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Shota Maehara's Blog

ボンヘッファー/神の言葉を聴ける人は、他者の言葉を傾聴できる

Posted by Shota Maehara : 1月 21, 2010

 共同体において、一人の人間が他の人間に負う第一の務めは、他の人間の語ることを傾聴することである。あたかも神への愛が、神の言葉をわれわれが聴くことによって始まる如く、兄弟に対する愛の発端も、われわれが兄弟の言葉に耳を傾けることを学ぶにある。神のわれわれに対する愛は、御言葉を与えて下さるに留まらず、われわれの呼びかけにも耳を傾けて下さることに存する。それゆえ、われわれが兄弟の語ることに親身に傾聴することを学ぶならば、兄弟に対して為すわれわれのその行為も、神のみわざとなるのである。

 キリスト者たち、殊に説教者たちは、他の人々と同席した折にはいつも、自分たちは何らかの“助言や援助を申し出”なくてはと、それこそが自分たちの為すべき唯一の務めと考え勝ちである。彼らは、語るよりも傾聴する方が大きな務めであり得ることを、忘れているのだ。人々の多くは、自分の語ることに耳を傾けてくれる、理解ある相手を求めているのに、キリスト者たちの間にはそれを見出せない。なぜなら、キリスト者たちは、自分たちのほうで聴かねばならない場合にも、自分が喋ってしまうからである…。

 自分の時間を、耳を傾けるだけに費やすには余りにも貴重すぎると思いなしている者は、とどのつまり、その時間をいついかなる時も、神と兄弟のためにではなく、もっぱら自分自身のために、自分自身の言辞と計画のためにのみ費やしていることになる。-ディートリッヒ・ボンヘッファー『共に生きる生活』(1938)より

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コメント / トラックバック2件 to “ボンヘッファー/神の言葉を聴ける人は、他者の言葉を傾聴できる”

  1. 飛天 said

    誰でも人の話を聞くより自分の事を話したがります。しかし、「私達は聞くように創られています。だから、口はたった一つ、でも耳は二つあるのです。] と、昔何かで読んだ事があります。

    人の話に耳を傾けられる人は忍耐深く、自分を主張せずにいられる賢くて自信のある人でしょうか。

  2. akizukiseijin said

    飛天様。コメントありがとうございます。愛がない人間はおのれの才覚のみを頼みにして、周囲における自己評価を高めようとします。それは自分の存在そのものが高価なものだと思えずに、何をなし得るかで自分が価値のある人間だとはじめて安心できるからです。だから彼らの心理の奥底には、「不安」があります。それは本当は自分はたいして価値のない人間なのではないかという不安です。私には、それゆえに彼らはますます饒舌になるのだと思えるのです。こうした悪循環を断ち切るためには、私も含めた現代人は「謙遜」を学ばねばならないと感じます。それも人間的なそれではなく、まさにキリストが弟子たちに説いたような神との関係における謙りです。いづれこの問題に関しては、エッセイを書きたいと思っています。いまはマザー・テレサの言葉を引用させていただきます。「謙虚であるということは、つねに神の偉大さと栄光の光を放っているということです。謙虚であることを通して、愛することができる人に成長するのです。謙虚さは、聖性の始まりです。」

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