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Shota Maehara's Blog

アドルノに関するノート3―「限定された否定」について

Posted by Shota Maehara : 5月 2, 2010

「限定された否定」(die bestimmte Negation)

「アドルノの否定の弁証法(die Nedative Dialektik)の中心概念。形式主義的な抽象的否定が一般的な懐疑主義に陥るに対して、ヘーゲルでは個々の限定された否定の積み重ねとしての弁証法的な運動は、内容的な発展の媒介をなすと考えられる。ただヘーゲルでは、結局「否定の否定は肯定である」という形で、否定は肯定のうちに止揚(吸収)されてしまう。それに対してアドルノは、一方ではたんなる抽象的否定を斥けると同時に、他方では、早まった肯定(矛盾の止揚、総合)を斥け、あくまで矛盾の中に踏み止まり、内在的にその克服をはかろうとする。そういう内在的批判の具体的作業が、ヘーゲルのタームを借りて、「限定された否定」と呼ばれている。それは非真理としての現実と、非現実としての真理との緊張関係の唯中で具体的な批判作業に課題を見出すアドルノの方法的原理であり、アドルノの全哲学は、この「限定された否定」と、絶対者を描いてはならないという「図像化禁止(Bilderverbot)要求」との照応関係の中を動いていると言っていいであろう。」(『啓蒙の弁証法』、徳永洵訳注、九七頁)

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