I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

Archive for 2008年12月

信仰の騎士

Posted by Shota Maehara : 12月 31, 2008

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古えの土地に降り立った私は、
        何か奇妙な考えに取りつかれていた

進むべきか進まざるべきか、
        その答えは容易に探り当てられそうにない

行き交う人々の顔は異様に白く、
        かつて出会った死人を思い出させた

ちょうどその時、地面に平伏する一人の老人を見た
           彼は全身を大地に擦り付けるようにして、

小さく祈りの言葉を口にしていた
        老人の目の前には神があり、
               そして一切が許されていた

 

(2003.7.9 秋月誠仁)

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隣人愛のすゝめ―地域の共生を超えて

Posted by Shota Maehara : 12月 27, 2008

現代日本では、社会の紐帯が失われ、格差が広がり、犯罪が頻発したために、地域再生、共生、絆を大切にしようという意見や取組みを目にすることが多い。他人に対する思いやりやコミュニケーションが希薄になったことが現代社会の危機の原因である。ゆえに、我々は他者に対する共感を取り戻さねばならないと。このメディア受けしそうな意見は結局身の周りの人から大事にしましょうという隣人愛の現代版に他ならない。

しかし、隣人愛とは何なのであろうか。また、そもそも隣人とは一体誰を指す言葉なのであろうか。私たちは改めてこの問いに立ち止まってみなければならない。イエスが隣人愛を説いた時、それは身の回りの家族や友人を大切にしようという道徳を否定するものであった。それは、自分の狭い範囲の知人への思いやりが、かえって本当に意味で苦しんでいる他者への共感を妨げることにもなりかねないからである。例えば、他国で飛行機が墜落したとき、乗客に日本人客は含まれていなかったという放送にこの事実が象徴的に表れている。

ルカ福音書には、隣人愛をめぐって宗教を説くイエスと道徳に終始する律法学者との興味深い対話がある。そこで隣人を自分自身のように愛しなさいという教えを受けて、「では、私の隣人とは誰ですか」と律法学者はイエスに尋ねる。するとイエスは善きサマリア人の話を例にとって示される。エルサレムからエリコへ下って行く途中、追剥にあって道端に倒れている人がいた。司祭やレビ人が通りかかったが彼らは見て見ぬふりをして行ってしまった。やがて旅の途中であったサマリア人がその人を見て憐れに思い、近寄って傷の手当をし、ロバの背に乗せて宿屋まで連れて行く。そして主人に彼を介抱してくれるように銀貨二枚を置いていった。

かくして「この三人の中で、誰が追剥に襲われた人の隣人になったと思うか」とイエスは問いかける。すると律法学者は「その人を助けた人です」と答える。イエスは「あなたも行って同じようにしなさい」と仰られる。ここに示されている教訓は、隣人愛とは隣人だから愛するのではなく、愛することによって隣人になるという逆説なのだ。それは狭い共感の共同体や村意識を越えて、グローバルなものになり得る。ここに道徳と宗教の明確な違いが存するのである。

二一世紀に入って、日本は経済のグローバル化に伴って外国人労働者や移住者を多く受け入れる時代になる。その時地域主義や共同体の道徳の再建だけで果たしてやれるだろうか。むしろ地域主義の行き過ぎは、地域の格差を助長し、ナショナルな問題への没関心を引き起こし、狭い村意識から生じる新たな差別を生み出しかねない。我々は決して偏狭な共同体論やナショナリズムへ逆戻りしてはならない。それを防ぐためにも今後多様化する価値観の世の中で、普遍的に通用する隣人愛をいまこそ我々は見出す必要があるのではないだろうか。

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権力について

Posted by Shota Maehara : 12月 23, 2008

権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。/Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely. ―アクトン卿(Lord Acton, Letter to Bishop Mandell Creighton, 1887)

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戦争の記憶

Posted by Shota Maehara : 12月 21, 2008

戦いを記憶せよ、繰り返さないために。―ヨブ記40:32

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W.バジョット 『イギリス憲政論』(1867年)

Posted by Shota Maehara : 12月 20, 2008

bagehotwalter8289本書以前のイギリス憲政構造のイギリス人自身の解釈は、十八世紀にフランス人モンテスキュウがその 『法の精神』 第十一篇第六章で指摘した権力分立観でした。

十九世紀半ばに表わされた本書は、この分立観を否定し、Crown in Parliament に主権を認めるイギリス憲政の現実運営は、議会と行政機構とをハイフンのように結合する内閣主導による次第を剔示しました。

