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Shota Maehara's Blog

朝の祈り

Posted by Shota Maehara : 7月 12, 2009

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“・・・どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。”―ピリピ人への手紙、第二章、第二節‐第四節

わたしは朝、必ず心の中で自分に言い聞かせていることがある。それは、「すべての他人(ひと)を自分よりも優れた者と見なし、心から謙りなさい」という新約聖書ピリピ人への手紙から教えられた大切なメッセージである。

ではなぜすべてなのだろうか。一般的に、自分よりも優れた人もいればそうでない人もいると考えるのが普通だろう。だが、そうした考えは他人を見下し、差別し、そして自らを傲慢にし、人を蹴落とそうとする人間の弱い部分が首を擡げてくる始まりである。だからこそ、私はあえてすべての人と心の中で祈るのだ。

その祈りによって、自分がどれだけ学んでいったとしても、少しも偉くはならないということを知ると同時に他人からも学び続けることができる。学ぶこと、すなわち知性と、信仰、すなわち愛とは密接不可分な人生における二本のレールの如きものである、と私は思う。

しかし、現代人はこのことを忘れてしまったのではないか。他人を批判するときほんの一瞬でも自分の方が偉いと思ってはいないだろうか。もしそうならそんな形で知性を用いるのは今すぐにでもやめてしまった方がいい。相手と自分を共に精神的に貧しくするだけだ。

なぜなら、それは批判のための批判にすぎず、相手の気力や体力を奪うだけの貧しい知性の働きだからだ。むしろ、人を喜ばせるために知性は用いるられるべきだ。わたしは昨今の言論の現状を見て切実にその必要性を認識し直すべき時であるように思う。

主よ、今日も一日が始まります。願わくば知と愛の働きを通して、自分自身ではなく神の御名が崇められますように。わたしの小さな行いによって、一人でも多くの人が自らの間違いに気付き、迷いから正しい道へと連れ戻され、心に平安が訪れますように。わたしの人生の主人は私ではなく、神なのですから、私はその御心のままに生きます。今日も一日の糧をお与え下さい、あなたの道をお示し下さい、またそれを聞き従える謙虚な自分でありますように。 

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