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Shota Maehara's Blog

バルメン宣言

Posted by Shota Maehara : 3月 17, 2011

ナチズムとそれに迎合する「ドイツ的キリスト者」と戦うため、
ルター派、改革派、合同派が一致して行った信仰告白.。
 主に、20世紀を代表する神学者カール・バルトが起草した。
重要なのは後半部分にある6つのテーゼである。原典つき。

バルメン宣言
 
ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学的宣言(バルメン宣言)

1934年5月29-30日、バルメン告白会議の神学的宣言

 ドイツ福音主義教会は、その1933年7月11日の憲法前文に従えぱ、宗教改革から生まれた等しい権利をもって並存している諸告白教会の同盟である。それらの諸教会を結合している神学的前提は1933年7月14日に政府によって承認されたドイツ福音主義教会の憲法第一条および第二条第一項において次のように述べられている。

 第一条ドイツ福音主義教会の侵すべからざる基礎は、聖書においてわれわれ証しせられ宗教改革の信仰告白において新しく示されたイエス・キリストの福音である。教会がその使命のために必要とする一切の権限は、その事実によって規定され、且つ制限されている。

 第二条第一項ドイツ福音主義教会は、諸教会(州教会)に分かたれる。

 ドイツ福音主義教会の告白会議に集ったわれわれルター派教会、改革派教会、合同派教会の代表者、および独立したもろもろの教会会議、諸大会、諸団体の代表者は、われわれがドイツの告白諸教会の同盟としてのドイツ福音主義教会という地盤の上に、共に立っていることを宣言する。その際われわれを結合するものは、一にして聖なる普遍的な使徒的教会のただひとりの主に対する信仰告白である。

 われわれは、この信仰告白の連帯性と同時にドイツ福音主義教会の一致が、極度の危険にさらされているという事実を、ドイツにおける全福音主義教会の前に、公に宣言する。それが脅かされているのは、ドイツ福音主義教会成立の最初の年に次第に明らかとなってきた、ドイツ・キリスト者という有力な教会的党派およびその党派によって支持されている教会当局の指導方式・行動方式による。この脅威というのは、ドイツ福音主義教会を統一している神学的前提が、ドイツ・キリスト者の指導者・代表者によっても、また教会当局によっても、たえず根本的に他のさまざまの前提によって妨害され無効なものにされているという事実である。われわれの間で効力を持っているどの信仰告白に従っても、もしそのような諸前提が通用するならば、教会は教会でなくなる。従ってそのような諸前提が通用するならば、ドイツ福音主義教会もまた、告白教会の同盟として、内的に不可能となるのである。

 われわれは今日、この事柄に関して、ルター派・改革派・合同派各教会の肢々として、共同して語りうるし、また語らねばならない。われわれがそれぞれの異なった信仰告白に対して忠実でありたいと願い、またいつまでも忠実でありたいと願うゆえにこそ、われわれには沈黙が許されない。それは、共通の困窮と試練の一時代の中にあって、われわれは一つの共通の言葉を語らされると信ずるからである。このことが告白教会相互の関係にとって、どのようなことを意味しようとも、われわれはそれを神に委ねる。

 われわれは、教会を荒廃させ、そのことによってドイツ福音主義教会の一致をも破壌する「ドイツ・キリスト者」および今日のドイツ教会当局の誤謬に直面して、次の福音主義的諸真理を告白する。

第1テーゼ

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれもわたしによらないでは、父のみもとに行くことができない」(ヨハネによる福音書14・6)

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た人は、みな盗人であり、強盗である。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」(ヨハネによる福音書10・7、9)

 聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。

 教会がその宣教の源として、神のこの唯一の御言葉のほかに、またそれと並んで、さらに他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認しうるとか、承認しなければならないとかいう誤った教えを、われわれは退ける。

第2テーゼ

「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」(コリントの信徒への手紙一1・30)

 イエス・キリストは、われわれのすべての罪の赦しについての神の慰めであるのと同様に、またそれと同じ厳粛さをもって、彼は、われわれの全生活にたいする神の力ある要求でもある。彼によってわれわれは、この世の神なき束縛から脱して、彼の被造物に対する自由な感謝にみちた奉仕へと赴く喜ばしい解放を与えられる。

 われわれがイエス・キリストのものではなく他の主のものであるような、われわれの生の領域があるとか、われわれがイエス・キリストによる義認と聖化を必要としないような領域があるとかいう誤った教えを、われわれは退ける。

