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Shota Maehara's Blog

宗教改革の光と影 5―カール・バルト「ハイデルベルク信仰問答」を読む

Posted by Shota Maehara : 7月 3, 2012

聖徒の交わり

私と私の信仰が、神の道の目標ではなく、むしろ神の業の完遂がその目標である。神は、一つの光を、地上に点じ給うた。私は、地上に一つの教団が―しかも神の子によって基礎づけられた一つの教団が存在することを信ずる。ここでは、人間が優先的に働くのではなくて(もちろん、ここでは神に対する賛美が鳴り響き、祈られ、宣べ伝えられるが)、一切がイエス・キリストの先手(イニチアティーヴェ)によって起る。そこでわれわれが出会うのは、イエス・キリストの活動である。そこでは、神御自身が「集め・守り・保ち給う」のである。教会の設立とその保持は、彼に依存する。彼が存さぬところ、そこには、何物も存しない。すべての異端的な・また死んだ教会主義の根拠は、そこではキリストがもはやただ独りの創始者として、理解されていないということである。「また、私が、その群れの活ける肢(えだ)であり、いつまでも肢として留まるであろうということ…」。教団(ゲマインデ)の活ける肢であるということ、それがキリスト者であるということである。そして、ここにおいてこそ、「教会の外に救いなし」(extra ecclesiam nulla salus)という言葉が、全き厳格さにおいて妥当する。ハイデルベルク信仰問答が、一人一人のキリスト者の現実存在を、いわばただ教団(ゲマインデ)の現実存在に対する補遺としてだけ、述べているということは、美しいことだと言い得るであろう。しかし、他方から言えば、ここにおいてこそ、問題は一人一人の個人にかかっているのである。―カール・バルト 「キリスト教の教理―ハイデルベルク信仰問答による」(『カール・バルト著作集9』、四一九頁)

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