中間的なものの真実
Posted by Shota Maehara : 12月 2, 2008
善意から行われた行為がすべて正しいとは限らない。盲目的善意は悪意よりも破壊的であり得る。なぜなら、自らは害悪を行っているという自覚がなく、ある使命感を持って社会を変革していくからである。だから動機が正しければ何をしても良いわけではない。また、その反対に、結果が良ければすべてが許されるわけでもない。答えはつねに中間にある。かくも人間の思考の陥りがちな罠は、その極端主義である。性急に人はXは正しいか間違っているかと問う。だが、「どの程度」という留保をつけることを忘れてしまう。この罠を逃れるには、理論だけで物事を考えず、歴史から物事を見ることが大切だ。歴史には100%正しい人も、間違っている人もいない。皆幾分かの正しさと過ちを持っている。それは無論今を生きる私たち自身にも当てはまるだろう。
摩子 said
そうですよね、「ある程度は」という中間がいつも議論から消えている。この私的は今の時代ことのほか重要だと思います。極端から極端へ右往左往する日本人にとっては特に。ありがとう。