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Shota Maehara's Blog

Archive for 2007年12月

遠近法について

Posted by Shota Maehara : 12月 15, 2007

視覚における遠近法は、唯一の正しい見方というものが存在しないことを教えてくれる。視覚は、あたかもカメラのズームのように見たい対象を前景化させ、その他を後景化させる。だから対象は常に揺れ動く関係の中で存在さざるを得ない。ゆえに遠近法もまた弁証法の謂いなのである。それは始まりもなく終わりもない永遠の対話である。

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 再び、書くことについて

Posted by Shota Maehara : 12月 15, 2007

書くことは自らの考えを世に知らしめることではない。むしろ、書くとは、人に語りかけることだ。

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読書について

Posted by Shota Maehara : 12月 15, 2007

人は本を読むとき、自分の世界が本の中で完結してしまいがちである。しかし、人は本を抜け出さなくてはならない。現実というテクストの外へ。これが本来の読書の目的である。

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 イヴァン・イリイチ『生きる意味-「システム」「責任」「生命」への批判』

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

[評者]柄谷行人[掲載]2005年11月20日

本書は、三年前に死んだ思想家イバン・イリイチへのインタビューに基づく書である。イリイチは、一九七〇年代にメキシコを拠点にして、資本主義による地域開発・破壊に反対し、学校や病院の制度を批判する活動や著作で知られるようになった。その当時はラディカルな思想家として知られていたが、八〇年代になって、むしろ反動的な思想家として批判された。男女の仕事が区別されていた近代以前の共同体的社会を称賛したり、途上国への経済援助・ボランティア活動に反対したりしたからである。以来、彼の思想はきちんと検討されることがないまま、次第に消えてしまったという印象がある。その出自も謎につつまれたままであった。

本書を読むと、イリイチ自身の言葉で、多くのことが明らかにされている。彼はクロアチア人の父とユダヤ人の母のもとにウィーンに生まれ、ナチの時代にユダヤ人として迫害され、米国に渡った。しかし、本人はカトリックの信仰をもち、プエルトリコやメキシコで司祭として働いた。そこで、右に述べたような活動の結果、教会と対立し、司祭の資格を放棄するにいたった。もちろん、それは信仰の放棄ではなかった。むしろ信仰の徹底化こそが、そのような結果に導いたのである。

イリイチは経済学者カール・ポランニーに共感し、その関係で、『エコノミーとエコロジー』を書いた玉野井芳郎とも親しかったという。そのことがわかると、イリイチの立場はかなり明瞭(めいりょう)になる。ポランニーも玉野井も、互酬制的な経済を未来に実現することを目指すタイプの社会主義者であった。つまり、イリイチもたんに過去の共同体を称賛したり、そこに回帰することを説いたりしていたのではない。資本主義市場経済の深化によって何がうしなわれたのかを強調したのは、それがわかっていないかぎり、未来がありえないからである。

たとえば、女性がこれまで男性が独占していた仕事の領域に進出したことは、進歩であるようにみえる。しかし、それがある程度実現されてみると、明らかになるのは、こうした変化が、資本主義経済がいっそう深く浸透する過程にほかならなかったということである。では、この資本主義経済に対して、どう対抗するのか。イリイチを非難した社会主義者は、実際のところ、資本主義経済と共通の基盤に立っているにすぎない。その上で、富の平等あるいは再配分を主張するのである。

この本(原本)は九二年に刊行された。「グローバル資本主義」がいわれたころである。しかし、この時期にはすでに、イリイチは、自分の過去の仕事の意義を否定するほど絶望していた。以前に書いたことを否定するのではない。ただ、ここまで急速に悪化するという見通しをもたなかったことが間違いだった、というのである。この絶望が、彼を、聖書やヨーロッパ中世の文献に向かわせる。それが、それまでの読者を遠ざけることになった。しかし、彼は過去に向かいつつ、あくまで未来を志向していたのである。

http://book.asahi.com/review/TKY200511220387.html

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 ハンナ・アーレント『思索日記』(1950-1953)

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

[掲載]2006年05月14日[評者]柄谷行人(評論家)

