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Shota Maehara's Blog

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第5部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

私の知る限りチェーホフと同様に人間や現実に潜む多様性を「関係の偶然性」という観点から眺めた作家が日本にいるとしたらそれは夏目漱石である。それは彼の半自伝的な作品『道草』の中で典型的に示されている。漱石こと健三は、海外留学から帰ってきて、大学の教師となったが、そこへかつての養父島田が金を無心にくる。彼と出会うたびいやな胸騒ぎがする。

なぜなら、幼年時代養父母に育てられ、実の両親を祖父母だとおもって成長してきたかつての自分の不安が蘇ってくるかのようだからである。以来、彼はどうしても親と子の関係性における確かさの感覚が持てなくなる。人間が最初に生まれおちてくる家族関係の中において、自分はここの家の子であるという誰でもが持つ自己同一性(アイデンティティ)が健三には最初から奪われている。

したがって、『虞美人草』や『こころ』などの漱石の小説は、つねにある碁盤の目の中でチェスの駒として存在する登場人物と登場人物がたまたま与えられた役柄に基づいて、徐々に人物の意外な側面を浮き彫りにし、ドラマに動きや奥行きを持たせていくという構成をとっている。それ自体きわめて「劇」的であると言える。たとえば、『虞美人草』や『こころ』で描かれているのは、個人の恋愛感情に特殊な磁場を及ぼす「三角関係」である。そして『三四郎』では、チェーホフのことに何度か触れられていることも付け加えておきたい。

しかし、こうした二人の類似性は、漱石がチェーホフに影響されていたか否かではなく、彼がまさに当時の自然主義文学とは違う「リアリズム」を模索していたことに由来している。むしろ彼らに共通するのは、まるで自然科学者のような微細な観察者の眼である。『道草』の最後では健三に、チェーホフを思わせる次のような言葉で締めくくらせている―「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただいろいろな形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」。

漱石の文学はその多くが人間の内面性を扱っているが、それを人間に備わっているものとしてではなく、関係が変わることによって変化するものとしてとらえている。だから、読んでみると始めから終りまで主人公の内面に感情移入していく意味での快楽はない。むしろ視点が次々に移り変わって、まるで落語の寄席を聴いているような楽しさが感じられる。

ではいったい彼らは人間社会の構造というものが確固としたものではなく、それ自体不安定な偶然的なものであるという認識をどこから得たのだろうか。もちろんいわゆる近代文学への批判という共通の問題意識があったであろう。それに加えて、チェーホフやクンデラや漱石が二つ以上の国の間で生きて考えたコスモポリタン(世界市民)であった事実である。マルクスが観念論の隆盛するドイツを離れ、経験論を重んじるイギリス渡り二つの国の間で『資本論』を書いたように、私は私であるということや机は机であるという自己同一性(アイデンティティ)の自明性は、別の文化や言語に身を置いてはじめて根底から疑うことができるからである。

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第4部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

チェーホフのドラマ(劇)は、こうした「関係の偶然性」に翻弄されながら生きていかなければならない人間の存在を描いている。まさにその人間存在の寄る辺なさは、チェコの作家ミラン・クンデラが『存在の耐えられない軽さ』と名付けた状況である。その主人公トマーシュは優秀な医者で、ドンファンであった。そして、ある出張のため訪れた片田舎で平凡なウェイトレスとして働いていたテレザと出会い、すぐさま恋に落ちる。そしてお互いが釣り合わない恋に戸惑いながらも二人で暮らし始める。

まもなくして一九六八年のプラハの春を境にして生活は一変し日々の行動や言葉が監視される。テレザとの恋のために、亡命せずチェコで暮らし、とうとう医者という天職をも捨てる覚悟をする。トマーシュは言う。人生はたった一度きりだ、その意味で結果は後にならないと分からないが、自分は「そうでなければならない」(Es muss sein!)という運命の重しから逃れたい。そういう運命の重しと正反対にいるテレザとの暮らしに人生を賭けようと決心する。その理由は次のテレザの言葉に見事に集約されている。

「必然性ではなしに、偶然性に不思議な力が満ち満ちているのである。恋が忘れがたいものであるなら、その最初の瞬間から偶然というものが、アッシジのフランチェスコの肩に鳥が飛んでくるように、つぎつぎと舞い降りてこなければならないのである。」(千野栄一訳)

