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Shota Maehara's Blog

歴史を見る国民から、歴史を創る国民へ

Posted by Shota Maehara : 4月 4, 2009

vanishingpointa現代の難問である貧困格差・環境破壊・戦争を政府や市場のいずれかによって乗り越えようとする試みは数多い。

経済学で言えばケインズ主義とも呼ばれる財政政策(フィスカル・ポリシー)とフリードマンを中心とする金融政策(マネタリー・ポリシー)の対立である。彼らの理論は極めて精緻で、統計的なデータに基づき、具体的な提言を含んでいる。だから、専門家以外の人にはおよそ近づき難いという印象を与える。まして世界不況の最中で、ますます我々は事態を静視せざるを得なくなっているようにさえ見える。

しかし、この二つの政策に共通して欠けている点は、一体これからどんな国をつくっていくのかというグランドデザインがないことである。これにはもちろん政局の混乱が影を落としていることは間違いないが、いずれにしてもそれを決めるはずの主権者たる国民の議論が全くと言っていいほど不在なのである。

現代文明の挑戦は、民営化という名の市場中心型モデルでもなく、硬直した中央集権的官僚制モデルでもない、第三のオルタナティブを提示できるかにかかっている。それは生活のあらゆる面での消費者の行動、NGO・NPOの活動、そして国際機関の活動など様々な市民の運動からなっている。こうした当事者である国民や市民の主体的な議論や活動によって、はじめて歴史は織り成されていくのである。

ただし、歴史を重視する立場は、古い共同体的生活様式に戻ることでもなければ、保守主義者のいう近代以前の伝統に回帰することでもない。ましてや宗教原理主義に基づいて先進国の消費文化を批判することでもない。

私にとってそれは人類の様々な歴史を多様な迂路を辿りながら「文明化」していく過程として捉えることに他ならない。さらに言えば、テクノロジーの発達や人口の移動による世界交通が拡大するのに伴って、多様な民族や文化が交流・伝播しながら生成し消滅する。そして、その中から幾つかの文明が創造されるという普遍史として考えられた歴史である。いま、日本人は自国がゆるやかに衰退していくのか、それとも新たな文明と呼べるものを築けるのかという岐路に立たされている。

少子高齢化の時代に既得権益層と化した老人に抗して、新しい時代をつくることは確かに容易ではない。だが、プラグマティカルに各々の持ち場で何がいま必要なのかを判断し、世界を1ミリずつ変えていければ、120キロ先へ世界を動かすことができるだろう。それならば、かつての60年代の喧噪と80年代以降の沈黙を抜けて、我々は次のスローガンを唱えなければならない。―「歴史を見る国民から、歴史を創る国民へ」。高度経済成長を終え、日本がアジアに先駆けて成熟した文明を創っていけるかどうかは、この一点にかかっている。

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コメント / トラックバック2件 to “歴史を見る国民から、歴史を創る国民へ”

  1. kokoro said

    ユーモアにあふれた社会批評ですね。この文章とても好きです。ありがとう♪♪♪
    あなたの意見に私も同意します。日本人は他人任せで、文句ばっかりですものね。
    多くの人に読んでもらいたいです。♡♡♡

  2. akizukiseijin said

    kokoroさん。はじめまして。

    まったくおっしゃる通りです。

    政治を誰に任せたらいいのか、誰に任せても同じだ、ではなく、
    自分に何ができるのかという当事者意識をもたなければ日本は
    変わらないでしょうね。当たり前のことなんですけどね。忘れ
    られがちです。

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