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Shota Maehara's Blog

Archive for 2008年2月

メディアの時代―世論を巧みに操れるものだけが時代を制する  

Posted by Shota Maehara : 2月 18, 2008

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――ノンフィクション作品『大仏破壊――バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか』が刊行されました。二〇〇二年に出された最初のご著書『戦争広告代理店』から二年半、多くの読者が二作目を待望していたと思います。これは、NHKで放映された番組をもとに書かれた作品ですよね。

高木 はい。前作は二〇〇〇年に放映されたNHKスペシャル「民族浄化ユーゴ・情報戦の内幕」から生まれた本でしたが、今回は二〇〇三年放映のNHKスペシャル「バーミアン 大仏はなぜ破壊されたのか」がベースです。

――NHKのディレクターとして映像で番組を作るのと、本にまとめる仕事というのは、本質的にかなり異なる作業ではないですか?

高木 いや、ドキュメンタリーと本の作り方は、基本的には同じだと思いますよ。ただ、テキストの情報量という点では、十倍くらい本のほうが多い。番組では映像と音声で膨大な情報を伝える分、アナウンスコメントなどの文字に起こせる情報は限られます。その過程で落としていった貴重な情報を、本の形で還元したいという面がありますね。

――今回の作品では、アフガニスタン北部のバーミアンにあった巨大な遺跡「バーミアン大仏」がタリバンによって爆破された、その背景は何かがテーマとなっています。この事件に注目されたきっかけは何だったんですか?

高木 バーミアンの大仏というのは、四~六世紀ごろに作られたとされている、天然の崖に刻まれた二体の巨大な仏像です。地元の人々からも非常に敬愛されており、貴重な文化遺産として海外からも注目を集める存在でした。

それが一九九七年、アフガニスタンを支配しつつあったタリバンの司令官によってイスラムが禁ずる偶像だと爆破宣言がなされ、翌年、ロケット砲で砲撃されて一部が破壊されました。しかし、そのときは国際社会からの抗議もあり、タリバンの指導者であるオマル師の指令で全面的破壊を免れたのです。

それがなぜ、二〇〇一年の三月に破壊されてしまったのか。その間にアフガニスタンでどのような変化が起こったのかに興味をそそられたんです。タリバン時代のアフガニスタンにはメディアが入ることも困難で、あまり詳しいことが報道されていませんでしたし、大仏破壊の背景は謎に包まれていましたから。

姿の見えないカリスマ、オマル

――作品冒頭で国連アフガニスタン特別ミッションの政務官、田中浩一郎さんに、あるビデオを見せられますよね。

高木 破壊の瞬間をごく間近でとらえた映像で、それまで海外のテレビ報道などでも見たことのないものでした。そのビデオが実は半年後のさらなる大きな破壊につながるものだったんですが、見せられたときには気がつきませんでした。

――さらなる大きな破壊とは、9・11ですね?

高木 そうです。9・11同時多発テロが起きた直後、私は田中浩一郎さんにすぐ電話を入れました。「オサマ・ビンラディンの仕業だと思うか」という質問に、田中さんは「残念ながら、そうだと思います」と答えました。

バーミアンの大仏破壊に興味を持ち、初めて田中さんに接触した時点では、半信半疑ながらこれは非常に興味深いネタだと思っていましたが、9・11が起きて、周囲の大仏への関心なんかふっとんでしまった。

しかし、それから一年たって、大仏破壊をちゃんと検証することこそが9・11の本当の背景を理解する要になるんだ、という見方ができるようになり、さらにしばらくして企画が具体化したんです。そういうふうに他の業務をしながら長い間企画を熟成させて、機が熟したら本格始動するということはよくあります。

田中浩一郎さんは紛争の調停を図る国連の機関の政務官としてタリバンを始めとするあらゆる人脈に通じており、当時のアフガニスタンを知る世界でも数少ないスペシャリストの一人でした。その田中さんの協力を得られたことがドキュメンタリーを制作するうえでの鍵になりました。

――アフガニスタンに精通していた人々は、9・11が起きたとき、すぐにビンラディンだと思ったわけですか?