確かにこれはフィクションと現実を混同したいささかロマンチックな言動にすぎないのではないのかと疑う人もあろう。しかしこうした批判にまえもって答えるかのように、人間の生活はそもそも「小説的」構成を成しているのだと語り手は反論する。

「すなわち小説が偶然の秘密に満ちた邂逅(例えば、ブロンスキーとアンナの出会い、プラットフォームと死、あるいは、ベートーベンとトマーシュとテレザとコニャックの出会い)によって魅惑的になっていると非難すべきではなく、人間がありきたりの人生においてこのような偶然に目が開かれていず、そのためにその人生から美の広がりが失われていくことをまさしく非難しなければならないのである。」(千野栄一訳)

これを平たく言えば、二人が偶然に関係を取り結ぶことは前もって決まっている運命ではなく、われわれがよく「縁」と呼んでいるものなのである。ゆえに縁によって結びついた人間の生活の偶然性やその軽さは必ずしも耐え難いわけではない。むしろそれから目を閉ざすことこそトマーシュには耐えがたい。なぜなら未知の可能性へ向かうとき人は不安であると同時に、多様に変化し得る自分と知らない人と出会いコミュニケーションできることへの期待に胸膨らませる生き物でもあるからだ。

先の『ともしび』における《この世のことは何一つわかりっこない》という一見絶望とも希望ともとれる述懐は関係の偶然性というチェーホフの生々しい現実認識を如実に反映している。彼の劇は、ある対象に対して一つの意味づけをするのではなく、複数の対話が織りなすやり取りによってそれぞれの人物の新しい相貌が浮び上がり、それによって平凡なドラマが重層的な意味を獲得し始めるのである。

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第3部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

上記の短編『ともしび』の要約には、チェーホフ文学のリアリズム(現実主義)のエッセンスが凝縮して詰まっている。そもそもチェーホフ戯曲や短編には男女の恋愛の話がきわめて多く扱われているが、そのどれもがピースとピースが噛み合わず成就しない。いつもどこかちぐはぐで、タイミングを逸しているように思われる。そこにはシェイクスピアのロミオとジュリエットのような釣り合った男女のロマンもなく、したがって運命によって引き裂かれる悲劇もない。

むしろ、彼は恋愛というものを何か必然の出会いとして見るよりも、人と人とが偶然に出会い一つの関係を取り結ぶ一種の「劇」として見なしていたといえる。人間と人間の関係はつねに確定的なものではなく、本来劇の配役のように置き換え可能でありながら、何らかの偶然の重なりあいによって今の関係に納まっているにすぎないのではないか。しかし、そこにチェーホフは日々の生活に潜む人間の複数性の源泉を掘り当てたのである。

たとえばチェーホフは『恋について』という短編で、恋愛に象徴される人間関係のあり様を直接に主題として描いている。アリョーヒンは町で、地方裁判所の副議長ルガーノウィチと知り合いにあり、自宅に招かれる。すると、夫と親子ほども年の離れた若い妻アンナ・アレクセーエヴナと出会う。二人は中睦まじい夫婦でアリョーヒンにも親切にしてくれる。やがて彼らと親しく付き合う内に、アンナに魅かれ悩む。そして、彼は恋とは一体何なのかがまるで分らなくなり始める。彼はその時の感情をこう吐露する。

「わたしは不幸でした。家にいても、畑に出ても、納屋にいても、わたしは彼女のことを思い、あの若い美しい聡明な女性がほとんど初老といってもよい(夫は四十を越えていましたから)、退屈な男と結婚して、その男の子供を儲けているという秘密を理解しようと努め、一方では、あれほど退屈きわまる常識でものごとを判断し、舞踏会や夜会ではまるで売られに連れてこられたような従順で無関心な表情をして、誰にも必要のない萎れた姿で偉い人たちのまわりに控えている、あのお人好しで単純な、おもしろみのない男が、それでいながら、幸福になって彼女に子供を産ませる権利を信じきっているという秘密を、理解しようと努めました。わたしはたえず、なぜ彼女がわたしではなく、ほかならぬ彼にめぐり会ったのか、私たちの人生にこんなにも恐ろしい誤りの生ずることが、いったい何のために必要だったのかを、理解しようと努めました。」(原卓也訳)

