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Shota Maehara's Blog

Archive for 2009年3月

現代日本におけるスポーツの役割―WBCを顧みつつ

Posted by Shota Maehara : 3月 25, 2009

今、日本の言論空間で発言している方は皆それぞれ優秀な方たちだと思います。それは彼らが各界で成功を収められた人物であるということによってすでに裏書きされています。ただ、人々を引っ張っていくような強い訴求力を持つまでには至っていない。それは時代状況もありますが、やはり社会全体の大きな物語を紡ぐのを避けているからです。もちろん実用的な話も大切、でも一見非実用的に見えても人間を形作る大切なものはありますね。宗教などはその典型です。いま、日本に伝統的な宗教と呼べるものがあれば、人びとの孤独や不安をかなりの部分癒し得たであろうと思います。人間はパンなくしては生きられないとしても、けっしてそれだけで生きられる存在ではありません。今回のWBCのサムライジャパンの活躍は、まさしく今の混迷する日本にとってそういうかつての宗教的な役割を果たしたと言えるのではないでしょうか。

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祝・サムライジャパン・WBC連覇!イチロー「神が降りてきた」

Posted by Shota Maehara : 3月 24, 2009

efbd97efbd82efbd83e980a3e8a687e4be8djapan[ロサンゼルス 23日 ロイター] 野球の国・地域別対抗戦、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は23日、当地のドジャースタジアムで決勝を行い、日本が韓国を延長戦の末、5―3で破り、2大会連続で優勝した。

日本は今大会で韓国と5回対戦。1次ラウンドに14―2で7回コールド勝ちした後は0―1、1─4と連敗し、2次ラウンド1組1位決定戦で6─2と勝利。勝敗の上では2勝2敗の5分で決勝を迎えていた。

先攻の日本は初回、1番イチローがセンター前にヒットを放つと、2番中島の犠打で2塁に進塁。2アウトから4番に入った城島は四球を選んだが、5番の小笠原が内野ゴロに倒れ先制点はならなかった。

一方、韓国はその裏の攻撃で日本の先発ピッチャー岩隈の前に3者凡退した。

試合が動いたのは3回。1アウト1、3塁で小笠原がライト前にタイムリーヒットを放ち、日本が1点を先制。続く満塁に栗原の併殺打で追加点のチャンスを逃した日本だったが、岩隈がその裏も3者凡退に抑え、韓国に反撃を許さなかった。

岩隈は5回裏、ソロホームランを打たれて同点に追いつかれるが、内川の好返球にも助けられて後続を抑えた。

その後、日本は7回、盗塁を決めた片岡を2塁に置き、イチローが絶妙なセーフティバントでノーアウト1、3塁のチャンス。ここで中島が勝ち越しのタイムリーヒットを打って1点を追加。8回には岩村の犠牲フライでリードを2点差に広げた。

韓国は8回裏、そこまで打ちあぐねていた岩隈からヒットと犠牲フライで1点を返した。さらに四球のランナーを1塁に置いた場面で日本は投手交代。2番手で登場した杉内が後続を抑え、3─2で最終回を迎えた。岩隈は結局、8回途中まで投げて被安打4の好投。

9回裏は前日の準決勝に続いてダルビッシュが登場。2アウト1、2塁となった場面でレフト前にタイムリーヒットを打たれ、同点に追いつかれた。

wbc-e6b1bae58b9de68993試合は延長10回、日本がヒットで出た内川と岩村を塁上に置き、イチローが値千金の2点タイムリーヒット。その裏はダルビッシュがランナーを背負いながらも最後の打者を三振に打ち取り、日本が5─3で韓国に勝利した。

イチローは試合後のインタビューで、「ここで打てば日本がものすごいことになってるだろうなと」と10回の決勝打を振り返り、「球場に来てくれた皆さん、日本からの視線も含めすべての方に感謝したい」と語った。

また、原監督も「世界のつわものと堂々と戦って勝利したことは価値ある」と選手らをたたえ、「ファンと喜びを分かち合い、日本の国にとっても良かった」と、大会連覇を喜んだ。

