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Shota Maehara's Blog

中世政治神学―宗教(権威)と国家(権力)

Posted by Shota Maehara : 5月 14, 2009

西洋的な国家制度を作るにあたって、ヨーロッパを視察した政府高官たちは、ヨーロッパの国々は議会と教会の二本柱で国民を束ねて成立していることに気付き、単に議会制度を取り入れるだけでは不十分であると考えました。高官の中には、日本に議会制度と共にキリスト教も国のシステムとして取り入れようという主張もあったそうですが、結局は天皇および神道を、イギリスの国王とイギリス国教会のような形に改変させることで対応したのです。その名残から一神教的要素を感じ取れるかもしれません。しかし、そのことで天皇および神道が本質的に一神教になったというわけではありません。キリスト教が日本に伝わったのは1549年です。天皇の存在感が極めて薄い時代も短からずありました。という点から考えると、むしろ政治的理由や日本人の性質との相性の方に原因があると思います。(引用

日本に憲法を作るため、欧米諸国を歴訪し、欧米の憲法学者から学んだ伊藤博文は、欧米の民主主義の背後にバックボーンとしてのキリスト教の存在があることを理解します。欧米の憲法を形だけ日本に取り入れても、キリスト教の背景が薄い日本では「仏作って魂入れず」に成りかねません。それを強く危惧した伊藤博文は、キリスト教に代わる役割を皇室に求めたのです。キリスト教の役割を皇室に求めたことが、戦前の国家神道(小室直樹のいう天皇教)につながっていきます。(引用

「伊藤博文は、ヨーロッパでは議会制度も含む政治体制を支える国民統合の基礎に宗教(キリスト教)があることを知り、宗教に替わりうる「機軸」(精神的支柱)として皇室に期待した。」(Wikipedia「天皇制」)が正しいです。伊藤博文は明治21年6月18日、憲法原案の大意を次のように述べています。「抑歐洲ニ於テハ憲法政治ノ萌芽セル事千餘年、獨リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又タ宗教ナル者アリテ之ガ機軸ヲ爲シ、深ク人心ニ滲潤シテ人心之ニ歸一セリ。然ルニ我國ニ在テハ宗教ナル者其力微弱ニシテ、(中略)我國ニ在テ機軸トスヘキハ獨リ皇室ニアルノミ。」(引用

※参考資料 (1)伊藤博文著『憲法義解』 (2)伊藤博文著『皇室典範義解』

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