高木 そう言っていいと思います。田中さんだけでなくラフランスさんというフランスのベテラン外交官も、ユネスコ特使として爆破の直前までタリバン側と交渉を重ねていたのですが、彼は「大仏破壊は9・11のプレリュード(前奏曲)だった」とテロの直後に言っていました。

――この本では、母国サウジアラビアを追われ、滞在先のスーダンからも追い出されたビンラディンがアフガニスタンに流れつき、そこでタリバンの指導者オマルに、どのように取り入っていくかが描かれています。この二人の関係にメスを入れるというのは、今まであまり出てこなかった視点ではないでしょうか?

高木 タリバン自体がメディアの取材を嫌う面があり、特にオマルは極端な考え方を持っていますからね。本の中で「姿の見えないカリスマ」と書いたのですが、これが絶対確実にオマルだという、顔が鮮明にわかる写真すらないんです。写真であれ、映像であれ、偶像崇拝につながるというのが彼の考え方で、これはイスラム教徒の中でも特殊だと言えるでしょう。ビンラディンやタリバン政権の外相だったムタワキルなどは、自分たちの姿を欧米のメディアに撮らせていますし。元タリバンの高官たちを取材しても「一度しか会ったことがない」などというほど、オマルは神秘的な存在なんです。

そんなふうですから、オマルとビンラディンの関係がどう変わっていったかを分析するのは非常に困難でした。しかし、元側近や直接オマルに会った数少ない外国の要人たちの話を総合すると、これが本質だったのではないか、というストーリーが見えてきたのです。

ビンラディンは敏腕な名プロデューサー

――前作『戦争広告代理店』では、ボスニア・ヘルツェゴビナという国家がアメリカのPR会社に依頼して巧みに国際世論を操作し、自国を有利な立場に持っていく。そのPR戦略こそが現代の戦争である、という斬新な見方を提示なさったわけですが、この作品でもビンラディンのPR能力の高さが指摘されていますね。

高木 ビンラディンというのは、もし彼が映像の世界にいたならば、大変な名プロデューサーになっただろうと思われるような、すごい演出力の持ち主なんですよ。彼のメッセージ発信能力というのは非常に高くて、我々ですらちょっと納得してしまうような力がある。だから、イスラムの人たちが彼の言葉に心酔し、命をなげうってもいいと思い、世界じゅうからアフガニスタンに集まってくるという心情はわからないでもないんです。

二〇〇四年に「情報聖戦 アルカイダ 謎のメディア戦略」という番組を手がけたのですが、この中ではアルカイダの「リクルートビデオ」と呼ばれるビデオやインターネットを使ったPRが、イスラム教徒にとっていかに効果的であるかを紹介しています。アメリカが百億円くらいかけて作った新しい放送局がアラブ向けに流すニュースよりも、パソコン一台から発信される情報のほうがイスラムの人々にとっては圧倒的な説得力をもつわけです。

結局、これまでに制作した三つのノンフィクション番組を通して、私自身が共通テーマとして興味を持っていたのは「情報」なんです。冷戦後の世界において、より複雑になった構造の中で、弾丸よりも情報のほうが威力を持つ、実際に戦場でおこなわれる闘いより情報戦こそが勝敗を支配する状況が生まれていると思うんです。

もちろん、冷戦のあいだもスパイ的な情報戦はあったわけです。しかし、いわばゲットする情報ではなくて、PRという発信していく情報の大切さは、冷戦後、飛躍的に高まったと思います。そのおかげで、セルビアに比べて圧倒的に非力なボスニア・ヘルツェゴビナが、強大なアメリカ合衆国に対して流浪のテロリストであるビンラディンが、意外な勝利を収めることができるようになった、という考え方ができるのではないでしょうか。

――逆に、『戦争広告代理店』と『大仏破壊』の大きな違いは何ですか?

高木 うーん、『戦争広告代理店』はいわばケーススタディだったと思うんです。ボスニア紛争のすべてを描いたわけではなく、国家のPR戦略の陰の仕掛け人だったPR会社ルーダー・フィン社のジム・ハーフが果たした役割のみを切り取った。極端に言うと、ある一つの会社が頼まれて何をやったかということです。でも、それは普遍性のあるケーススタディで、こういうことが世界各地で起きているかもしれないという警告を与えるものではあった。

それに対して『大仏破壊』は、二十一世紀の始めに起こった世界的な二つの事件、そのまわりにあるブラックボックスを解明しようとした試みです。前作よりずっと背景が複雑でもあり、取材も難しかった。ジム・ハーフ一人を口説けばいいというのとは、話が違いますからね。より大きなものに挑戦できたという実感はあります。

