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Shota Maehara's Blog

夏目漱石をめぐるエッセイ

Posted by Shota Maehara : 11月 17, 2008

明治から大正にかけて数々の名作を残した夏目漱石の作品を読んでいると、ふと疑問に思うことがある。明治や大正といえば世の中は政治の季節である。血生臭い事件が相次ぐ中で、彼の作品の中にはなぜか政治的なテーマは避けられているように見える。帝大卒ゆえ労働者の苦しみを知らなかったと言うのはたやすい。

しかし、彼ほどの知識人が全く社会主義に関心を持たず、ノンポリであったなどということが果たしてあり得るのだろうか。むしろ、漱石は自らの著作に没頭していたという方が正鵠を得ている。彼は、自らのテーマにとり憑かれ、それと必死に格闘し踠いていた。その結果権力や金と無縁な生活に入らせ、時代の制約をも超越させた。だから、私たちは漱石を読んだ時、現代の作家が書いたかのような感動を覚えるのである。

現代人は、何もかも急ぎ過ぎている。何かに役立とうとするに急で、自分自身を見失っている。だが、あらゆる歴史のなかで自分自身を見失った人間が何か偉大な事業を為し得たことはおそらく一度もあるまい。むしろ、改革や革命の情熱に駆られた人間は破壊しかしない。自分自身を見つめることのできる人間こそが建設者である。彼は時代を超越し、そして、普遍的な何かを我々に残すのだ。我々はそういう人間を待ち望んでいる。

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コメント / トラックバック2件 to “夏目漱石をめぐるエッセイ”

  1. 前エントリ、何度も改筆されたとは!ウチの不親切投げっぱなしとは大違い(笑)

    自分との切磋琢磨に集中できる状態は、大変そうですが羨ましいっす。

  2. akizukiseijin said

    dbadminさん、コメントありがとうございます。いえいえ、そのdbadminさんのブログに元気をもらっている人間がここにいますよ!そういう人は他にも一杯いると思います!私の想像するにとてもコミュニケーション能力の高い方なんじゃないかなぁ。ということは頭の回転が速い方だということですね、dbadminさんのイメージは?!。

    The truth is very simple, but I cannot explain it with a few words. So I choose to use a metapher for blurred vision in my mind. Probably “essay” would be the most common form in such a situation.-akizuki seijin

    真実はとてもシンプルだ。しかし、私は幾つかの言葉でそれを説明することができない。だから私は心の中の揺らぐ像(イメージ)のために隠喩(メタファー)を使うことを選ぶ。おそらくそうした状況の中で「エッセイ」こそは最も共通した表現形式なのだろう。―秋月誠仁

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