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Shota Maehara's Blog

長い20世紀―資本、権力、そして現代の系譜 [著]ジョヴァンニ・アリギ

Posted by Shota Maehara : 4月 5, 2009

[掲載]2009年3月29日 [評者]柄谷行人(評論家)

■米国の衰退、兆候は70年代から

 サブプライムローンの破綻(はたん)をきっかけにしたアメリカの金融危機と世界的不況は、不意打ちであるかのように見えた。人々はにわかに1929年恐慌を想起し、また、アメリカの没落を認めるようになった。しかし、1994年に出版された本書にはすでに、なぜアメリカが金融帝国に向かったか、そして、それがなぜアメリカの衰退の兆候でしかなかったかが告げられている。たんに混乱をあおるだけで何の洞察もない本や雑誌を読みあさるなら、せめて、こういう本に目を通すべきであろう。

 本書は、近代世界システムの変遷を、ヘゲモニー国家の交替(こうたい)という観点から見ている。それは、ジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順におこった。それらを比較考察して、著者はつぎのような法則性を見いだす。初期の段階では、「生産拡大」の傾向があり、末期には「金融拡大」の傾向が見られる。著者はこれを、資本の蓄積システムのサイクルという観点から見る。初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じる、というのである。

 著者は、アナール学派の歴史家ブローデルを継承しつつ「近代世界システム」を解明してきた、ウォーラーステインの共同研究者であった。ゆえに、類似する点が多いのは当然である。このようなサイクルに関しても、似たようなことが指摘されてきた。コンドラチェフの長期波動(景気循環)や、それよりも長いブローデルの「長期的サイクル」が、その例である。だが、それらは、物価の長期的変動の観察にもとづくものだから、近代資本主義以前にもあてはまる。それでは、資本の蓄積(自己増殖)のシステムに固有の現象をとらえることができない、と著者はいう。

 恐慌(危機)はふつう「過剰生産」という観点からみられる。しかし、マルクスは「過剰資本」の危機をも考察していた。それは、資本が生産や貿易への投資では十分な利潤率を得られないときに生じる。そこから見ると、現在の危機が1970年代からはじまったことがわかる。アメリカは製造業において日本やドイツに追いつめられ、「過剰資本」の処理に苦しんで、世界各地にバブルをおこし、最後の住宅バブルで致命的な破綻にいたったのである。しかし、これは特に新しい出来事ではない。ジェノヴァ、オランダ、イギリスが没落しはじめたときにも、似たような現象があった。

 では、アメリカの没落のあとはどうなるのか。著者は、東アジアの経済にヘゲモニーが移ると予測する。本書では1980年代に構想されたせいで、日本が中心になっているが、「日本語版序文」では、それを修正して、中国を中心にしている。いずれにせよ、東アジアへのヘゲモニーの移動はスムースに起こるわけではない。アメリカやヨーロッパが抵抗するに決まっているからだ。今後に生じるのは、各地の帝国(広域国家)がせめぎあう、いわば、新帝国主義の時代である。

    ◇

 The Long Twentieth Century

 土佐弘之監訳/Giovanni Arrighi 37年イタリア生まれ、米国在住の社会学者。現在はジョン・ホプキンス大教授。世界システム論の代表的論者の一人。

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