国王の憲政行動が、名目上はともかく、じっさいには政治家との関係で、国王に立派な分別があるならばもっぱら「相談ヲウケ・激励シ・警告スル」三点にかぎられてきている、との定式化も現実を先取りしつつもバジョット・テーゼとして、今日にいたるまでイギリス政治分析の手引きとされています。

さらに本書は、このように内閣を媒介に結合する立法権力と行政権力とが、王冠の権威と複合し、権力自身もまた権威化しつつ<尊厳的部分>と<実践的部分>との分業と協業との幾重もの重層構造をなす「支配の秘密」を白日の下にあばきだした点でも著名です。

本書が想定した大衆がたしかに王冠に眩惑される善男善女であったとはいえ、マスメディアが発達し・教育が普及した今日の大衆も、やはり権威への自発的同調と需要とを示します。

今年創刊百五十二周年を迎える 『エコノミスト』 誌の二代目の編集長でもあった著者には別にイングランド銀行を中心とする英國金融秩序を考察した 『ロンバード街』 があり、その結論は、理論的にみれば拙劣な制度でも、すでにさまざまな事情の輻輳の結果として一定機能をそれなりに有効にはたしている以上、根本的改革よりは、適宜、弥縫しつつ改良するのがよし、とするものでした。

おそらく、政治制度についても、「狂気のソクラテス達」(E .バーク 『フランス革命の省察』Reflections on the Revolution in France)の企図する設計図にもとづく改造よりは、歴史的現実の累積にもとづいて現在このようになった作動体系の中に、改良しつつ運用するのに足りるものを発見するのが、著者の姿勢といえましょう。

(引用元:前田康博 千葉大学法経学部)

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無知の知について

Posted by Shota Maehara : 12月 19, 2008

知識は人を温和にする。無知は人を傲慢にする。

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キリスト教の根源―ヨブ記論

Posted by Shota Maehara : 12月 15, 2008

もし、キリスト教とは何か、宗教とは何かと問い尋ねる人があれば、旧約聖書のヨブ記を紐解くべきである。ヨブ記は神学的、哲学的、文学的に様々な論点を含んでいる作品であるが、中心となるモティーフは一貫している。すなわち、「神がいるならば、なぜ正しい人が苦しまねばならないのか」という神義論の問いである。

ヨブはウツと呼ばれる地に住む敬虔な信者で、子宝や財産に恵まれ幸せに暮らしていた。ところがある日、神のもとに現れたサタンが、彼からすべてを取り去ってしまえば信仰も消えうせるだろうと唆(そそのか)した。神はヨブの信仰を試すために命を取らないことを条件にそれを許した。サタンによって、ヨブはすべての子供たちと家畜を失ってしまうが、神に対する忠誠を曲げなかった。だが、ふたたびサタンは神の許しを得て、ヨブの体中を悪性の腫瘍によって苦しめた。そしてついにヨブは灰の中から立ち上がり神への呪詛を口にするのだった。

私の生まれた日は滅びうせよ。
「男の子が胎に宿った。」と言ったその夜も。
その日はやみになれ。
神もその日を顧みるな。
光もその上を照らすな。
.…
なぜ、苦しむ者に光が与えられ、
心の痛んだ者にいのちが与えられるのだろう。
死を待ち望んでも、死は来ない。

私には安らぎもなく、
休みもなく、いこいもなく、
心はかき乱されている。※1

この光景に愕然としたヨブの三人の友人たちは次々に反論する。良い行いをすれば神に祝福され、何らかの原因があるからこそ罰せられる。こうした因果応報の考えに基づき、エリファズはヨブが神の教えに背くようなことをしでかしたのではないかと責め立てる。それなのに、神への呪詛を口にするとは何たることだと。神は完全で、人間は不完全なのだから、自らの過ちを悔い改めるべきであると主張するのだった。その友人の一人エリファズの弁論を引用しよう。


さあ思い出せ。
だれが罪がないのに滅びた者があるか。
どこに正しい人で絶たれた者があるか。
私の見るところでは、不幸を耕し、
害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。
彼らは神のいぶきによって滅び、
その怒りの息によって消えうせる。※2

