I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

信仰のリバイバルのための哲学入門

Posted by Shota Maehara : 1月 24, 2013

9.11人間の価値とは、他の人との関係性の中に埋め込まれていますが、それゆえ各々が自分の価値を相手に認めてもらうために承認をめぐる闘争が起こります。例えば、職場では、同僚が能力を誇示し合っているために、ギスギスしているなど光景がよく見られます。

ここから分かるのは人間の関係は根本的に暴力を孕んでいるということです。さらに、20世紀に入り、フロイトは今まで理性を持った合理的な存在だと思われていた人間の根底に「無意識」という領域を発見し、その領域には「生の欲動」に加えて、「死の欲動」という人間の攻撃性が横たわっていることを主張したのです。

日本の哲学者の柄谷行人氏は、『倫理21』の中で、神戸の須磨区の少年による連続殺人事件などを深く掘り下げながら、人間の攻撃性はどんなに平和的な教育をしても完全になくならないと主張しています。

もちろん哲学は理性によって、その対立や暴力を緩和するために歴史的に国家を作り、あるいは貨幣を作りました。また国連を創設するなどこうした国家と国家の暴力性を抑止するための方法を考えてきました。

しかし、そのどれも今日のグローバルな規模での格差や民族主義あるいはイスラム教徒などの宗教対立の前に無力となってきています。そして人間の暴力性を抑制するために文明が考え出した「教育」というシステムも日本において崩壊しつつあります。

では、この危機の時代に、キリスト教の聖書や神学を学んでいる私たちはどう応答して言ったらいいのでしょうか?福音は、主イエス・キリストこそがこのような人間の罪による無限の対立に終止符を打つべく地上に来て、救いの道を備えてくださったのだと私たちに示しておられるように思います。その上で、各自がなすべきことを実践していくことが今、求められているのではないでしょうか。

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