I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

イエス・キリスト―真理と事後性

Posted by Shota Maehara : 2月 3, 2010

「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた(痛みを知っていた)。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ書第53章1~3節)

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かっていった。しかし、主は、私たちすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ書第53章4~6節)

「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ。彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。」(イザヤ書第53章7~9節)

「しかし、彼を砕いて、痛めることは、主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物として分かちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」(イザヤ書第53章10~12節)

私たちはともすると自分たちの時代をあまりにも暗く思い描くことがある。もはや自分たちの国には救いはなく、新しい何かが生まれる兆しもないと。しかし、新しい創造は今まさに起きているのかもしれない。本当に優れたモノの価値は、今すぐには分からないからだ。どれほど多くの優れた人たちや彼らの無数の功績が同世代人によってではなく、死後後世の人によって明らかにされてきたことか。だからこれほどみずみずしい感性や深い思想があたかも地下水脈のように私たちの大地の下に流れているのだといつかきっと気づき、驚嘆する日が来るに違いない。奇跡は毎日この瞬間に起こっている。願わくは、どうかそれを見る私たちの心の目を開かせてくださいますように。(2010年2月3日 秋月誠仁)

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