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Shota Maehara's Blog

組織における「アウトサイダー」の役割

Posted by Shota Maehara : 8月 16, 2009

pilgrims%5B1%5D2009年7月7日読売新聞朝刊が報じたように、大学共同利用機関「統計数理研究所」の全国調査でイライラする若者が増えているという。同研究所は「バブル崩壊後に続く景気低迷の影響」がその原因とみている。その結果、職場の人間関係を見直したり、家族を大切にしたりする人々が増え、閉塞感を覚えつつ、心のよりどころを模索する国民の姿を浮かび上がる。また特に注視すべきなのは「あの世を信じる」は第2回調査(58年)の2倍近い38%だったという今回の調査結果である。

このような状況下で、今やさまざまな新興宗教に入信する人々が増えているのではないかと考えることは決して杞憂ではないだろう。例えば、キリスト教に関しても「エホバの証人」や「統一教会」の活発な勧誘活動、そしてそれ以外でも「幸福の科学」が選挙に向けて政党を立ち上げたことは記憶に新しい。確かにこうした新興宗教は現世来世に関する独自の教義によって人々をひきつけるがゆえに、その他の組織とはやや異色である。だが、そうした極端なものからこそ、我々の社会におけるあらゆる組織の論理に潜む落とし穴を拡大してみることができるのではないだろうか。ここで広く一般の教会も含めたカルト化という現象を手掛かりに、我々の社会のより深い問題に光を当ててみたいと考える。

まず私が主張したいのは、この教会のカルト化という現象が日常の至る所で見られるということである。例えば私が以前通っていた大学院でこんなことがあった。そこではゼミの先生を中心にして、そこに信者のような学生が群がり独自の集団形成をしていた。そこでは教授の意見は絶対で、反論することはあり得ない。時に私のような部外者がそんなのおかしいんじゃないなどと言おうものなら、感情的になってくる。ここで興味深いのは、ここでは決して秘教的なテーマが扱われているわけではなく、ただの近代文学についての世俗的なゼミであるという点である。

人は自らが正しいと信じたことを否定されることに嫌悪を感じる生きものである。ましてや、若者はまだまだ視野が狭く、あらゆる知識を相対化する柔軟な姿勢を身につけていない。すると、自分が心酔した人物の意見が絶対で、それに歯向かう者に敵意を持つ。ヘーゲルは『精神現象学』の中で、自らを否定してくるのもに対して眼をそむけず、直視しろと述べたが、実際はそうなっていない。そうなると人はどうなるだろうか。私の経験では彼らは一種のノイローゼ状態になるのである。精神の成長の階段をのぼっていくことを拒み、間違いを間違いと認めることを拒否した結果、精神が奇形化し、いつしか健全な精神を養えなくなるのである。大学という場がこのような危険性を孕んでいるということはもっと認識されていい。

これに対する一つの処方箋は閉じた集団やグループの中に外の風を入れる通気口を備えつけておくことである。組織といものは極めて不思議だ。なぜなら、必ずそこでは御山の大将のようなリーダー格がいて組織内での序列が出来上がってしまっている。面白いのは、そこで大きな顔をしている人に限って、決まって井の中の蛙だということである。大海に出ることをせず、小さな組織の中で幅をきかすことに喜びを見出しているからかもしれない。そこに外部者が現れるとこの組織は忽ち混乱する。今までのルールから外れた見方や思考をする人間はいなかったからだ。本当はそこで対話や議論という営みが始まるというのに。

経営学者のドラッカー曰く、こうした組織におけるアウトサイダーの存在は企業経営にとっても重要であるという。例えば企業では全会一致では本当にあらゆる可能性を検証しきれていないのではないかというしるしであり、またそれが市場で失敗したときの別の選択肢を誰も考えられないと言うことになる。こうした組織は一見強固に見えるけれども、実は振動に弱くすぐに瓦解する。そのことを熟知しているがゆえに、彼は組織における違う意見を持つ人、いわゆる「アウトサイダー」の存在を重視したのである。

また、彼は教会や学校やボランティア団体の経営のアドヴァイザーとして長年活躍してきた経験から、そうした市場の審判を受けにくい任意団体(ボランタリー・アソシエーション)こそ、つねに組織の外部=社会性に開かれている必要があると強調する。なぜなら、自分たちは利益ではなく善きことのために働いているんだという意識のメンバーが集まっているだけに、かえって「ガバナンス」(経営管理)が見過ごされ、自分達の活動は「社会にどれだけ貢献しているのか」という指標を軽視し、フィードバックがなされないからである。

こうした組織に共通した問題を打ち破るのは、「外部」である。それは、「社会性」と言い換えても良い。つまり、自分達の活動が社会にどれだけ貢献しているのか役立っているのかという声を真摯に聴く機会を少しでも多く持つことである。あらゆる組織は社会性を必要とする。それは「教会のカルト化」を防ぐためばかりでなく、「日本のカルト化」を防ぐためにも重要なのではないだろうか。

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