性を許すことができず、その結果、大衆から思考力を奪い帰属する集団や組織を奪って安全の名の下に管理しようとする。すでに1960年代のアメリカで、アレントはこうした市民生活の場としての公的領域の腐食を極めて敏感に感じ取っていた。さらに、彼女の論が何より不気味なのは、人間の中にある思考を放棄してしまいたいという欲望こそがそうした国家の管理を招きよせていると考えているからなのである。

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東洋的専制と民主主義の起源―モンテスキューについて

Posted by Shota Maehara : 9月 21, 2007

18世紀フランスの啓蒙思想家・モンテスキューは、民主主義の理論家として知られている。それは彼が『法の精神』の中で、アジアの政治体制を特徴付けるいわゆる「東洋的専制主義」(オリエンタル・デスポティズム)をはじめて政治学の俎上に載せ、それを通して「専制」という統治形態を激しく糾弾したからである。

しかし、そこで見逃されてはならないのは、彼がそのとき対岸の火事としてアジアの「専制」を批判していた訳ではないということである。いままさにそれを模倣するかのようにして専制的かつ中央集権的な官僚国家を作り上げつつあるフランスの絶対王政に対していかに対抗すべきかを模索していたからである。

絶対王政は、プラトンからデカルトに至る理性を持った哲学者=王が国を統治する理想の実現であった。事実、プラトンはまさにエジプトの専制官僚国家を羨望し、それをギリシャでも模倣したいと望んでいたのである。近代に入って啓蒙的理性はこの実現に手を貸し、人々を様々な血縁や地縁やギルドといった所属から剥ぎ取り、自由を与えながらも、それを国家のもとにまとめていく重要な役割を果たした。

こうした状況の中で、皮肉にも遠いアジア的専制国家がヨーロッパの啓蒙主義に支えられた近代国家の姿に重なっていく。モンテスキューはまさしくこうした二つの流れを見据えて、『法の精神」を書き上げたのである。アジアの問題は西欧の問題でもあることを知らしめ、警鐘を鳴らすために。M.ヴェーバーが『支配と権力』の中で明らかにしたように、依然今日においても啓蒙主義による「理性」の支配権の確立と、「国家」(官僚)による支配権の確立とは歩を一にして進んでいる。

身分制度や職能団体などあらゆる属性が剥ぎ取られ、孤立化され、平等化された社会にはいつの時代にも専制にとって最も都合の良い環境である。なぜなら原子化した抽象的な個人は、流されやすく容易に一つにまとめられてしまうからである。それはアジアであれヨーロッパであれ変わりはない。

これを防ぐためにモンテスキューは当時の貴族的諸制度の中に国家と大衆の間を緩衝する「中間権力」の存在を見出した。これによって、権力者の動きをコントロールし、バランスを社会の中に取り戻すべきであると考えた。そして、ここから司法権(当時の高等法院)の独立に重きを置いたかの有名な「三権分立」の思想が生み出されることとなるのである。

モンテスキューが成し遂げようとしたことはその後見失われたが、いままたカントとともに彼の残したメッセージは二一世紀に甦ろうとしている。それはアジアやイスラムやヨーロッパという多系的な文明間の相互作用として世界史を捉えなおすことである。そしてすべての統治体制に潜む穴、すなわち「専制」への転落を防ぐためにあらたに「歴史」(=権力分立)という錘(おもり)を政治に再導入することである。その上で彼は世界をあたかも一つの共和国として愛し、平等を希求する永遠の啓蒙運動への道が可能であると説くのである。

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頭脳集団の形成

Posted by Shota Maehara : 9月 20, 2007

ドイツ参謀本部―その栄光と終焉

ドイツ参謀本部―その栄光と終焉

渡辺昇一著『ドイツ参謀本部』は、ドイツの軍事史という特異なテーマを用いて、近代に生まれた巨大組織とそれを支える頭脳集団の生成と崩壊の過程を見事に描き出している。それはまさに組織は非凡な個人に勝つために生み出された凡人の集団であるとのドラッカーの主張を裏書するかのようであり、同時にまたその崩壊の罠にも十分な目配りがなされている。

ヨーロッパに傭兵から国民皆兵時代の到来を告げたのは紛れもなくフランスの天才ナポレオンであった。しかし、その彼がモルトケ率いるドイツ参謀本部の人材育成と組織力の前にあえなく敗れていく場面は圧巻である。ナポレオンは、国民皆兵という大規模な軍隊の力に気づきながら、その力をコントロールするスタッフを持たなかった。