それに対し、こうした友の批判は苦しむヨブの耳には届かない。むしろ彼は次のように友人たちに弁論する。


もし、あなたがたが、
事の原因をわたしのうちに見つけて、
「彼をどのようにして追いつめようか。」
と言うなら、
あなた方は剣を恐れよ。
その剣は刑罰の憤りだから。
これによって、あなたあがたは
さばきのあることを知るだろう。※3

なぜあなた方は私にその責めを負わせようとばかりするのか。なぜなら、どんなに我が身を振り返ってみても、ヨブは神の教えに背くことなどはした覚えがない。それなのになぜ私がこれほど苦しまねばならないのか。彼の懐疑はより本質的である。つまり、自分はできるだけ正しく生きてきた。そして、ある日突然不幸に見舞われた。もし、神がいるなら、なぜ正しき人が罰せられ、神に逆らう人が幸せに暮らしているのか。一体、神の義は何処にあるのか。

やがて、神が嵐の中から現れる。神はヨブの激しい言葉を非難し、人間の卑小さを強調する―「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」。なおも神はヨブに次のように迫る。


さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
私はあなたに尋ねる。私に示せ。
あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。
自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。
あなたには神のような腕があるのか。
神のような声で雷鳴をとどろき渡せるのか。※4

人間は知識もないのに、神の御心や摂理を推し量ることなどできはしない。そして何よりも、自分に非がないないからといって、神に非があるなどと疑うのか。それそこ人間の傲岸不遜な振る舞いであると。

ヨブは自らの小ささに恐れ入り、今までの言動を恥じる。

あなたには、すべてができること、
あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、
私は知りました。
知識もなくて、摂理を覆い隠した者は、
だれでしょう。
まことに、私は、
自分で悟りえないことを告げました。
自分でも知りえない不思議を。
どうか聞いてください。私が申し上げます。
私はあなたにお尋ねします。
私にお示しください。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。※5

かくしてこの物語は神がヨブを諌め、友人の言を正しいと見なして祝福して終わるのかと思われた。ヨブは愚かにも、人間の浅はかな知恵で、全能の神を非難したからである。

しかし、この物語の結末は、逆の展開を迎える。実は、神が最も怒っていたのは、ヨブではなく、その友人たちの言動に対してであったのだ。その象徴的ともいえるのが、ヨブに語り終えて後その友人のエリファズに向けて語られた神の次の言葉である。


私の怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。
それは、あなたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。
今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、
あなたがたにために全焼のいけにえをささげよ。
わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。
わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。
あなたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。※6

ではなぜ神を批難したはずのヨブが正しいとされ、神を弁護したはずの友人が糾弾されなければならなかったのか。

その理由はおそらく、神の義をめぐって、友人は道徳論に終始したのに対し、ヨブは矛盾に直面して道徳がもはや通用しない領域に神の御心を求めたからである。一方の友人たちは今回の苦難をあくまで原因と結果という合理的な観点から断罪したが、他方ヨブは自らの信仰に一点の曇りもないことを確信しつつ、何の理由もなく降りかかった災難に向き合い神を求め続けた。いうならばヨブの友人は罪もない人が苦しんでいるというこの世界の不条理さを道徳の観点から同情しているだけであり、それゆえ身の潔白をヨブが主張すると敵になった。彼らには理解し得ていなかった、この世の中において、何の罪がなくても不幸な出来事は起こり得るということを。この善行と幸福の無関係、神と人との断絶こそキリスト教が導き出した究極の答えなのである。

この物語に示されている教訓は、人間が宗教と道徳を履き違えているということだ。そのため、神の義に目を背け、簡単に他人に同情したり、逆に見下したりしてしまう。宗教と道徳が二つの異なる次元にあることは次の例によって証明される。たとえば道徳では良いことをすれば褒められる。また、善き父母であることは、同時に社会的に立派な大人であると見なされる。いずれにせよここには等価交換が成り立つ。逆にいえば、この等価交換が成り立つからこそ、良いことをした人は社会から賞賛され、そうでない人は社会からバッシングされる。それに対し宗教ではそうした等価交換は成り立たない。たとえばアブラハムは神の言葉を信じて、一人息子イサクを燔祭のいけにえに捧げようとした逸話は有名である。これほどまで信仰篤き人である彼は、しかし社会的にみれば単なる犯罪者である。宗教においてときに犯罪者と聖人は逆説的に結びつく。日本でかつて弾圧されたキリシタンも、今ではローマ教会によって聖人に列せられている。