また、最優秀選手には2大会連続で松坂大輔投手が選ばれた。

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ポストモダン・テロリズムと日本の言論空間

Posted by Shota Maehara : 3月 23, 2009

10036871263_s1人はパンのみで生きるにあらず、神の言葉によって生きるのである―マタイ福音書

 かつてアメリカの国際政治学者フランシス・フクヤマは、東西冷戦の終わりを、歴史の終わりと規定し話題を呼んだ。それはソ連の崩壊によって社会主義対資本主義というイデオロギー対立が終わり、今後は経済的な問題だけが争われるという予言であった。確かに世界は不均等に発展しているので、こうした見方は途上国や新興国には当てはまらないケースが多い。しかし、こと先進国に限って言えば彼の予言は当たった。まさしく世界不況の中で、「政治」という言葉を操る人間固有の領域が見えなくなりつつあるからだ。

先日NHKで「テレビはどうなっていくのか」というテーマの討論番組を観る機会があった。実はこの番組を企画した背景には、インターネットの登場によってテレビの終焉がもたらされるのではないかという危機感があった。現代の変化の波は構造的なものであり、それゆえ危機は努力論や道徳論で解決できる問題ではない。いや、そのはずだった。当然視聴者は視聴率に囚われすぎている点など製作者サイドに厳しい注文をつけた。しかし、当の制作者はこれからもいい番組を作っていきますという主張に終始した。特に昨今のやらせ報道などが話題に上ったとき、各局の製作者は、他の部署のそういう点はいけないと思うけれども、自分は自分の番組を真剣に作っていると述べた。

ここから透かし見えてくるのは私の近年の疑問と繋がっている。つまり議論の場における「本質論」の不在である。まず、人々は各々別のことに興味を持ち生活している。だから、他人の意見に対して熱く議論を交わそうとはしない。どこかしら他人は他人というしらけた態度である。その結果、社会の中に議論が生まれず、人々の意見が方法論にとどまって、本質論まで深まっていくことがない。こういう意味での悪循環が社会を覆っている。学問も専門分化が進み、それぞれが住み分けている状況だ。それらを統合し、では「21世紀の日本をどうするのか」というグランドデザインがなかなか出てこない。

各々が勝手な事を言い、人の話に食いついていかない時代。これこそポストモダンの現象と呼べるだろう。皆自分の人生の物語を紡ぐのに熱中して、社会全体の大きな物語を紡ぐことを放棄してしまっている。その結果、現状に不満を持つ人びとの想いは解消されることなく鬱積し続け、いつかテロやクーデターとなって噴出するだろう。実際、政官財に不満を持つ層は日々増え続けている。現在、270万人の失業者数や3万人の自殺者数は、社会に不気味な影を落しつつある。

では、どうしたらよいのだろうか。私はどんなに無力でも圧倒的な「言葉」を社会に復興するしかないだろうと考えている。すなわち、言論に思想と哲学を復興することである。オバマ大統領の演説が示したように、言葉は深い現実に触れたとき、人々の間にすさまじい反応を呼び起こすことができる。現代の専門家はこの言葉の持つ喚起力をあまりにも馬鹿にしている。また、言論に哲学を復興させるとは、自論(テーゼ)と反論(アンチテーゼ)を正面から受け止めてそれに引き裂かれながら、解決(ジンテーゼ)を見出す弁証法的かつ複眼的な思考を身につけるということでもある。少なくとも、自分のまだ知らない世界がどこかにあるはずだという、断定を避ける開かれた科学的態度に今の学者は立ち戻らなければならない。

現代文明の変化は構造的で、それゆえ小手先の方法論では解決することはできない。おそらく、そのことに多くの人は気付いている。ただ、とにかく短期的な目標や利益を上げるのに必死で、そこまで気が回らないのだろう。しかし、それは沈みゆくタイタニック号の乗組員とどこか似ていないだろうか。だからこそどこかでこの流れに棹さす対抗ヘゲモニーを言論界に作り出す必要がある。いまや少子高齢化を迎えいよいよ成熟文明に入った先進国日本は、経済最優先できた社会をchange(変革)すべき時期に差し掛かっている。またそれは戦後一貫してアメリカをモデルにしてきた方針をchange(変革)することをも意味する。むしろ今後は医療・福祉・教育などの面で、個人と共同体の折り合いをうまくつけながら文明を成熟させてきた欧州の様々な実験から多くを学びとるべきだろう。

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宮崎学―青年将校化する東京地検特捜部

Posted by Shota Maehara : 3月 22, 2009

青年将校化する東京地検特捜部 2009-03-07 (土)