アリョーヒンとアンナはお互いに魅かれあいながらも愛を打ち明けることができない。なぜなら、心の秘密を打ち明けることがお互いの運命にとって果たして良いことなのかどうか分からないからである。アリョーヒンは彼女の幸せな家庭生活に波風をたて、アンナはただでさえ気苦労の多いこの青年に不幸を増す結果にならないかと恐れたからだ。

いつしか沈黙の中で歳月は過ぎ、やがて別離のときが訪れる。夫のルガーノウィチが西部のある県の裁判所長に任じられて、その地へ赴任することになったからである。その汽車を見送る際、個室で二人の眼差が出会った瞬間、抑えていた気持ちが堰を切ったかのように溢れだす。二人は涙に濡れながら抱きしめ合いキスをして永遠に別れる。アリョーヒンは、「ああ、私たち二人はなんて不幸だったんでしょう!」と振り返る。本当に愛しているならば心配事なんて些細な問題だったろうにと。

ここにあるのも「関係の偶然性」を示す一例である。もし若い男が、釣り合いのとれた若い女と出会い恋を成就するのであれば、恋とは必然的なものであると言える。しかし、実際は、「どうしてこんな奴が!」と言いたくなるほどに、酔いどれの男に従っている女がいたり、わがままな女につくす男がいたり、そうかと思うと親子ほど年の離れたカップルがいるなど釣り合いがとれていない例は世の中では決して珍しくない。すると恋愛は誠に偶然の組み合わせであるとしか言いようがない。そこには「縁」としか呼べない何かがあるのだ。かくして彼の恋愛観に象徴されるように、チェーホフは人間というものが不意に訪れる他者との関係の中でつねに変化する可能性を秘めていることをわれわれに示しているのだ。

こうした観点を押し進めて、チェーホフは『六号室』において人間社会の偽らざる構造を抉り出そうと試みる。医師アンドレイ・エフィームイチは何度も精神科の患者イワン・ドミートリチの話を聞きに病室に通い続けるうちに今度は自分自身が精神病棟に入れられてしまう。だが実は医師アンドレイ自身が精神病患者のドミートリチとの会話でその理由を前もって予言している。

「じゃ、なぜあなたは僕をここに閉じこめておくんです?」

「あなたが病気だからです」

「そう、病気ですとも。しかし、あんたらの無学が健康な人間と病人の区別もつけられないために、何十人、何百人という気違いが自由に歩きまわっているじゃないですか。なぜ僕や不幸な人たちだけが贖罪の山羊のように、みんなの身代わりにこんなところに入っていなけりゃいけないんです?あんたや、助手や、事務長や、この病院の屑どもみんなが、道徳面ではわれわれのだれよりも、くらべものにならぬほど低級なのに、どういうわけでわれわれが入れられ、あんたらは入れられないんです?どこに論理があるんですか?」

「道徳面や論理はこの場合なんの関係もありませんよ。すべてが偶然によって左右されるんです。いれられた人は、閉じ込められるし、入れられなかった人は野放しだ、それだけのことです。わたしが医者であり、あなたが精神科の患者であるということには、道徳面も論理もなく、つまらぬ偶然があるだけなんです」(原卓也訳)

このようにゲシュタルトの地と図が反転するかの如く人間の役割がいつでも入れ換わり可能であるという事実は私を恐れさせる。パスカルがいうようになぜ私はここにいてあそこにいないのか、その根拠はどこにもない。私が平凡な男であって、犯罪者でないのはたんに幸せな偶然によってそうであるに過ぎないのではないか。たまたま貧しい生活を経験しなかったからなのではないか等々。結局は環境や状況が違えば、被害者が加害者になり、その逆もまたありえたのではないだろうか。

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第2部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

しかし、それにしても何の筋も主張もないチェーホフの戯曲や短編小説がなぜ読者を魅了するのか。まずこの核心に後期チェーホフの出発点となった作品『ともしび』に光を当てることから迫りたい。「ともしび」は、ロシアの大地に鉄道を敷設するための夜営地でわたしがたまたま一夜を明かすことになり、そこで働く技師アナニエフと鉄道学校の学生で男爵のフォン・シテンベルグと交わす会話が中心になっている。学生は、この夜営地に広がるともしびを見て次のような感慨を漏らす。

