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Shota Maehara's Blog

民主政治の危機の兆候としてのアノミー―トクヴィルとデュルケム

Posted by Shota Maehara : 11月 4, 2010

トクヴィルが述べたように諸階層の平等に特徴づけられた民主主義社会では、誰しもが定まった社会的地位を持たず、能力と努力と機会次第で、出世し、高い名声や社会的地位を占める可能性がある。そのため、人びとの欲望は膨張していくが、一方でその目標達成の手段や機会はなかなか訪れない。こうした民主主義社会の建前と本音の相克は、人びとを憂鬱にさせ、無気力、無関心、無感動、すなわちアパシーを人びとの心に引き起こす。それはデュルケムに依れば「アノミー」という社会現象であり、19世紀に資本主義が発達した民主主義における自殺の大きな原因ともなってきた。

高度経済成長期に、学歴や年功序列という制度、何より経済の好況に支えられて充足されてきた人々の野心や欲望は今日の日本社会において決定的な行き詰まりを見せ始めている。この人びとの憂鬱は、「多数の専制」や「民主的専制」などの社会的にきわめて不安定な要素になりかねない。日本やアメリカで保守派(ナショナリスト、キリスト教右派)が現実的に発言力を持ち始めているのはこのためである。この流れは、今や日米の民主党政権を転覆させかねない動きともなっている。

こうした民主主義の病理は今後も続けて掘り下げて研究されるべきテーマであると私は考えている。私たちに残された選択肢は二つだけなのだ。安易なしかし現実の悲惨に裏付けられた右派の台頭を許すか、それとも民主主義をもっと健全な形で未来に向けて作り替えていくか。私はできれば後者の道を歩みたいと思っている。その際、キーワードとなるのは、宗教である。一見すると日本人は民主主義は宗教と何も関係がないと思われるかもしれない。しかし、民主主義を健全に機能させる上で、個人の精神を支え、ルールある社会秩序を維持していく上で宗教は今も必要不可欠である。逆に言えば、宗教の衰退、商業化、すなわち堕落こそが民主主義の危機の兆候なのである。

アノミー(anomie、anomy)
「法がないこと」を意味するギリシァ語アノモスが語源。デュルケム(Durkheim)は、社会的規律の働きの衰退、崩壊または欠如のために生じた無規制状態という意味でこの語を使い、社会学の主要概念として確立した。かれは当初、この概念を産業社会での道徳的な連帯性を欠いた分業の病理の記述に用いたが、『自殺論』(1897)では、そうした病理的な社会の状態のなかで規範による規制を欠いた欲求が無際限に膨れあがり、その充たされない欲求が人を悩ませてアノミー的自殺に追いやると説いて、社会環境と個人の心理状態とをつなぐ自殺の原因論を展開した。
 その後、この概念はアメリカ社会学に受け継がれ、なかでもマートン(Merton)のアノミー(緊張)理論は大きな影響力をもった。マートンは、「民主的」でしかも階層化された産業社会であるアメリカでは、成功という文化目標とそのために利用可能な手段とが不釣り合いな状態にとりわけ下層階級がおかれ、そうした乖離が種々の逸脱行動の原因となるとした。(略)―『社会学用語辞典』(学文社)

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