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Shota Maehara's Blog

『人類の子供たち』(アルフォンソ・キュアロン監督)について語る

Posted by Shota Maehara : 6月 20, 2010

本作『トゥモロー・ワールド(原題=人類の子供たち)』はアルフォンソ・キュアロンが監督し、2006年に公開された近未来SFアクション巨編だ。

舞台は2027年のロンドン。地球環境の汚染やテロ、移民の問題などに加え、人類には18年間子供が誕生していなかった。あと50年もすれば人類を受け継ぐ世代がいなくなってしまうことから、人々は希望を失い、秩序は崩壊していった。そんな中で移民の少女が子供を身ごもる。元活動家のセオは、この少女をヒューマン・プロジェクトと呼ばれる組織に引き渡すため彼女を守り、彼らが船でやってくる海へと向かう。

ハリウッドにはない圧倒的な映像美、背景の効果、俳優の演技力、巧みなプロット(筋書き)、そして何よりマリアの受胎やノアの箱舟を思わせるキリスト教的世界観、どれをとっても素晴らしい。優れた文学作品がそうであるように、現実をよりリアルに描くとそれがあるリアリティをもった架空世界のように見えてしまう。その意味で、この作品はまさにイギリスのジョージ・オーウェル『1984』に代表されるアンチ・ユートピアの系譜に連なる作品だ。

そしてそれ以上にこの作品を奥行きあるものとしているのは聖書の視点である。過去に活動家だった主人公セオは、同じ活動家のジュリアンとの間に一子をもうけるが、まもなく病気で亡くしてしまう。そして、ジュリアンと20年間会うことなく、傷を負ったまま無気力に生きている。この映画で描かれるグローバル資本主義に由る様々な弊害とともに、この無気力な主人公セオはポスト・モダニストと呼ばれる我々の生き写しである。

私がこの作品を見てつくづく思うのは、真に新しい芸術は、普遍的なものを追求していく態度が根本になくてはもはや作り得ないということだ。日本の芸術家の作品が文学にしても音楽にしても映画にしてもどこか陳腐なのは愛を語ってもそこに商業的な響きしか感じられぬからではないだろうか。しからば凡ての若き日本の芸術家の卵よ、まず自分にとって、そして世界にとってなくてはならぬものとは一体何なのかを深く沈静して見いだしていかねばならないのではないだろうか。

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