「はてしなくつづいているこのともしびが、いったい何に似ているか、わかりますか?このともしびは、僕の心に、とうの昔に死んでしまった、何千年も前の人たちとか、アマレク人やフィリスチン人の軍営のようなものとかを、思い起こさせるんですよ。(略)」

「かつてこの世には、フィリスチン人やアマレク人が生活し、戦いをまじえ、それぞれの役割をはたしていたんです、ところが今じゃ、彼らの跡さえも消えさってしまったんですからね。僕らだって同じことですよ。(略)」(原卓也訳)

こうした学生の虚無主義に対して、技師は「そういう思想はすてた方がいいよ…」と教え諭すように言う。なぜならそういう虚無だとか生のはかなさというものは人生が終わるときに見えてくるものであって、学生はまだそうした見解を抱くには若すぎるという。少しムッとした学生に対して直接には語らずに、わたしに向かって自分自身のある体験を語り始める。

それは技師がコーカサスへの旅行中立ち寄った故郷N市で幼馴染のキーソチカに再会した出来事であった。かつて可憐で仲間の憧れの的であった彼女には、いまやどこか憂いを帯びたような面影が見える。そして何よりも、母親としての忍従の表情がはっきりとあらわれ、それが少女時代から過ぎ去った月日を痛感させる。彼女は町に残った酔いどれと結婚し、男の子を出産したが一週間して亡くなってしまう。技師は彼女の家に連れていかれ、一夜のアバンチュールを夢見るが、それも所詮は儚い夢と知る。彼女はこの町や自分自身に絶望しつつも次のような言葉をつぶやく。

「人間だれしも、運命によって定められたものに、耐え忍んでいかなければならないんですものね…」(原卓也訳)

技師はこの言葉に胸を締め付けられ、彼女を彼の泊まっているホテルに連れていくと、明日の正午に町の公園で会い、明後日いっしょにピチャゴールスクへ発つことを約束してわかれる。だが、その後で言いようのない不安に襲われて結局、キーソチカを残して夕方には町を離れ、汽車に乗る。彼は苦しみ抜き、この状況において自分の思想が何の役にも立たぬことに愕然とし、次のことを悟る。

「…わたしは、自分の思想など一文の価値もないことや、キーソチカと会うまでは本当に思索していたのではなく、まじめな思想なるものが何を意味するのかという理解すら持たなかったことを、悟ったのでした。いまや、苦しみ抜いた果てに、わたしは、自分には信念も、特定の道徳規範も、人間の心も、理性もなかったことを悟りました。(中略)これまでわたしが、嘘をつくことを好まず、盗みも働かず、人も殺さず、明らかに手ひどいとわかる過ちをしなかったとしても、それは別にわたしの信念の力によるものではなく(そんなものは、もともとないんですからね)、ただ、わたし自身ばからしいと思いながら、いつしかわたしの血や肉にしみこんで、知らず知らずのうちに、人生におけるわたしの行動を支配していた乳母のお伽ばなしや、陳腐な道徳観によって、手足を金縛りにされていただけの話なのです。」(原卓也訳)

学生はこんな話で誰かを説得した気になっているかと腹立たしげに眉をひそめて自分のベッドに入ってしまう。技師とわたしの二人は夜営地のバラックを出てともしびを眺める。すると技師はしばらく黙っていたが、わたしに次のように語りかける。

「男爵先生は、このともしびがアマレク人を思いださせると言ったけど、わたしの感じじゃ、人間の思想に似てますね…そうでしょ、一人一人の人間の思想も、ちょうどこんなふうに、とりとめもなく散らばって、闇の中を一つの線に沿って、どこか、はるかに遠い老年のかなたへ消えさっているんですよ…しかし、哲学はもうたくさんですな!もう、おやすみにしましょう…」(原卓也訳)

次の朝、昨夜ともしびの輝いていた平野や、線路沿いのバラックからぞろぞろと起きだしてくる工夫たちを眺めやりながら、≪この世のことは何一つわかりっこないんだ!≫と心の中で繰り返しつぶやく。そして馬に鞭をあて、この地を後にするのである。

