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Shota Maehara's Blog

Archive for 2009年9月16日

我が心の詩人―ヘルマン・ヘッセ

Posted by Shota Maehara : 9月 16, 2009

僕は、僕の内部からひとりでに出てこようとするものだけを、生きてみようとしたにすぎない。それがなぜ、あれほど難しかったのだろうか。―「デミアン」―

すべての人間の生活は、自分自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である、どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている・・・われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。―「デミアン」―

彼は、恋をすることによって同時に自分自身を見いだしたのであった。しかし、大抵の人々は、恋をすることで自分自身を失ってしまうのである。―「デミアン」―

世の中に実に美しいものが沢山あることを思うと自分は死ねなかった。だから君も死ぬには美しすぎるものが、人生には多々あることを発見するようにしなさい。

救いの道は右にも左にも通じていない。それは自分自身の心に通じる道である。そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある。―「放浪」―

信仰と懐疑とは互いに相応ずる。それは互いに補(おぎな)い合う。懐疑のないところに真の信仰はない。―「クリストフ・シュレンプフの追悼」―

愛されるというのは幸福ではない。でも、愛すること、これは幸福です!―「クラインとワーグナー」―

–ヘルマン・ヘッセ–
Hermann Hesse (ヘルマン・ヘッセ)ドイツの作家。南西ドイツの静かな田舎町に生まれた。その85年の悩み多き生涯の中で、おびただしい数の作品を残したが、一貫して「内面への道」を追求しつづけた。作品として『シッダールタ』『車輪の下』『デミアン』『荒野の狼』『ナルチスとゴルトムント』など。時代や名前は違ってもそこには常に「一人の主人公」しかいない。人生の中で出会う人物・出来事、それを通して、いかなる変化が生じたか。「いかにして私自身に到達することができたか、いかにしてより深い自己を発見しうるか。」こうした問いに取り組みつづけた魂の記録として、時代を超えて、静かに読みつがれる作家である(1877-1962)

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