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Shota Maehara's Blog

カール・バルトを読む―キリストという出来事をめぐって

Posted by Shota Maehara : 3月 23, 2011

二〇世紀の最大の問題の一つが、ナチスドイツや日本の軍部によるファシズムであった点に異論はないであろう。近代は、デカルト以来、自己をあらゆる認識・存在の中心に置き、そこから科学を発展させ繁栄を築いてきた。

しかし、そうした理性や科学の時代こそが、ナチスを生んだのである。したがって、ナチスなどの国家に対して啓蒙主義的(=合理主義的)批判は無力であった。なぜなら、遥かにナチスドイツのほうが科学的合理性(優性遺伝子、メディア操作、原子力、ガス室など)を援用して民族を指導したからである。

では、ここにおいて何がこうした歴史の流れを押しとどめる力となりえるのか。その答えはスイスの神学者・カール・バルトにとって、神であるよりもむしろ、イエス・キリストをめぐる出来事であった。

おそらくバルトはこうしたキリストに対する認識をキルケゴールから得たのではないかと考える。それはバルトがやはりキルケゴールの強い影響を受けて、『ローマ書講解』を書き、それは時に「弁証法神学」とも呼ばれもしたからである。

ここでイエス・キリストとは無論、超越者ではない。むしろ、ありふれた隣人である。だが、この無限なる神がまさに地上に有限者として存在し給うたということ。ここにキリスト教の核心であるパラドックス(逆説)が存在するのである。

この他者性をもったイエス・キリストという出来事こそが、歴史に埋没しない特異な力でいまも我々を正しい道に連れ戻そうと呼びかけている。後期の彼の畢生の大作『教会教義学』はこのキリストの出来事を中心にして展開されていくのである。

本書は、こうした二〇世紀最高の神学者カール・バルトの全仕事を俯瞰することができる画期的なコレクションである。訳者である天野有氏に最大級の賛辞を送りつつ、日々紐解かせていただいている。

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