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Shota Maehara's Blog

「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せ」(新約聖書)

Posted by Shota Maehara : 8月 2, 2009

サマリア先日、電車に乗っていた時、就職説明会に向かうための高校生の集団にホームで出くわした。彼らは表面的には幸せそうであるが、話している内容は実に深刻であった。それはこの不況下で求人がないため、学校の先生や親に自衛隊に入るように勧められているというのである。その横で定年退職した高齢者たちの旅行に向かう団体の談笑する姿が誠に対照的で、現代日本の光と影をそこに見る思いがした。

聖書を読み始めてまだ間もない時、私が一番最初に感じたことは、一人の偉大な教師イエス・キリストの生涯を通して語られる人間の愚かさ・弱さであった。もし仮にこれほどの深い教えを含んだ新約聖書の物語がすべて作り話で、イエスも実在していなかったとしても、人間は傲慢であるがゆえに、無実な人を罪に陥れて殺すことをしかねないと。例えば、聖書にはそれ以外にもさまざまの預言者の話が出てくるが、「ノアの箱舟」で知られる預言者はこの地上に洪水が来ると警告する。その時も人々は彼を嘲笑し、唾すら履きかねないありさまであった。

「自己責任論」がまかり通るこの世の中で、人は自分さえよければ他人は関係ないという誘惑に知らず識らず陥ってしまう。また自分の才覚だけで勝ち抜かなければならないと思いがちにもなる。そのためだんだん自分が傲慢になり他人の不幸に対して無感覚になっていく。他者とのつながりが希薄になていく。それによって自分の豊かな人間関係もいつしか痩せ細ったものになっていく。そういう人生を私たちはもしかすると歩み始めているのかもしれない。そうした心の隙間を欲望産業が入り込む。昨今流行りの「婚活」(コンカツ)もその一種である。

だが、いつの世も人は決して自分一人では生きていくことができないことは紛れもない事実である。それならば、このような現代社会の流行や自己中心的な人間性に触れるとき、私には「自分さえ良ければという人間の心の弱さといかに対峙していくのか」というテーマこそが現代社会が直面すべき真に重要な問いであると思えてくる。

ではどうやったら人間は自分のことだけでなく、各々他人の幸福をも考えることができるのだろうか。クリスチャンは神というものがあるが、神を失った現代人は何をもって自らの間違いを正す鏡とするのか。まずは自らの弱さを直視しなくてはならない。そこから謙虚さが生まれる。そこではじめて同情を乗り越えた共感に基づいた新しい共同体を築いていくことができるのだ。

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コメント / トラックバック2件 to “「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せ」(新約聖書)”

  1. どうも、放置マンですw

    じえいたい入れ ですかー。。。
    固いには固い職業ですけど、こりゃ就職活動が大変だ。

    熱さが本格的になって参りやした。
    お体ご自愛くだされますよう。

    • 秋月 said

      dbadmin様へ。最近本当に暑い毎日ですが、兄さんはお元気ですか。いつも楽しいブログに腹を抱えております(笑)。ここ1、2週間パソコンの調子が悪くて、こちらのブログも更新できなくて申し訳ありませんでした。もうじき復活しますので、少しは皆さんにとって有益な情報やエピソードを掲載していけたら良いなと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。今年の夏が兄さんにとって素晴らしいものでありますように。

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