I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

外の主体―エマニュエル・レヴィナス

Posted by Shota Maehara : 1月 1, 2011

〈本書で言及されたマルチン・ブーバー、ガブリエル・マルセル――そして全面的にとは言わないまでも多くの点でフランツ・ローゼンツヴァイク――は、客体化する主体の外なる知解可能性を強調した。が、彼らのみならず、ジャン・ヴァール、ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ、モーリス・メルロ=ポンティ、アルフォンス・ド・ヴェーレンス、ミシェル・レリスもまた、人間的なものをそれぞれの仕方で描きつつ暗黙のうちにそうしていたのだった。異なる仕方で表現された問題群を携え、異なる言語を用いてはいるが、ブーバーらと同様に高貴な哲学的着想を出発点とすることで、彼らもまた、人間のうちに有意味なものを聴取するに際しては主体―客体の相関関係に甘んじることがなかったのである〉

「隣人の近さ」。人間の他者性を考えるとき、著者はこの表現を好んだ。本書は、同じように人間の存在について思索をめぐらせた「隣人たち」への論考を集める。作家論を中心に14篇。20世紀思想とユダヤ思想の関係を知るうえにも絶好の書である。


「外の主体」の著訳者:

エマニュエル・レヴィナス
Emmanuel Levinas
1906年リトアニア生まれ。リトアニアとロシアで中等教育を受けたのち、1930年までフランスのストラスブール大学で哲学を学ぶ。1928-29年、ドイツのフライブルクに滞在、フッサールとハイデガーの下で現象学を研究する。その後フランスに帰化。戦後は東方イスラエル師範学校長、ポワチエ、パリ・ナンテール、ソルボンヌ各大学の哲学教授をつとめる。1995年歿。著書は本書のほか『フッサール現象学における直観の理論』(1930)『実存から実存者へ』(1947)『全体性と無限』(1961)『困難な自由』(1963)『タルムード四講話』(1963)『他者のユマニスム』(1972)『固有名』(1976)『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』(1978)『倫理と無限』(1982)『死と時間』(1993)等がある。
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