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第1部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

left…実際人間は何かの偶然によって不本意にも悪の世界からこの人生に呼び出されたんですからね―『六号室』より

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフは、1860年1月17日に南ロシアの港町タガンローグで生まれた。それはロシアで農奴解放令が出される前年にあたり、まさにこの国が貴族中心の封建社会から市民平等の近代社会へと大きな転換点を迎えていた時代である。チェーホフの両親もまた農奴出身である。厳格な父親は雑貨商を営んでいたが、やがて破産し家族はチェーホフの仕送りに頼りモスクワの貧民窟で飢えをしのぐ生活を余儀なくされる。チェーホフは苦学して中学を卒業し、1879年に家族と合流してモスクワ大学医学部へ入学する。

そこでチェーホフは学費や生活費を稼ぐために通俗的な短編小説を雑誌に発表するようになる。こうして彼は徐々に作家への道を踏み出していくこととなる。若くして文壇に令名を馳せた彼を《生まれの卑しい幸運児》と呼び、彼の小説の無思想、無主義ぶりをあざける人もいたという。しかし、彼のこうした生い立ちと医師という職業、さらにのちのシベリア旅行の体験が、彼の独自な文学観を形成したことに注目しなければならい。

殊に、当時囚人島と呼ばれたシベリヤ大陸のサハリン(樺太)への受刑事情の調査は彼が自己の文学観を確立する上で決定的な出来事だったとされる。彼がこの旅行から得た確信は次の二つである。第一は、思想よりも事実への透徹した眼差しこそ重要であると認識したことである。彼はこの旅行の後手紙の中で有名な言葉を語っている―「概してロシアでは、事実の方面は恐ろしく貧弱なくせに、議論は恐ろしく豊富だ」。第二に、いわゆるトルストイ主義からの脱却である。トルストイの人道主義・無抵抗主義は確かに素晴らしいものではあるが、人間が生きるという根本的な事実を無視した空論である。人間はその悪もひっくるめて、その総体で人間であらねばならないからである。かくして、あらゆる虚飾をはぎとってあるがままに現実を描くことこそ文学の使命だという彼の独自な「リアリズム」(現実主義)はここに確立したのである。

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サイード『知識人とは何か』―「再帰せる野蛮時代」(ヴィーコ)を生きる知識人

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

知��人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

サイードの仕事は、『オリエンタリズム』に示された様に、文学者(知識人)と帝国主義支配の共犯関係を暴くことに向けられた。しかし、後にサイードは「知識人」と言うものを再び肯定的に捉え、自らその役目を引き受けようとする。ここに後期サイードの転回があるといっても言い過ぎではない。

たとえば知識人の代表格でありそれゆえ攻撃の的になるサルトルは文学者であり、「普遍的」な価値があることを主張していた。それに対して、フーコーは「普遍的」知識人という存在を疑い、グラムシを援用しつつ今や生産関係から超越した司祭型の「伝統的知識人」よりも、「有機的知識人」を重視したように見える。それは手に職を持ちつつ、そこから世界がどう見えるかを訴えるような複数のシステムに属している生活者+指導者のことである。工場労働者でありオピニオンリーダーでもある者だけが大衆文化の何たるかを語れる…。

しかし、サイードはこうしたグラムシの知識人像を受け継ぎながらも、なおも「普遍的」価値を追求することにこだわる。それは一見語義矛盾であるが、人間や知識人の終りを宣言したフーコーさえも街頭デモに率先して参加(アンガージュ)したことを思えば奇異ではない。実はサイードの言う知識人とは「批評性」そのものである。つまり一つの価値システムを自明視せず、外からそれを批判する単独者=亡命者。それは聖ヴィクトルの引用―「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力を蓄えた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」に見事に言い表わされている。

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シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』―根を持たざれば

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

激動のファシズムの時代を生きた、フランスのユダヤ人思想家シモーヌ・ヴェーユの生涯の思索と行動は、カントの道徳哲学の次の命題「他人を手段としてだけでなく、同時に目的としても扱え」に表された、他者をいかに「自由」(倫理)の主体として扱えるかというテーマによって貫かれている。それはつまり、全く考えを異にする次元の異なった二つのものがいかにして出会い、結びつきうるかを問題にしている。その過程で例えば、「対話」、「契約」、「交換」などに他者を自由と見做す契機を見いだそうとした。