それに対してドイツ参謀本部は、強大な国民軍を幾つかの師団に分け、それぞれに指揮官と参謀を配し、統制と規律を組織の末端まで浸透させることに成功した。これこそが普仏戦争の勝敗を分けるカギとなったとされる。加えて第一次大戦までのドイツの強さのカギは、軍事もさることながら、鉄血宰相ビスマルクの外交手腕にもあった。自然の要害のないドイツが戦争で勝利するためには二正面での戦いを回避することが戦略上不可欠である。このことを知り抜いていたモルトケ参謀総長は、ビスマルクの巧みな外交を尊重し、利用する。この両輪があいまってこそ歴史上はじめてドイツに統一帝国を誕生させることができた。

しかし、この鉄壁に見えたドイツ参謀本部もやがてほころびを見せ始める。その最大の要因は、ビスマルク亡き後政治的リーダーが輩出しなかった一方で、政治のみならずドイツ陸軍内でも指揮官を差し置いて参謀の力が肥大化していく背景だ。このバランスの喪失は、今日でもなお組織において強いリーダーシップとスタッフ育成のバランスがいかに強い組織の要諦であるかということを示している。

そして単純であるがゆえに忘れられがちだが、軍事参謀であれ企業参謀であれ、参謀と名のつく限りは「無名性」を旨としなければならない。なぜなら注目し研究され尽くした時、参謀は参謀でなくなるからである。人間や組織にとって花盛りの季節こそ、終わりが忍び寄っているといえるのかもしれない。組織や人は成功の後でこそ自らを改革することを運命づけられているかのようである。本書はこうした歴史の教訓を印したモニュメントとしてこれからも紐解かれていくだろう。

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 企業組織の誕生

Posted by Shota Maehara : 9月 20, 2007

ドラッカー名著集1 経営者の条件

ドラッカー名著集1 経営者の条件

ここ最近日本でも大企業からベンチャーへの優秀な人材の移動が目立つ。終身雇用制が崩壊したいま、より経験の積める場を求めて労働の流動性が高まったことは、歓迎すべきだろう。しかし、今回改めてドラッカーの名著『経営者の条件』(The Effective Executive)を再読してみて考えさせられることが多々あった。

本書は、現代の知識社会において、あらゆるビジネスパーソンがエグゼクティヴとしていかに成果を上げるかを眼目として書かれている。政府、企業、学校、病院、NGOを問わず、成果を上げる能力は必ず修得できるとドラッカーは述べている。

目次:

序章 成果をあげるには

第1章 成果をあげる能力は修得できる

第2章 汝の時間を知れ

第3章 どのような貢献ができるか

第4章 人の強みを生かす

第5章 最も重要なことに集中せよ

第6章 意思決定とは何か

第7章 成果をあげる意思決定とは

終章 成果をあげる能力を修得せよ

そもそもドラッカーの経営論の核心は“Manage yourself”(自分自身をマネジメントせよ)である。だが実際働いてみると、企業組織とは部下や同僚や上司とのやり取りを巧く舵取りできるかが大きな比重を占めてくる。本書を読むと成果をあげるとはあくまで組織の中で成果をあげることだと強調していることに今一度気づかされる。

特に第4章「人の強みを生かす」は、そのエッセンスであり、この観点からもっとも読み応えのある箇所だ。なぜ私たちの活動にとって「組織」は必要なのだろうか。それは、天才でなく、平凡な人間が自らの強みを持ち寄り、弱みを中和させ、これにより非凡な成果をあげるためだと彼は言う。そこで重要なのは「人」に合わせて「仕事」を決めるのではなく、「仕事」に合わせて「人」を決めることとその術である。その語り口はつねにシンプルかつ適切だ。

ドラッカーは一昔と違い、肉体労働ではなく知識を基盤とする社会は組織の社会であると述べている。だが、私が興味深く感じたのは、彼が人間とは本来組織に適合するように神によって作られてはいないと考えているふしがあることだ。つまり近代に作られた人間にとって不自然で、人工的な構築物をいかにコントロールすべきかを彼は問うているのである。

近代社会は、政府であれ、大企業であれ、組織の複雑化によって官僚機構を抱え込まざるを得ない。今日、これによって組織が硬直化したために、ベンチャーへの志向が高まっている。しかし、時代が変わったからといって、我々は近代の刻印たる組織の論理からたやすく逃れることができるのだろうか。

近年の、新旧の組織によって、トップの強引かつ無責任な経営を問われる事態が相次いでいる。これは時代が変化しても、我々はいまだ組織の中で存在し、ここで成果をあげるざるを得ないことの証左ではないだろうか。その意味で次世代の企業や市民運動のリーダーに今改めて紐解いて欲しい一冊である。

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