第3テーゼ

「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされています」(エフェソの信徒への手紙4・15、16)

 キリスト教会は、イエス・キリストが御言葉とサクラメントにおいて、聖霊によって、主として、今日も働きたもう兄弟たちの共同体である。教会は、その服従によっても、またその信仰によっても、その秩序によっても、またその使信によっても、罪のこの世にあって、恵みを受けた罪人の教会として、自分がただイエス・キリストの所有であり、ただ彼の慰めと指示とによってだけ彼が現われたもうことを期待しつつ生きているということ、生きたいと願っているということを証ししなければならない。

 教会が、その使信やその秩序の形を、教会自身の好むところに任せてよいとか、その時々に支配的な世界観的確信や政治的確信の変化に任せてよいとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。

第4テーゼ

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイによる福音書20・25、26)

 教会にさまざまな職位があるということは、ある人びとが他の人びとを支配する根拠にはならない。それは、教会全体に委ねられ命ぜられた奉仕を行なうための根拠である。

 教会が、このような奉仕を離れて、支配権を与えられた特別の指導者を持ったり、与えられたりすることができるとか、そのようなことをしてもよいとかいう誤った教えを、われわれは退ける。

第5テーゼ

「神を畏れ、王を敬いなさい」(ペトロの第1の手紙2・17)

 国家は、教会もその中にあるいまだ救われないこの世にあって、人間的な洞察と人間的な能力の量(はかり)に従って、暴力の威嚇と行使をなしつつ、法と平和とのために配慮するという課題を、神の定めによって与えられているということを、聖書はわれわれに語る。教会は、このような神の定めの恩恵を、神にたいする感謝と畏敬の中に承認する。教会は、神の国を、また神の戒めと義とを想起せしめ、そのことによって統治者と被治者との責任を想起せしめる。教会は、神がそれによって一切のものを支えたもう御言葉の力に信頼し、服従する。

 国家がその特別の委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、したがって教会の使命をも果たすべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。

 教会がその特別の委託をこえて、国家的性格、国家的課題、国家的価値を獲得し、そのことによってみずから国家の一機関となるべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは退ける。

第6テーゼ

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28・20)

「しかし、神の言葉はつながれていません」(テモテへの手紙二2・9)

 その中にこそ教会の自由の基礎があるところの教会への委託は、キリストに代わって、したがってキリスト御自身の御言葉と御業に説教とサクラメントによって奉仕しつつ、神の自由な恵みの使信を、すべての人に伝えるということである。

 教会が、人間的な自立性において、主の御言葉と御業を、自力によって選ばれた何かの願望や目的や計画に奉仕せしめることができるというような誤った教えを、われわれは退ける。

 ドイツ福音主義教会の告白会議は、以上のような諸真理を承認し、以上のような諸誤謬を退けることが、諸教会の同盟としてのドイツ福音主義教会の不可欠の神学的基礎と考えることを宣言する。この告白会議は、その宣言に賛同しうるすべての人々に対して、彼らが教会政治的決断を行う際に、この神学的認識を記憶するように要求する。またかかわりあるすべての人々が、信仰と愛と希望の一致の中へと、帰り来るようにこいねがう。

Verbum Dei manet in aeternum(神の言葉はとこしえに保つ)

<邦訳は信条集(新教出版社)のテキストに若干手を加えた。テーゼ部分は宮田光雄「十字架とハーケンクロイツ」(同)所収の訳文。ただし、引用聖句は新共同訳を基本にドイツ語原文と整合性を持たせた>

 
 
Die Barmer Theologische Erklärung
 
Theologische Erklärung zur gegenwärtigen Lage der Deutschen Evangelischen Kirche

Die theologische Erklärung der Bekenntnissynode von Barmen vom 29. bis 31. Mai 1934.

Die Deutsche Evangelische Kirche ist nach den Eingangsworten ihrer Verfassung vom 11. Juli 1933 ein Bund der aus der Reformation erwachsenen, gleichberechtigt nebeneinanderstehenden Bekenntniskirchen. Die theologische Voraussetzung der Vereinigung dieser Kirchen ist in Art. 1 und Art. 2,1 der von der Reichsregierung am 14. Juli 1933 anerkannten Verfassung der Deutschen Evangelischen Kirche angegeben

Art. 1: Die unantastbare Grundlage der Deutschen Evangelischen Kirche ist das Evangelium von Jesus Christus, wie es uns in der Heiligen Schrift bezeugt und in den Bekenntnissen der Reformation neu ans Licht getreten ist. Hierdurch werden die Vollmachten, deren die Kirche für ihre Sendung bedarf, bestimmt und begrenzt. Art. 2: Die Deutsche Evangelische Kirche gliedert sich in Kirchen (Landeskirchen).

