I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

「聖なるもの」としての信仰者ーレビ記19章2節から

Posted by Shota Maehara : 1月 26, 2013

060209_dismas_thumb「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。」ーレビ記19:2

この聖句から、私たちは神によって「聖なのもの」とされるが、同時に聖なるものとなることを求められてもいるというメッセージが読み取れる。

しかし、それは決して義務ではない。もし義務感で人間が礼拝を捧げても神は喜ぶだろうか。そこに人間の自由意思の余地が神によって残されている理由がある。

すなわち、先に神の愛による救いがあり、自らの行いによらず、存在の喜びに立って私たちは生きることができる。そして、もしその喜びと感謝が大きければ、自ずと神の愛に応答して積極的に生きたいという気持ちが生まれる。このことを神は人間に望んでいらっしゃるのではないだろうか。

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