 本書は、アーレントが1950年から73年にいたるまで書いたノートを編纂(へんさん)した本の第1巻である。ここには50年から53年にかけてのノートが収録されているが、それは著者が『全体主義の起原』を出版したのち、『人間の条件』を書くにいたるまでの思索の跡を示している。

 多彩な内容をもったこれらのノートに一貫しているのは、いわば「全体主義の起源」を近現代においてよりも、古代においてみようとする志向だ、といってよい。全体主義は西洋の哲学・宗教に反するものではなく、むしろそこにこそ胚胎(はいたい)する。一口でいえば、それは、人間の「複数性」を認めない思考である。

 たとえば、西洋の哲学は内省、つまり、自己との対話にはじまった。それは、実際に他人と話すこととは違っている。他人との対話がどこに向かうか予測不可能であるのに対して、自己との対話は確実であり、絶対的な真理に向かうことになる。この意味で、西洋の哲学的伝統は、異質な他者を排除することによって成立している。

 アーレントは、こうした思考の伝統を社会認識においても見いだす。たとえば、マルクスは古典派経済学にもとづいて、「労働」を根底におき、生産物の価値が交換過程において見いだされる次元を軽視した。それは、交換という「活動」の次元、つまり、予測不可能な他者との関係の次元を見ないことである。こうして、「労働」を根底におくことが、複数性(他者性)を否定する「全体主義」に帰結したのである。

 このような伝統の中で例外的であったのは、複数の相異なる人間の間で、趣味判断の普遍性がいかに成り立つかを考えたカントである。ここから、カントの『判断力批判』を政治哲学として読む、アーレント独自の考えが出てきたのである。のみならず、そこに、彼女は、複数性を前提するような社会主義への鍵を見ようとした。総じて、本書には、のちに本としてまとめられたときには消えてしまう、豊かで多様な思考がとどめられている。

    ◇

 青木隆嘉訳/Hannah Arendt 1906~75年、ドイツ系ユダヤ人哲学者。

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 マルチチュード―〈帝国〉時代の戦争と民主主義 上・下 [著]アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

[掲載]2005年12月11日[評者]柄谷行人

本書は『〈帝国〉』(二〇〇〇年原書刊)の続編として書かれている。『〈帝国〉』では、ネグリとハートは、アメリカ合衆国が湾岸戦争において国連の合意の下に行動したことから見て、帝国主義とは異なる、いわば古代ローマ帝国に似た「帝国」が形成された、と考えた。しかし、〇一年九月一一日以後におこった事態は、それとはほど遠かった。世界は「帝国」どころか、公然と帝国主義の時代になった。おまけに、それをもたらす引き金を引いたのが、「マルチチュード(多衆)」的反乱の一つであるともいえるイスラム原理主義者であった。本書で、著者はそのような点を修正しつつ、現状を分析し、新たに積極的な展望を見いだそうとしている。

しかし、著者がいう「帝国」は、もともと経験的な概念ではなかった。それは国家というよりも、世界的な資本のネットワークそのものなのである。それに対抗するものとしての「マルチチュード」も経験的概念ではない。それは、人民や労働者階級という現象において消されてしまうような何かなのである。マルチチュードは多種多様なネットワークとしてあり、また絶対的に民主主義的である。それは近代の国家と資本制経済の下でもたえず存在するのだが、国家や資本によってつねに疎外される。ゆえに、マルチチュードを自由奔放に発現させれば状況を変えられる、と著者は考える。

ところで、この考え方を著者はスピノザに依拠して述べているが、私のみるところ、それは無政府主義者プルードンの考えだといったほうがよい。プルードンは、ルソーのいう社会契約や人民主権は、絶対主義王権の変形にすぎず、真の民主主義ではない、とみなした。また、彼の考えでは、真の民主主義は、将来に実現されるようなものではない。それは現に、資本と国家が支配する経験的世界の深層に存在する。それは連合的で相互的で創造的である。したがって、そのような深層の「リアルな社会」を発現させればよい。

実は、マルクスをふくむドイツの青年ヘーゲル派は、このような考えの影響を深く受けていた。ネグリとハートは、マルクスのいうプロレタリアートは労働者階級のように限定されたものではなく、マルチチュードにほかならないという。初期マルクスの考えは確かにそのようなものだ。その意味では、本書は『共産党宣言』(一八四八年)を現代の文脈に取り戻そうとする試みといえる。すなわち、帝国(資本)対マルチチュード(プロレタリアート)の世界的決戦。