Wir, die zur Bekenntnissynode der Deutschen Evangelischen Kirche vereinigten Vertreter lutherischer, reformierter und unierter Kirchen, freier Synoden, Kirchentage und Gemeindekreise erklären, daß wir gemeinsam auf dem Boden der Deutschen Evangelischen Kirche als eines Bundes der deutschen Bekenntniskirchen stehen. Uns fügt dabei zusammen das Bekenntnis zu dem einen Herrn der einen, heiligen, allgemeinen und apostolischen Kirche.

Wir erklären vor der Öffentlichkeit aller evangelischen Kirchen Deutschlands, daß die Gemeinschaft dieses Bekenntnisses und damit auch die Einheit der Deutschen Evangelischen Kirche aufs schwerste gefährdet ist. Sie ist bedroht durch die in dem ersten Jahr des Bestehens der Deutschen Evangelischen Kirche mehr und mehr sichtbar gewordene Lehr- und Handlungsweise der beherrschenden Kirchenpartei der

Deutschen Christen und des von ihr getragenen Kirchenregimentes. Diese Bedrohung besteht darin, daß die theologische Voraussetzung, in der die Deutsche Evangelische Kirche vereinigt ist, sowohl seitens der Führer und Sprecher der Deutschen Christen als auch seitens des Kirchenregimentes dauernd und grundsätzlich durch fremde Voraussetzungen durchkreuzt und unwirksam gemacht wird. Bei deren Geltung hört die Kirche nach allen bei uns in Kraft stehenden Bekenntnissen auf, Kirche zu sein. Bei deren Geltung wird also auch die Deutsche Evangelische Kirche als Bund der Bekenntniskirchen innerlich unmöglich.

Gemeinsam dürfen und müssen wird als Glieder lutherischer, reformierter und unierter Kirchen heute in dieser Sache reden. Gerade weil wir unseren verschiedenen Bekenntnissen treu sein und bleiben wollen, dürfen wir nicht schweigen, da wir glauben, daß uns in einer Zeit gemeinsamer Not und Anfechtung ein gemeinsames Wort in den Mund gelegt ist. Wir befehlen es Gott, was dies für das Verhältnis der Bekenntniskirchen untereinander bedeuten mag. Wir bekennen uns angesichts der die Kirche verwüstenden und damit auch die Einheit der Deutschen Evangelischen Kirche sprengenden Irrtümer der Deutschen Christen und der gegenwärtigen Reichskirchenregierung zu folgenden evangelischen Wahrheiten:

1. „Ich bin der Weg und die Wahrheit und das Leben; niemand kommt zum Vater denn durch mich.“ (Joh. 14, 6)

„Wahrlich, wahrlich, ich sage euch: Wer nicht zur Tür hineingeht in den Schafstall, sondern steigt anderswo hinein, der ist ein Dieb und ein Mörder. Ich bin die Tür; so jemand durch mich eingeht, der wird selig werden.“ (Joh 10,1.9)

Jesus Christus, wie er uns in der Heiligen Schrift bezeugt wird, ist das eine Wort Gottes, das wir zu hören, dem wir im Leben und im Sterben zu vertrauen und zu gehorchen haben.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als könne und müsse die Kirche als Quelle ihrer Verkündigung außer und neben diesem einen Worte Gottes auch noch andere Ereignisse und Mächte, Gestalten und Wahrheiten als Gottes Offenbarung anerkennen.

2. „Jesus Christus ist uns gemacht von Gott zur Weisheit und zur Gerechtigkeit und zur Heiligung und zur Erlösung.“ (1. Kor 1,30)

Wie Jesus Christus Gottes Zuspruch der Vergebung aller unserer Sünden ist, so und mit gleichem Ernst ist er auch Gottes kräftiger Anspruch auf unser ganzes Leben; durch ihn widerfährt uns frohe Befreiung aus den gottlosen Bindungen dieser Welt zu freiem, dankbarem Dienst an seinen Geschöpfen.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als gebe es Bereiche unseres Lebens, in denen wir nicht Jesus Christus, sondern anderen Herren zu eigen wären, Bereiche, in denen wir nicht der Rechtfertigung und Heiligung durch ihn bedürften.

