I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

ユダヤ思想とはなにか―エマニュエル・レヴィナス

Posted by Shota Maehara : 11月 12, 2010

“ユダヤ思想は何に記されているのか?おそらく、あらゆるものの上に。だから、わたしたちはそのすべてを列挙することをしない。しかし、これだけは言える。ユダヤ教の根本的な使信は、すべての経験の意味を人間と人間のあいだの倫理的関係に帰着させることに、つまり、人間の個人的有責性に訴えることに存する、と。というのも、人間はその個人的有責性を通じて、自らを選ばれた者、他のだれによっても代替しえぬ者として覚知し、そうすることによってはじめて人間が人間として遇される人間的社会が実現されるからである。この義なる社会の実現は、事実上、人間が神と交わる準位にまで向上したということを意味している。この社会=交わり(sosiete)の成就こそが人間の至福であり、生きることの意味なのである。だから、「現実的なものの意味は倫理の関数として理解される」ということはただちに「世界は聖なるものである」というに等しいのである。倫理とは神性の光学である。神との関係以上に直截なもの、それ以上に無媒介なものは存在しない。神性は隣人を経由してのみ顕現するからである。神の子の受肉はユダヤ教徒にとって不可能だし、不必要なのである。次の「エレミア書」の言葉がその意を尽くしている。「貧しき者たち、虐げられた者たちのために裁きを下すこと、それがわたしを知ることなのではないか。主はそう言われた」(「エレミア書」二二・16)”―「今日のユダヤ思想」(『困難な自由―ユダヤ教についての試論』、国文社、227頁)

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