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Shota Maehara's Blog

ふたたび和解と希望について―脱原発デモの終焉

Posted by Shota Maehara : 1月 21, 2013

反原発デモ首相官邸などの脱原発デモ関係者の間では無力感が広がっているそうです。自分たちの考えとは逆の方向に日本が進んでしまったことからくる挫折感のようです。もしこれを悪しき前例としてデモのない国に戻るとしたら問題です。大切なのは経験であってデモだけでは不十分であるということを学ぶことです。

またキリスト者は粛々と社会に倫理的な議論ができる土台作りを続けていくべきであると思います。人間の基準はかならず時とともに変化しますが、神の基準は変わることがありません。聖書に示された神の義に照らして、私はこの原発の問題に反対をし続けていくつもりでおります。

しかし、脱原発デモが終焉した今、私が左翼の理論家やキリスト教関係者に愛をもって問いかけたいのは、人間や社会を一足飛びに理想主義的に描かないで欲しいということです。例えば、即全原発廃炉、世界平和などは一度でも社会に出て働いた経験があれば無理だと容易に分かるでしょう。

だから、左翼は現実主義を共に持ち合わせ、キリスト者は人間の攻撃性や原罪の根深さをも直視すべきだと思うのです。その長い過程を経て、理想や福音を語ることができるならばその教えは「力」を持ち、人々の心に強い影響を与えることができるでしょう。

レ・ミゼラブル1例えば、「レ・ミゼラブル」が文学作品として、ローマ書7章の惨めな罪の意識で苦しみ、辛うじて光が差してくるところで終わって、8章以降の福音の圧倒的な喜びが語られていないことは欠点ではなく、むしろ優れた文学作品であることの証しです。

なぜなら、そこにいつの時代も大半の人々が陥っている救われない現実があるからです。その逆境の中で、キリスト者がいかに福音の力を現代に蘇らせることができるのかが問われているのだと思います。

主よ、福音は心の貧しきものに宣べ伝えられると教えてくださいました。それは奇跡にも思われました。しかし、確かに私たちは救われここに立っております。どうかキリストに召し出された者として、世の光として、この世界に生きる私たちを御光によって輝かせてください。アーメン。

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