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Shota Maehara's Blog

一信仰者の手記―自由、共同体、神

Posted by Shota Maehara : 5月 12, 2009

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“わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである新約聖書、ローマ人への手紙、第一四章、第八節

死に値する何かを持たない人は、同時に生きるに値するものをも持たない。これはおそらく人類普遍の真理であろう。それはかつては家族であり、村であり、会社であり、国であった。

しかし、それら共同体が崩壊した今日の日本においてその心の真空を埋めるものとは何か。物質的豊かさを超えて、彼らの生きるよすがとなれるものはあるのか。つまり、長い人生の途上で、辛い時、悲しい時、絶望した時、彼らを支えてくれるものはこの世に存在するのか。ましてや働く機会を奪われた人間は、自分の存在をどう保つことができるのか。

だからといって私は一人の信仰者として、あの世に救いを求める宗教やテロの風潮に与したくはない。ただし、この切実な問いそのものを無視するインテリゲンチャには批判の矢を放つだろう。現代人の心の真空を「闇」が占めるのか、それとも「神」が占めるのか。いいかえれば憎しみが占めるのか、それとも愛が占めるのか。いま日本人が直面する危機の本質がここにある。

戦争を唯一の希望と見なすような現代の黙示録(アポカリプス)を退け、新しい共同体を生み出すために私たち一人一人に何ができるのか。これを各人が胸の内で問うていくべきではないだろうか。もし社会が変わらねばならないなら、対立や争いを恐れるべきではない。むしろ、平穏の下に隠された差別や抑圧を恐れよ、とイエス・キリストは聖書を通して我々に語りかけている。(Amen)

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コメント / トラックバック2件 to “一信仰者の手記―自由、共同体、神”

  1. NANA said

    I agree with you. As a protestant, you reveal the problem of our society thoroughly. Thank you so much.

  2. akizukiseijin said

    Thank you for your comments. In the light of philosophy, I would like to examine the dialectic relation between religion and society in the postmodern world. And it would lead to what civilization is or should be endlessly. Please check out my next entries, NANA!!!

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