そして、こうした考えの基に立った、労働を媒介にした個人の自由に立脚した社会主義運動の構想は、当時の右派・左派のどちらの運動の形態とも異質であった。かの地で彼女の思想がほとんど理解されなかったことは、社会主義の前提である自由主義がいかに西洋でも軽視されていたかが窺える。個人の自由を欠いた運動は、必ずや「村」的な構造(権力のピラミッド構造)に帰着する。それは結局社会から弧絶し、互いに慰め合いの共同体になる。それはだからと言って、極めて暴力的組織になる可能性を排除しない。

しかしヴェイユは同時に、仲間集団を作ることの人間の弱さ・醜さを愛を持って理解していた。彼女が晩年故郷喪失者として「根」を持つことを語ったことは、「根」への希求と不可能性を同時に味わった者の言葉として読まれるべきではないだろうか。

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アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

啓蒙の弁証法―哲��的��想 (岩波文庫 青 692-1)

啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫 青 692-1)

何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の野蛮状態へ落ち込んでいくのか―『啓蒙の弁証法』序文

人は誰しも自分の価値観や基準にしたがって世界を把握したり、 国を治めたりしようとする。そこから人は自分の立場だけは不偏不党で中立だと見なしたがる。それゆえに自ずとその基準からもれる人や価値を誤謬だと判断し、非難してしまう。

伝統的に西洋哲学はこの「同一性」(アイデンティティ)に基づいた体系を重視するあまり、ここからずれる差異(非同一性)を無視し、時には抑圧して成立した。それはあたかも無意識の中に複数の人格が抑圧され、統合されたものが「私」として存在するようなものである。だからそれを一概に否定することはできない。

だが、近代にはこうした合理性を追求する姿勢が徹底化され、すべてを公正で効率的と見える基準やルールで覆い尽くそうとする動きが加速し始めた。そうした文明化の果てに、人間はふたたびファシズムによるユダヤ人迫害・虐殺といった野蛮状態へと落ち込んだのである。

それゆえ、理性がこれを防ぐためには、自己の認識の限界を知った上で、反証してくる他者(自分と価値を共有しない者)との対話によって自らの正しさを解明し続ける永遠の啓蒙主義的態度が不可欠である。それは本書の言葉でいえば、啓蒙とは他人に対する啓蒙から、自分の理性に対する啓蒙に向かわざるを得ない。これが「啓蒙の弁証法」なのである。

具体的に言えば、近代科学はまず自ら仮説を立て、次にこれを実践(実験)によって証明する。そうして反証してくるデータを基に、仮説を修正して理論を打ち立てる。こうして科学は徐々に不可知な領域への認識を拡張していくことができるのである。こうした科学的な態度こそ啓蒙の弁証法の例証である。

何かを認識するためには異質な要素、いわば他者が必要であるという考えは、極めて実践的(倫理的)な動機がうかがえる。彼の哲学が西洋の同一性に閉じ込められた哲学の伝統を超えられたのは、おそらく「アウシュヴィッツ以後」を自らの哲学の原点にしたからである。では「ヒロシマ・ナガサキ以後」を原点にした日本の哲学が生まれないのは何故か。平和憲法を守るべきか否かを考える意味でも、原爆以後人はいかに哲学することができるのかを考えるべきではないだろうか。

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 武士道―文明と野蛮の逆説

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

士道 (岩波文庫)

武士道 (岩波文庫)

日本が日露戦争に勝利した後、明治39年(1906年)に岡倉天心は、英語で出版された最後の著作『茶の本』の中で、次のように述べている。

「・・・一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百 の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見做していた ものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国 と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。・・・もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(『茶の本』岩波文庫)

実は新渡戸稲造がこれに先立つこと明治32年(1899年)にやはり英文で『武士道―日本の魂』を著している。その「武士道」とは批判されている当の武士道よりも、むしろ岡倉の立場に遥かに近いと言える。そこで疑われているのは文明とはすなわち優れたものであるとする自明性である。西欧がアジアやイスラム諸国に行なっていることは文明の名の下に正当化しうるのであろうかと彼らは考えた。本書の中でも新渡戸は武士道の根本は平和主義であると言い切る。彼らの独自なポジションは日本の「外」から、一方で迫り来る西欧文明と、他方で良き封建的遺産を切り捨てて文明化しようとする日本とを同時に批判できることにあった。