宮崎学である。

久しぶりにホームページで俺の今考えていることを明らかにする。

フォーラム神保町は3月15日、「青年将校化する東京地検特捜部」と題する集会を急遽開催する。それは、どういう問題意識に基づくものか。

今回の民主党代表小沢一郎の第一秘書逮捕事件は、二つの点で、これまでにない異常な相貌を示している。

第一に、総選挙が近いことが既定事実になっているなかで、検察が野党第一党の代表をめぐる事件を立件したことである。これまでは、例えば2000年に元建設大臣の中尾栄一が受託収賄の容疑で逮捕されたときも、容疑が固まっていたにもかかわらず、総選挙の投票が行われるのを待って、5日後に逮捕が行われた。総選挙という国民の政治的選択に直接大きな影響をあたえるのを避けたためである。ところが、今回検察は、こうした配慮を払うことなく、むしろ選挙に影響をあたえるのをねらって行われた感すらあるのは衆目の一致するところであろう。

第二に、野党第一党の代表という立場にある政治家に対して、検察が直接矛先を向けた点でも異常である。これまでは、例えば2004年の日歯連闇献金事件でも、橋本龍太郎元首相に1億円の小切手が渡った事実があるにもかかわらず、村岡兼造逮捕まででとめているし、また古くはロッキード事件でも、中曽根康弘まで波及させることは意図的に避けた。これらは、そこまで行ったら日本の政治世界の底が抜けてしまう、そこまでは検察はすべきではない、という判断に基づくものであったろう。ところが、今回の検察の行動は、そのような自重の態度を取るどころか、逆に政治状況の根幹を自らの権能で動かしてやろうという意図から出ているように思われる。

このような特徴から言えることは、かつての検察官僚あるいは法務官僚を含めた司法官僚が、あえて職権を発動しないという不作為を通じて、政党政治すなわち立法権力に対するプレスティージを示して、これを掌の上でコントロールしようとするスタンスを取っていたのに対して、いまや、そのスタンスを破棄してみずから作為によって政治に影響力を行使しようとしてきたということである。

いま、リーマン・ショックに端を発した金融危機の顕在化は、世界恐慌のごとき様相を深めつつある。ここで、我々が思い起こさなければならないのは、1929年の世界大恐慌に続いて現れた事態をめぐる歴史的教訓である。

あのとき、民衆の政党政治に対する根深い不信、財界大資本に対する強い怨嗟の声を背景にして、閉塞状況を打開するものとして軍部を登場させるべく、5.15事件、2.26事件といった軍事クーデターが行われた。政治家も、経済官僚も頼りにならない、いまこそ軍が国を救い、民を救う、というわけであった。そして、そのあと出て来たのは統制派官僚による権威主義的テクノクラート支配であった。

いま、これと同じような事態が現出されようとしている。不信と怨嗟に苛まれている国民に対する検察官僚のアピールは、こうだ。――この国を救うのは、政治家でも、民間企業でも、経済官僚でもない。清廉潔白、正義の使徒たる我々こそが国を救う。いま我々は、世界恐慌に対処できないまま混迷を深める政界を粛清するために起った。後に続くものがあることを信ずる。
これは、明らかに形を変えた「クーデター」である、と言わなければならない。それは、今回の事件で小沢一郎が政治資金規正法に違反しているかどうかという問題とは別個の独立した重大問題である。我々は、今回現れた検察のありかたにこのような深刻な危惧を覚えるがゆえに、いま検察のありかたそのものを問い、糺すことが緊急に必要だと考える。

しかも、この事件をめぐって行われているメディアの報道は、検察からのリーク情報に満ちている。「検察筋」なる情報源からの「事実」なるものが検証されないままに流されている。2002年に立件された鈴木宗男・佐藤優らの事件のときも、これと同じであった。メディアは、検察からのリーク情報に躍り、鈴木、佐藤らをたたき、あとで不明を恥じなければならなかったのである。検察、特に特捜の行為はつねに政治的なのであって、立件するかしないかは政治的判断に基づき、作為も不作為も政治的であるのは当然である。だとするなら、今回の立件の政治性はどこにあるのかを見極めるのがメディアの役割であろう。その見極めのためには、検察の動きそのものを検討する必要がある。

以上のような問題意識から、我々は標記の集会を開催することにした。多くの方々の参加を呼びかけたい。

 

(掲載元: http://miyazakimanabu.com/2009/03/07/525/)

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