先ほども少し触れたが、そもそも神と人間の間に断絶を見ることがキリスト教の要諦である。したがって、キリスト教神学の父アウグスティヌスが述べるように、人間がどれだけ努力しても、救われるか否かはすべて神の恩寵にかかっている。この人間と神の到達不可能性ゆえに、人は信仰に至るまでに様々な受難に遭遇する。だが、信仰をもっていないヨブの友人たちは、「神がいるならば、なぜ正しい人が苦しまなければならないのか」という疑問は抱かない。ヨブの如く真に神を信じているがゆえにこの世の不条理に立ち向かわざるを得ないのである。これを知る者のみが「同情」を超えて「愛」に達することができる。母と子のように条件付きの愛ではなく、それこそ無償の愛へと。

事実、ヨブは結末でこれまで失ったものをそのまますべて取り戻すことができる。すなわち、亡くした息子と娘たちに加えていままでの二倍の財産を。こうした奇蹟こそキルケゴールが「反復」と呼んだものである。それは確かに信仰なくしてはできないことだが、その意味を今後は哲学的に明瞭にしていきたいと考えている。

最後に、「事実は小説よりも奇なり」という言葉に従って、「宗教は道徳よりも奇なり」という言葉をここに書き記しておきたい。一般に事実というものは矛盾や逆説だらけで、小説のように美しい話にはおさまらない。だからこそ本質的な作家は、これに抵抗し、自らを突き放してくるかのような体験に「文学のふるさと」(坂口安吾)を見出すのだ。あたかも、恐ろしい姥捨て山に捨ててくれと息子にせがむ母親のように、「道徳観念」(ヒューマニズム)を突き放したところに人間のリアリティ(事実)を追求する如くに。同様に、我々も一介の道徳家から出発して、いつかは善と悪の彼岸を越えて、普遍的な事実の認識へと辿り着きたいものではないか。

おそらくこうした険しい人生行路を歩む過程で、ヨブ記はまさに最良の導き手である。ヨブ記はキリスト教の深奥を文学を通して、そして文学の深奥をキリスト教を通して解き明かす。そしてここで開示された<宗教>の領域は我々の思索と想像力を永遠に掻き立てる何かであり続けている。

(注※)

1.ヨブ記 、第三章、第三節~第26節、(日本聖書刊行会『聖書』、新改訳、一九五四年)
2.同書 、第四章、第七節~第9節
3.同書、第一九章、第二八節~第二九節
4.同書、第四〇章、第七節~第九節
5.同書、第四二章、第二節~第六節
6.同書、第四二章、第七節~第八節

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チャップリン『独裁者』の演説

Posted by Shota Maehara : 12月 7, 2008

 

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I’m sorry but I don’t want to be an Emperor. That’s not my business.
I don’t want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible, Jew, gentile, black man, white.

申し訳ない 私は皇帝になりたくない
支配はしたくない
できれば援助したい ユダヤ人も黒人も白人も

We all want to help one another, human beings are like that.
We all want to live by each other’s happiness, not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone and the earth is rich and can provide for everyone.

人類はお互いに助け合うべきである
他人の幸福を念願として お互いに憎しみあったりしてはならない
世界には全人類を養う富がある

The way of life can be free and beautiful. But we have lost the way.
Greed has poisoned men’s souls has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed.

人生は自由で楽しいはずであるのに
貧欲が人類を毒し 憎悪をもたらし 悲劇と流血を招いた

We have developed speed but we have shut ourselves in, machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind.

スピードも意思を通じさせず 機械は貧富の差を作り
知識をえて人類は懐疑的になった

We think too much and feel too little,
more than machinery we need humanity,
more than cleverness we need kindness and gentleness,
without these qualities, life will be violent and all will be lost.

思想だけがあって感情がなく
人間性が失われた
知識より思いやりが必要である
思いやりがないと暴力だけが残る

The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in men, cries out for universal brotherhood for the unity of us all.
Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women and little children,
victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say “Do not despair”.

航空機とラジオは我々を接近させ
人類の良心に呼びかけて 世界をひとつにする力がある
私の声は全世界に伝わり 失意の人々にも届いている
これらの人々は罪なくして苦しんでいる
人々よ 失望してはならない

The misery that is now upon us is but the passing of greed,
the bitterness of men who fear the way of human progress,
the hate of men will pass and dictators die,
and the power they took from the people will return to the people,
and so long as men die, liberty will never perish.

貧欲はやがて姿を消し
恐怖もやがて消え去り
独裁者は死に絶える
大衆は再び権力を取り戻し
自由は決して失われぬ!