そして何より新渡戸の視点が重要なのは、イギリスの封建制と日本の封建性との比較を通して、アジアの中で独自ともいえる日本文化を世界史の中に位置づけ、西洋との類似性を際立たせたことにある。つまり、それは中国やイスラムなどの古代文明の中心地から海を隔てた「亜周辺」(ウィットフォーゲル)と呼ばれる地域でのみ花開く文化・諸制度である。例えば、民主主義や資本主義はここからしか生まれ得ない。この1899年前後を境として、日本は世界の一等国としてナショナリズムを強めてゆく。かくして彼の世界市民的視点は見失われ、今や単なる保守主義の思想に祭り上げられてしまったのである。

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ウィリアム・モリス『理想の書物』―芸術は誰のためにあるか

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で叙述したように、一九世紀末のヴィクトリア朝のブルジョア階級の台頭の裏で、労働者階級の生活は困窮化していた。貧しさから路上に投げ出される人の群れは日ごとその数を増していった。貧窮院は何の助けにもならず、むしろ強制的な労働を課されることを恐れて人々は収容されること自体を嫌った。チャーチスト運動以後やや下火になりつつあったイギリスの労働運動も今や再び盛り上がりを見せ始めていた。

こうした時代背景の中で、先行世代のワーズワースやシェリーといったロマン主義左派の流れを引く詩人・美術工芸家ウィリアム・モリスは、美術批評家のジョン・ラスキンらとともに、アーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれるモダンデザインの先駆けともなる新たな芸術運動を始める。かねてからマルクスの思想に深く傾倒していたモリスは自らの運動が、議会による改革を目指すフェビアン協会の社会民主主義路線とも一線を画し、J・S・ミル以来のイギリスのリベラリズム(自由主義)の伝統に依拠した独自な社会運動たることを同時に目指した。

それは複数の芸術家・経営者が個人の自発的な「契約」によって自前の小規模な会社をつくり真に働く喜びのある社会を取り戻そうとするものである。殊に彼らが理想とするのは高い技術に支えられた中世の職人たちのギルドであり、工場制手工業(マニュファクチャ)に基づく工房での協業と分業による集団制作の復活であった。それは近代以降の諸ジャンルの芸術家が社会から孤立してひとり黙々と創作することへの批判であり、同時に、工場で資本家の下で多量の労働者が集められ、機械の下に服従して生産が行われる産業形態に対する痛烈な批判でもあった。

しかし、アメリカの経済学者ヴェブレンが指摘したように、モリスらの労働者のための芸術による社会改良運動は極めて皮肉な結果を生んだ。つまり、モリスをはじめとするアーツ・アンド・クラフツのメンバーによる優れた美術工芸品の数々は一つ一つ手仕事で作られていたため希少でしかも高価であった。このため受注する仕事は教会建築の修復を除けば、そのほとんどは当時台頭しはじめていた生産に携わらなくても何不自由なく暮らしていける「有閑階級」(Leisure Class)と呼ばれる顧客によって賄われていたのである。

特に「有閑階級」と呼ばれる人々は廉価な機械製品に対して高価な手仕事の家具などを買うことが他人への見せびらかしのために大いに必要であったからである。これはイギリスにおいてすで大衆消費社会の萌芽が現れ始めていたことを意味する。かくしてモリスらの活動は、一方で、他人志向的な有閑階級のあくなき消費、他方で困窮しきった労働階級の過激化という社会の分裂と矛盾の間で引き裂かれてしまうのだった。

庶民から離れた「高級な芸術」に対して「民衆の芸術」の素晴らしさを生涯説き続けていたモリスにとってこの事実は苛酷であった。芸術家としての名声は高まる一方でも、実際に困窮する人々を救うことができない無力さを誰よりも感じていたのは彼自身であっただろう。こうした中で彼は晩年ケルムスコット・プレスと呼ばれる印刷所で中世の製本の再現の仕事にのめり込んでいく。芸術は社会とのかかわりのなかでいかにあるべきか。本書は彼がそのとき何を思い、そして何故彼の芸術が今日のわれわれをも魅了し続けるかの秘密をそっと示してくれるだろう。

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