I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

W.B.イェイツ―「再臨」(Second Comming)

Posted by Shota Maehara : 5月 5, 2010

<再臨>

しだいに広がりゆく渦に乗って鷹は
旋回を繰り返す。鷹匠の声はもう届かない。
全てが解体し、中心は自らを保つことができず、
全くの無秩序が解き放たれて世界を襲う。
血に混濁した潮(うしお)が解き放たれ、いたるところで
無垢の典礼が水に呑まれる。
最良の者たちがあらゆる信念を見失い、最悪の者らは
強烈な情熱に満ち満ちている。

たしかに何かの啓示が迫っている。
たしかに<再臨>が近づいている。
<再臨>!その言葉が口を洩れるや
≪世界霊魂≫から出現した強大な像が
私の視界を掻き乱す。どこかの砂漠の砂の中で
ライオンの胴体と、人間の頭と、
空ろな、太陽のように無慈悲な目をしたものが
のっそりと太腿を動かしている。まわりに
怒り狂う沙漠の鳥どものかげがよろめく。
ふたたび暗黒がすべてを閉ざす。だが、今、私は知った、
二千年つづいた石の眠りが
揺り籠にゆすられて眠りを乱され、悪夢にうなされたのを。
やっとおのれの生まれるべき時が来て、ベツレヘムへ向い
のっそりと歩みはじめたのはどんな野獣だ?

ウィリアム・バトラー・イェイツ

The Second Coming

Turning and turning in the widening gyre
The falcon cannot hear the falconer;
Things fall apart; the centre cannot hold;
Mere anarchy is loosed upon the world,
The blood-dimmed tide is loosed, and everywhere
The ceremony of innocence is drowned;
The best lack all conviction, while the worst
Are full of passionate intensity.

Surely some revelation is at hand;
Surely the Second Coming is at hand.
The Second Coming! Hardly are those words out
When a vast image out of Spiritus Mundi
Troubles my sight: somewhere in sands of the desert
A shape with lion body and the head of a man,
A gaze blank and pitiless as the sun,
Is moving its slow thighs, while all about it
Reel shadows of the indignant desert birds.
The darkness drops again; but now I know
That twenty centuries of stony sleep
Were vexed to nightmare by a rocking cradle,
And what rough beast, its hour come round at last,
Slouches towards Bethlehem to be born?

William Butler Yeats

1920年11月The Dial誌初出。詩集Michael Robartes and the Dancer(Dublin 1921)に収録。最後の審判の日にキリストがふたたびこの世を訪れて(再臨して)、信者を蘇らせ、永遠の国へ導くという説に対して、イェイツは二千年を周期とする循環歴史説を信ずる。キリスト教文明が終わると、幼児キリストではなくスフィンクスに似た野獣が生まれ、新しい野蛮な文明がはじまり、成熟して衰頽し、終り、更に別な文明が生まれる。これが永遠に繰り返される。1 gyre「渦巻」。イェイツの好む表象。円錐形に広がる渦巻と逆円錐形に広がる渦巻が組み合わされて文明の生成と衰退を表す。12 Spiritus Mundi「何かの個人ないし霊の所有物であることを止めたイメージ群を貯蔵する倉庫」(イェイツ自注)「世界の魂」(AnimaMundi)と同義に用いているらしい。(『イェイツ詩集』より、高松雄一訳 岩波文庫)

この作品はイェイツが当時の第一次世界大戦、ロシア革命など西洋文明の没落を告知する出来事に震撼して書かれたものである。一つの文明が野蛮へと落ち込み、また新しい文明が起こりまた崩壊していく。この詩は「啓蒙の弁証法」(アドルノ/ホルクハイマー)の詩化と呼べるかもしれない。またこの歴史の螺旋階段はヴィーコを連想させる。共著者ホルクハイマーはヴィーコの『新しい学』の影響を受けていた。(秋月)

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