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Shota Maehara's Blog

ヘーゲルの哲学を読む3―思考について

Posted by Shota Maehara : 1月 2, 2012

必然性から自由への移行、あるいは、現実から概念への移行は、難解この上ない。自立した現実とは、他への移行や自分とは別の自立した現実との一体化のなかでのみその実体性をもつのだ、という思想がそこにこめられているのだから。概念がこの上なく難解なのも、概念こそがそうした一体化の運動だからである。一方、現実の実体たる原因は、おのれの自立存在のうちにいかなるものの介入もゆるさないのだから、まさにそれゆえに、他から設定されるものへと移行する必然性(運命)にさらされている。その理路がまた難解この上ない。

ところで、この難解さを解きほぐすには、必然性を思考するのが一番である。思考とは、自己が他者のうちで自己と出会うことであり、抽象化に逃げを打つのではなく、現実が必然性の力によって他の現実と結びつくとき、自分を他者としてではなく、みずから設定したみずからの存在としてとらえるような解放の力なのだから。この解放の力は、自分とむきあう実在としては「自我」であり、全体性へと発展したものとしては「自由な精神」であり、感覚としては「愛」であり、満足の状態としては「至福」である。スピノザの実体には偉大な直観がこめられているが、それは人を有限な自立存在から解き放つ潜在的な力にすぎない。概念そのものこそ必然性の力とむきあい、現実に自由となった運動である。(ヘーゲル『論理学』三三八~三三九頁)

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