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Shota Maehara's Blog

宗教改革の原点―「ハイデルベルク信仰問答」の特徴

Posted by Shota Maehara : 7月 1, 2012

『ハイデルベルク信仰問答』の中心的概念が、問1に現われる「慰め」にあることは言うまでもありません。

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。

答 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
  
 この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
 
 また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。

 そしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜びまたそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。

 しかし、この概念は、聖書全体を体系的に説明するためのものではなく、イエス・キリストの福音の本質を端的に言い表した信仰の言葉です。人間の業によってではなくイエス・キリストを信じる信仰ののみによる救いの発見、この福音に唯一の「慰め」を見出したことが、宗教改革の原点でした。混沌とした時代にあって、文字通りこの慰めとともに生きそして死んでいった人々にとって、問1の答えは偽らざる信仰の告白であったに違いありません。

 しかしながら、この「慰め」というモティーフは、決してセンチメンタルなものではありません。生も死も、自己の存在のすべてが、ただキリストに根ざすという信仰の確信に基づくものです。それはまた、父・子・聖霊の神の過去・現在・未来にわたる御業の真実また確かさに対する、全人格的信頼の告白に他なりません。罪の悲惨に生きる人間が自分自身ではなく神の大いなる御業のうちに生きる者へと変えられて行く、そのことが私たちの喜びであり神賛美となる、と言うのです。

 この目的に至るために、『ハイデルベルク信仰問答』は、人間の悲惨さ(問3―11)・救い(問12―85)・感謝(問86―129)の三つの知識が必要であると言います(問2)。これは基本的には新約聖書の「ローマの信徒への手紙」の構造にならったものですが、一キリスト者が信仰を会得して行く過程を繁栄しており、信仰問答全体がキリスト教信仰の一つの道程となっているとも言えます。さらに、『ハイデルベルク信仰問答』の作者たちは、答えの一言一言が人々の心からの告白となるように実に細かな配慮をしています。彼らは、すべての主要教理を十分熟知した上で、それらを問答の中に巧みに取り入れ血肉化する努力をしているのです。そのような作者たちの努力と祈りが、この信仰問答書に独自の深みと温かさを与えていると言えるでしょう。
―『ハイデルベルク信仰問答』(新教出版社、吉田 隆訳、一二九頁~一三〇頁)

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