Soldiers, Don’t give yourselves to brutes,
men who despise you and enslave you – who regiment your lives,
tell you what to do, what to think and what to feel,
who drill you, diet you, treat you as cattle, as cannon fodder.

兵士諸君 犠牲になるな
独裁者の奴隷になるな!
彼等は諸君を欺き
犠牲を強いて家畜の様に追い回している!

Don’t give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts.
You are not machines. You are not cattle.
You are men.
You have the love of humanity in your hearts.
You don’t hate, only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural.
Soldiers! Don’t fight for slavery, fight for liberty.

彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!
諸君は機械ではない!
人間だ!
心に愛を抱いてる
愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!
独裁を排し 自由の為に戦え!

In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written “the kingdom of God is within man” –
not one man, nor a group of men – but in all men – in you, the people.

“神の王国は人間の中にある”
すべての人間の中に! 諸君の中に!

You the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness.
You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.

諸君は幸福を生み出す力を持っている
人生は美しく 自由であり すばらしいものだ!

Then in the name of democracy let’s use that power – let us all unite.
Let us fight for a new world,
a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security.

諸君の力を民主主義の為に集結しよう!
よき世界の為に戦おう!
青年に希望を与え 老人に保障を与えよう

By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie.
They do not fulfil their promise, they never will.
Dictators free themselves but they enslave the people.

独裁者も同じ約束をした
だが彼らは約束を守らない!
彼らの野心を満し 大衆を奴隷にした!

Now let us fight to fulfil that promise.
Let us fight to free the world, to do away with national barriers, do away with greed, with hate and intolerance.
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness.
Soldiers! In the name of democracy, let us all unite!

戦おう 約束を果す為に!
世界に自由をもたらし 国境を取除き 貧欲と憎悪を追放しよう!
良心の為に戦おう 文化の進歩が全人類を幸福に導くように
兵士諸君 民主主義の為に団結しよう!

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.

ハンナ 聞こえるかい
元気をお出し

The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.

ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いてる
明るい光がさし始めた
新しい世界が開けてきた
人類は貧欲と憎悪と暴力を克服したのだ

Look up Hannah.
The soul of man has been given wings – and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow – into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.

人間の魂は翼を与えられていた やっと飛び始めた
虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し!

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永遠回帰とは自分自身への旅である

Posted by Shota Maehara : 12月 4, 2008

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独り海辺を歩いていると、昔の少年時代の思い出や友の顔が浮かんでくる。

期待と回想が交互に私の胸に迫ってきて、ふと足を止める。

 

自分の半生を顧みて、自分が何を求めて歩んできたかと問いかける。

私はただこの時代に振り回されただけだったのか、それとも、自分自身を見出したのか。

私はいつの時代に生まれても変わらない自分でありたい。

それは自由を求めての旅だと言えるのかもしれない。

 

私は人間が好きだ。幸せになろうと必死に努力して、転んで、泥にまみれて、

悔しくて、泣き、そして笑う。 正しいことばかりではなくて、間違いも犯す。

だが、こうしてみんな生きている。すべては神聖な存在だ。

風に漂いながら、美しい海の横顔に触れて、砂浜を歩きだす。

 

砂を口に噛みながら、唄を歌っていると、すれ違う人が微笑んでいる。

恥ずかしさを隠すように、何気なく海と空を眺める。雲ひとつない。

そうだ、あなたはいつもそばにいてくれた。

限りない悲しみの青。限りない命の青。限りない精神を秘めた青。

 

いま、この大海原に投げ出されたらどんな気持ちだろう。

きっと、叫んでも、誰も助けてはくれない。

絶対的な孤独のなかで、何もかもどうでもよくなって、精神も肉体も一点に収斂していく。

そこが私が生涯探し求める、久遠の海に浮かぶ魂のふるさとなのだ。

 

 (2008.12.4 秋月誠仁)

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持続する能力について

Posted by Shota Maehara : 12月 3, 2008

文明を築くこと以上に難しいのは、文明を維持することである。たとえ一瞬の情熱に駆られて文明を築いても、それを維持していくためには真の叡智が必要である。ゆえに文明の偉大さはこれを維持する能力に示される。同様に、人間においても何かを始めることは容易い。だが、真に難しいことはそれを持続することだ。だからこそ才能とは力を瞬間的に発揮する能力ではなく持続する能力の謂いなのである。

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