宗教改革についてのノート
Posted by Shota Maehara : 8月 16, 2012
16世紀の宗教改革は、新約聖書の中のローマ書の次に私が重要視する研究テーマである。ここに最低限の基礎知識を書き記しておこう。
「宗教改革が提起したものは、時代が要求する人間の魂の「神への限りない飢え」にキリスト教がいかに応えるかということであった。」―『詳説・世界史研究』(山川出版社、2008年、296頁)
「ルターやカルヴァンは、聖書から直接神のことばを学び、「信仰によってのみ」神の恩寵がえられるとし、神と人との間にカトリック教会が介在することを否定したのである。」―同書、269頁
「キリスト者は自己自身において生きるのではなく、キリストと自己の隣人において、すなわちキリストにおいては信仰をとおして、隣人においては愛をとおして生きる」―マルティン・ルター『キリスト者の自由』
少しここで簡単に整理してみると、歴史的な記述ではルターやカルヴァンの宗教改革の思想基盤は次の三つである。すなわち、「聖書主義」(信者が直接神のことばを学ぶ)、「信仰義認」(人間の行為ではなく、神への信仰によって救われる)、「万人祭司主義」(教会の司祭ではなく、各自でが自己の信仰生活を守る)。
しかし、こうした記述からは宗教改革の真の意義は触れられず、こぼれ落ちてしまっているのではないかと私は恐れる。おそらくルターにとって、「信仰」とは、自分の人生を振り返ってみた時、惨めな自分がそれにもかかわらず、命の綱をしっかりと握られてここにあるという生の確信なのではないだろうか。
いずれにしても、プロテスタントもカトリックもなく、主イエス・キリストへの信仰を告白するという点で一致して、人々の生き方、社会の進むべき道をともにさし示すことができたらどんなに素晴らしいかと思う。子供っぽい夢想だと笑われてしまうかもしれないが。
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