しかし、このような二元性は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想定される。こうした観点は神話的な喚起力をもち、実際、それは六〇年代には人々を動かしたのである。とはいえ、私は、このような疎外論的=神話的な思考をとるかぎり、一時的に情念をかき立てたとしても、不毛な結果しかもたらさないと考える。グローバル資本主義(帝国)がどれほど深化しても、国家やネーションは消滅しない。それらは、資本とは別の原理によって存在するのだから。

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アメリカ憲法の呪縛 [著]シェルドン・S・ウォリン

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

アメリカ憲法の呪縛

アメリカ憲法の呪縛

[掲載]2006年09月03日[評者]柄谷行人(評論家)

■人民の名のもとに国家権力を拡張

本書の表題は、直訳すれば「過去の現存」である。それはどのような「過去」か。たとえば、フランスの思想家トクヴィルは「アメリカには封建制の過去がない」と述べたが、そのような見方は、今でも強い。そのため、ヨーロッパでなら革新的と見えるような自由主義が、アメリカでは保守的なイデオロギーであるといわれる。しかし、本書において、著者はそのような見方に異議を唱えている。アメリカには、封建制という「過去」があったというのである。

といっても、著者が封建制というとき、それは土地所有や貴族的特権というような通常の意味においてではなく、封建制を中央集権的国家に対抗するもう一つの選択肢として意味づけたモンテスキューの理解にもとづいている。その場合、封建制は、求心的な画一化に対する多元的な分権主義を意味する。それは民主主義を、たんなる議会制度ではなく、さまざまな「中間団体」の連合に見いだすものである。著者は、この意味で、アメリカには「封建制」の伝統があったし、1776年の独立革命はむしろ、イギリスの行政の求心的合理化に対抗する、封建制的な対抗革命であったというのである。

しかし、1788年に憲法が成立した時点で、多様な分権的体制から統一をめざす集権的国家への転回が生じた。この憲法は、国家権力を制限する機能を果たすのではなく、逆に、人民という名の下に、国家主権の無制約な拡張をもたらすものである。この憲法にふくまれた画一的な集権化の意図は、南北戦争を経て実現された。さらに、国家権力が極大化したのは、1930年代の「ニュー・ディール」、つまり、国家による強力な経済介入の時期である。これは、大衆の喝采を浴びる民主主義的政治として実現されたのである。

本書が書かれたのは、1980年代、このような福祉国家主義を否定し、国家の公的な仕事を市場に任せるというレーガン主義が隆盛をきわめた時期である。それは、国家の介入を斥(しりぞ)ける、アメリカの「自由主義」的伝統の名のもとに推進された。しかし、こうした民営化は、国家を希薄化するものではまったくない。それは国家機構をより合理的に強化するだけだ、と著者はいう。地方分権を強調する新自由主義は、実際には、国家的統治を強化することを目指している。それは、国家と資本、政治と経済の結合を強化しながら、しかもそのことを隠蔽(いんぺい)するものである。

かくして、「合衆国に生まれつつあるのは、新しい形態の権力の全体化である」。著者の意見では、これに対抗するためにはやはり「民主主義」によるほかないが、真の民主主義は、新自由主義にも福祉国家主義にもない。それらは、人民の名のもとに国家権力を無制限に拡張する憲法の呪縛の中にあるからだ。アメリカの「草の根民主主義」は、政府や議会という代表制の形式にではなく、憲法以前のいわば「封建制的な」志向にこそある。ある過去の呪縛を脱するためには、選択肢としてもう一つの「過去」を見いだす必要があるのだ。

    ◇

The Presence of the Past 千葉眞ほか訳/Sheldon S.Wolin 22年生まれ。政治思想史。カリフォルニア大バークレー校、プリンストン大教授などを歴任。

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 法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ! [著]宮崎学

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!

法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!

