I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください

Posted by Shota Maehara : 3月 9, 2011

…それだから、生は危険である。しかも、この危険の最も大いなるものは、いつでも、ひそかに、知らず知らずのうちに起こるので、神はその御言(みことば)によって、この危険を知るように教え給う。神は、このことをよくご存じであるから、エペソ人の手紙は、信仰とは武装することだと言い、弟子の生活は兵士の生活であると言うのである(エペソ六・一〇~一七)。その生活は、死に至らせる危険とその迫撃との戦いである。

 それだから、イエスもまた、われわれに平和を与えず、むしろ剣を与え給う(マタイ一〇・三四)。だから、イエスは、ほゆる狼の中に羊を送り出すように、われわれを遣わし給う(マタイ一〇・一六)。

 まさにこのことをよく知って、アルブレヒト・デューラーは、「騎士と死と悪魔」というあの有名な版画をつくったのである。その絵には、ひきがえるも、いもりも、われわれを下に引きずり落とそうとする下劣な衝迫力や本能を表したものから、われわれに不安を注ぎ込み、その物凄い恐怖によって信仰を根こそぎにしようとする死者の幽霊も、さらにまた、その背景には、楽しい家庭を思わせる城、だから「財産と栄誉、子と妻」、その騎士はしかしそこを通り過ぎてゆかねばならないあの愛するもの、親しいもの、いとしいものが、みなそこにいる城に至るまで、われわれを試みる諸力がすべて描かれている。どうして、この愛する者、いとしい者が、試みる者であるのか。この愛する者もまた、戦いの命ぜられているこの時に、大きな危険となるからである。戦いの命ぜられているこの時に、彼を平和に誘い、休息と喜悦にいざなう―そうしていてはならないのに―ことがないとも限らないとすれば、この愛する者もまた、大きな危険であるからである。―ティーリケ『主の祈り』(新教新書)

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