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Shota Maehara's Blog

宗教改革の光と影 2―カール・バルト「ハイデルベルク信仰問答」を読む

Posted by Shota Maehara : 7月 3, 2012

神の判決

人間は、神の正常性(レヒト)を破壊することによって、自分自身の正常性(レヒト)を失うのである。―カール・バルト 「キリスト教の教理―ハイデルベルク信仰問答による」(『カール・バルト著作集9』、三六四頁)

神の義

神がただ一人のイエス・キリストにおいて、御自身の正常性(レヒト)と人間の正常性(レヒト)を同時に保証し、またイエス・キリストにおいて、御自身の栄光と同時に人間の祝福を確保し給うたことによって、人間によって乱された秩序は回復され、人間を脅かす危険は回避された。このことがイエス・キリストにおいて起ったということが、人間の望みであり、一切の慰めの根底である。―カール・バルト 「キリスト教の教理―ハイデルベルク信仰問答による」(『カール・バルト著作集9』、三七〇頁)

イエス・キリストは、神の御前において、人間の責任を引き受け給う。彼は罪に対して、「償い」給う。彼は、神の怒りを忍び、まさにそのことによって、人間の正常でない状態を除去し給う。彼は神と人間を、再びその正常性(レヒト)に移し給う。これがキリストという出来事であることによって、この出来事は、われわれの救いであり、したがって、それによって義が「満たされる」神の憐みの行為である。―カール・バルト 「キリスト教の教理―ハイデルベルク信仰問答による」(『カール・バルト著作集9』、三七三頁)

教団(ゲマインデ)は、イエス・キリストの中に「唯一の慰め」を認識し賛美する場合に、自分のなしていることを知るのである。イエス・キリストは、現身(うつしみ)の神の義であり、神の憐みである。―カール・バルト 「キリスト教の教理―ハイデルベルク信仰問答による」(『カール・バルト著作集9』、三七五頁)

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