3. „Lasset uns aber rechtschaffen sein in der Liebe und wachsen in allen Stücken an dem, der das Haupt ist, Christus, von welchem aus der ganze Leib zusammengefügt ist.“ (Eph 4, l5.16)

Die christliche Kirche ist die Gemeinde von Brüdern, in der Jesus Christus in Wort und Sakrament durch den Heiligen Geist als der Herr gegenwärtig handelt. Sie hat mit ihrem Glauben wie mit ihrem Gehorsam, mit ihrer Botschaft wie mit ihrer Ordnung mitten in der Welt der Sünde als die Kirche der begnadigten Sünder zu bezeugen, daß sie allein sein Eigentum ist, allein von seinem Trost und von seiner Weisung in Erwartung seiner Erscheinung lebt und leben möchte.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als dürfe die Kirche die Gestalt ihrer Botschaft und ihrer Ordnung ihrem Belieben oder dem Wechsel der jeweils herrschenden weltanschaulichen und politischen Überzeugungen überlassen.

4. „Ihr wisset, daß die weltlichen Fürsten herrschen, und die Oberherren haben Gewalt. So soll es nicht sein unter euch; sondern so jemand will unter euch gewaltig sein, der sei euer Diener.“ (Mt 20, 25.26)

Die verschiedenen Ämter in der Kirche begründen keine Herrschaft der einen über die anderen, sondern die Ausübung des der ganzen Gemeinde anvertrauten und befohlenen Dienstes.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als könne und dürfe sich die Kirche abseits von diesem Dienst besondere, mit Herrschaftsbefugnissen ausgestattete Führer geben und geben lassen.

5. „Fürchtet Gott, ehret den König!“ (1. Petr 2,17)

Die Schrift sagt uns, daß der Staat nach göttlicher Anordnung die Aufgabe hat in der noch nicht erlösten Welt, in der auch die Kirche steht, nach dem Maß menschlicher Einsicht und menschlichen Vermögens unter Androhung und Ausübung von Gewalt für Recht und Frieden zu sorgen. Die Kirche erkennt in Dank und Ehrfurcht gegen Gott die Wohltat dieser seiner Anordnung an. Sie erinnert an Gottes Reich, an Gottes Gebot und Gerechtigkeit und damit an die Verantwortung der Regierenden und Regierten. Sie vertraut und gehorcht der Kraft des Wortes, durch das Gott alle Dinge trägt.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als solle und könne der Staat über seinen besonderen Auftrag hinaus die einzige und totale Ordnung menschlichen Lebens werden und also auch die Bestimmung der Kirche erfüllen. Wir verwerfen die falsche Lehre, als solle und könne sich die Kirche über ihren besonderen Auftrag hinaus staatliche Art, staatliche Aufgaben und staatliche Würde aneignen und damit selbst zu einem Organ des Staates werden.

6. „Siehe, ich bin bei euch alle Tage bis an der Welt Ende.“ (Mt 28,20)

„Gottes Wort ist nicht gebunden.“ (2. Tim 2,9)

Der Auftrag der Kirche, in welchem ihre Freiheit gründet, besteht darin, an Christi Statt und also im Dienst seines eigenen Wortes und Werkes durch Predigt und Sakrament die Botschaft von der freien Gnade Gottes auszurichten an alles Volk.

Wir verwerfen die falsche Lehre, als könne die Kirche in menschlicher Selbstherrlichkeit das Wort und Werk des Herrn in den Dienst irgendwelcher eigenmächtig gewählter Wünsche, Zwecke und Pläne stellen.

Die Bekenntnissynode der Deutschen Evangelischen Kirche erklärt, daß sie in der Anerkennung dieser Wahrheiten und in der Verwerfung dieser Irrtümer die unumgängliche theologische Grundlage der Deutschen Evangelischen Kirche als eines Bundes der Bekenntniskirchen sieht. Sie fordert alle, die sich ihrer Erklärung anschließen können, auf, bei ihren kirchenpolitischen Entscheidungen dieser theologischen Erkenntnisse eingedenk zu sein. Sie bittet alle, die es angeht, in die Einheit des Glaubens, der Liebe und der Hoffnung zurückzukehren.

Verbum Dei manet in aeternum

http://homepage2.nifty.com/hokkochurch/barmen.htm

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