  • 作者: 宮崎学
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本

[掲載]2006年01月22日[評者]柄谷行人

「法の裏、法の穴をついて儲(もう)ける」など著者自身の「アウトロー生活」の体験から、掟(おきて)と法について考察し、そこから今日の日本社会の批判におよぶ、痛快で、洞察に満ちた書物である。

本書の定義によれば、掟とは個別社会の規範である。「個別社会」は家族、村、労働組合、同業者組合、経済団体といった基礎的な集団であるが、著者はそれを「仲間内」と呼ぶ。そこには、相互扶助(互酬)的であるとともに内部で共有する規範がある。それが「掟」である。一方、「全体社会」は国民国家のように抽象的な集団であり、そこで共有される規範が「法」である。

通常、社会は、個別社会の掟で運営されており、掟ではカバーできないときに法が出てくる。ところが日本社会では、そういう関係が成り立たない。掟をもった自治的な個別社会が希薄であるからだ。著者によれば、その原因は、日本が明治以後、封建時代にあった自治的な個別社会を全面的に解体し、人々をすべて「全体社会」に吸収することによって、急速な近代化をとげたことにある。

ヨーロッパでは、近代化は自治都市、協同組合、その他のアソシエーションが強化されるかたちで徐々に起こった。社会とはそうした個別社会のネットワークであり、それが国家と区別されるのは当然である。しかるに、日本では個別社会が弱いため、社会がそのまま国家となっている。そして、日本人を支配しているのは、法でも掟でもなく、正体不明の「世間」という規範である。

日本は自治的な個別社会を解体したために、国民国家と産業資本主義の急激な形成に成功したが、それは、今やグローバル化の中で通用しなくなっている。それに対して、中国では個別社会——幇(バン)や親族組織——が強く、それが国民(ネーション)の形成を妨げてきた。しかし、逆に、今日のグローバル化において、国境を超えた個別社会のネットワークが強みとなっている。

著者は、若い人たちに個別社会の形成をすすめている。そのためには個々人が「世間」の規範から出なければならない。

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 K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論[著]石井知章

Posted by Shota Maehara : 12月 11, 2007

K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論

K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論

 

[掲載]2008年6月22日[評者]柄谷行人(評論家)

■「アジア的」なものの復古を詳細に分析

中国や北朝鮮の現状を見るとき、清朝や李朝に似ていると思う人が多いだろう。しかし、マルクス主義者による革命から、なぜそんなものが生まれてきたのだろうか。それはマルクスのせい、では毛頭ない。マルクスは「アジア的生産様式」について考えていた。それは専制的な国家体制と、それに隷属する農業共同体を意味する。このようなマルクスの考えに忠実であったプレハーノフは、ロシアのようなところで、権力奪取と土地の国有化を強行すれば、「アジア的」な専制国家に帰着してしまうほかない、と批判した。しかし、レーニン・トロツキーからスターリンにいたるまで、マルクス主義者はそのような意見を斥(しりぞ)け、あげくに、「アジア的」という概念そのものを廃棄してしまった。しかし、彼らの社会体制はまさに「アジア的」な形態に陥ったのである。

その中で、もともと中国学者であったウィットフォーゲルは、「アジア的生産様式」という概念を保持し、それをいっそう広く深く考察した。そして、大規模灌漑(かんがい)にもとづく古代国家体制を、「水力社会」と名づけた。そのような人が、ロシア・マルクス主義者によって「反共」思想家として葬られたのは当然である。しかし、彼はなぜか一般に敬遠されてきた。マルクス主義の権威が崩壊したのちも、まともに評価する人は少なかった。日本でも、湯浅赳男がいただけである。

ウィットフォーゲルは晩年も厖大(ぼうだい)な著作を残したが、すべて未出版にとどまった。本書で、著者は、未公開の文献を渉猟し、その上で、彼の理論をより一貫した説得的なものにしている。さらに、中国と北朝鮮において、「アジア的」なものがどのように復古してきたかを詳細に分析している。これはかつて類のない考察である。また、文化革命後の中国で、ウィットフォーゲルが翻訳され注目を浴びたが、天安門事件以後禁圧され、最近また少しずつ見直しが起こっている、といった経緯が興味深い。“ウィットフォーゲル”は中国という社会の現状を示す指標となっている。

    ◇

いしい・ともあき 60年生まれ。明治大准教授(アジア経済研究)。

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