でも、ビンラディンはまだ捕まっていないし、現在進行形の話ですから、唯一の歴史的事実を突きとめたというわけではありません。取材を重ねていった末にたどり着いた、ひとつの歴史解釈と言えるのではないでしょうか。大仏破壊と9・11の謎に迫る歴史ミステリーを読むような感じで読んでいただければうれしいですね。

(原文→http://www.bunshun.co.jp/jicho/daibutsu/daibutsu.html)

ド��ュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)

  • 作者: 高木徹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/06/15
  • メディア: 文庫
大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫 た 63-1)

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫 た 63-1)

高木 徹 1965年、東京生まれ。NHKディレクターとしてNHKスペシャルなどを担当。初めての著書『戦争広告代理店』で講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。

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国家とヤクザの仁義なき戦い―「分権的ヤクザ」のすゝめ

Posted by Shota Maehara : 2月 13, 2008

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宮崎学はかつてグリコ森永事件で「キツネ目」の犯人とされ逮捕された経歴を持つ。結果的に後に誤認であることが明らかになったが、紛れもなくこの出来事がアウトロー作家・宮崎学を誕生させるきっかけとなった。

宮崎の仕事の眼目は、近代日本の市民社会や合理主義の抽象性を、ヤクザとして明日を生き抜くための原則から批判することにある。もともとヤクザは生きんがために寄り集まった社会の最底辺層の人々であった。それゆえに彼らは孤立した個人としてではなく、つねに互い生存のために死をも賭けて行動する強固な人格関係で結ばれてきた。

さらに興味深いことに、日本のヤクザは、伝統的に地域の顔役として揉め事を仲裁するなど、ある意味で「公的な」(パブリック)側面を持っていた。それゆえ、ヤクザは街のど真ん中に事務所を構え、「~組」という表札を掛け堂々と生きてきた。これはマフィアが身を隠して、地下活動しているのとは大違いである。

かくしてヤクザは、共同体に根ざし人々の生活の紛争を上手く治める社会の警察のような存在だった。ただし国家に認可された政治的権力ではなく、社会の必要性から自然発生的に現れた社会的権力であると言うことができる。

しかし、そんなヤクザも時代と共に国家と資本の力によって変容を迫られる。その最大の転機となったのが、バブル経済の崩壊と何よりも1992年の暴対法(「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」)の施行である。宮崎も指摘するように、暴対法の意義はヤクザを罰することにあるのではなく、エリート官僚が市民社会からヤクザそのものを異物として排除することにあった。その結果、ヤクザは地域に根ざし、揉め事などの時には「顔役」ともなったかつて公的な性格を喪失し、追い詰められたあげくに経済マフィア化し、より凶暴化するほかなかった。

そもそも宮崎にとって、国家官僚による上からの近代化・中央集権化は、戦後50年たった今日その建物は土台から腐り始めている。もしその時、国家に対抗する力になれる勢力があるとすれば、それはありもしない「市民」などに依拠した運動ではなく、ヤクザのように共同体の生活に根ざした相互扶助組織であるという自負がある。こうした見方は、国家の中央集権化や専制に対抗できるのは、選挙などの民主主義的な制度ではなく、貴族や教会をはじめとする国家になびかない中間集団の存在だといったモンテスキューやトクヴィルの主張を想起させる。

それならば、拡大する国家の政治的権力や暴力に対抗するためにはいま何が必要なのか。それにはまず自らの中央集権的な官僚制組織によって肥大化した姿を払拭して、封建制のようにヤクザもまた再び地方分権化しなければならないと説く。これを宮崎独特の表現で、「分権的ヤクザ」と名づけている。こうした主張の背後には、ヤクザは近代国家に対抗できる唯一の暴力を保持しているだけではないし、またそうであってはならないという考えがある。逆説的に、近代に入って封建的遺物と切って棄てられた強固な人格関係で結ばれたヤクザ組織のなかにこそ、家族も職も国家の庇護も失った現代人を守りうる防壁があると見なしているからなのである。

近代ヤクザ肯定論―山口組の90年

近代ヤクザ肯定論―山口組の90年

ヤクザと日本―近代の無頼 (ちくま新書 702)

ヤクザと日本―近代の無頼 (ちくま新書 702)

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