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Shota Maehara's Blog

何が現代文明を疲弊させるのか―「公正」という名の支配

Posted by Shota Maehara : 10月 20, 2008

昭和という時代を振り返ると、人々の暮らしは今よりはるかに貧しかった。貧富の差はもちろん部落や在日朝鮮人への差別も根深く残っていた。その中で60年代の学生運動は、安保闘争から始まって、国家権力と資本主義への異議申し立てへと発展した。と同時に文化的にはクラシカルなものから漫画・ポップソングなどのサブカルが台頭し始めた。それはまた西欧に追い付き追い越せというスローガンの下に人々が熱くなれた時代でもあった。

それに対して、我らの時代はバブル景気による未曾有の繁栄を経て、幸福を手にしただろうか。確かに、あからさまな社会的差別はなく、男性も女性も能力さえあれば、社会的成功を手にすることができる。格差といえどもそれは公平なルールに則ったもので、もしそれでも不満ならより公平な社会を目指す積りがある。さらには、万が一の場合に備えて、弱者の救済策も講じる用意が出来ていると嘯く。かくも素晴らしき私たちの新世界は、かような程まで完璧なので、根本的なイデオロギーの対立は消え去り、ただ民主政治の下で、経済競争から毀れ堕ちた労働者や母子家庭や介護などの面倒を国家が見れば済むのだ。

では何が私たちの現代文明を疲弊させているのか。なぜ今日の弱者と呼ばれる人々は自分の力で這い上がれないのか。そこに何か見えない格差のメカニズムが働いているのではないかと人々は疑っている。

しかしこれは事実ではない。むしろ、我々の不幸は、公正過ぎる社会からもたらされる。かつて生まれや性別によって貧富の差があった時代は、そこで生まれた人間にはそうした社会への憤りとそこから這い上がろうとする底知れぬエネルギーが湧いてきた。自分は本当は何かできるはずだ、もしチャンスさえあればと。悪いのは社会であって、自分ではない。そう思えることは人に力を与えてくれる。だがひとたび社会全体が公正なルール・基準を適用し、その下で能力社会を目指すならば人は一体誰に失敗の原因を負わせることができるだろうか。この惨めな自分以外に。

だからグローバルな競争におけるイスラム原理主義者や、ネット難民や陰惨な通り魔事件の犯人たちの無気力さや他人を道連れにして死にたいという願望は倒錯的なものである。彼らに自己責任を迫っても無意味であろう。なぜなら、自分達がいかにダメかということ知り抜いているのはまぎれもなく彼ら自身なのだから。彼らは社会の不正を訴えているのではなく、人間はあまりにも公正な社会には耐えられないことを訴えている。すべてが自己の責任であることを知りぬいている彼らは、人間の尊厳をもはや保つことができない。だから最終的な解決策として、自らの破滅を代償にして相手の幸福も奪う道を選んだのである。

アドルノが述べたように、文明は啓蒙を押し進める過程で、いつしか野蛮な社会に道を開いてしまうことがある。このように見てみると、現代のテロリズムの背景にあるのは、リベラルで啓蒙主義的な「公正さ」への要求である。社会は人間を公正に取り扱えば扱うほど、人間を何の変哲もない不揃いの駒とみて、ある一定の規格から外れたものを除外する。この公平な基準から除外されたものは自分の能力のなさを呪うしかない。そしていつ追い落とされるか分からないと焦りながら働く私たちもまた、ふと帰宅途中の喫茶店で、「自分に本当に価値はあるのだろうか?」とひとり呟いたりする。

でも現代文明を疲弊させている本当の病は、未来だけが目的で現在はその手段に過ぎないという生き方を強いられていることだ。我々はまるでどこまでも続きそうな果てしない道を、風に舞いあがった埃に目を細めながら、遥か先を望もうとして命を削ったり、傷ついたりしている。そんなものは蜃気楼かもしれないのに。それよりも大切で、確実なことがある。今を積み上げることだ。今を積み上げることでしか人生は形作られない。あらかじめ用意された地図などどこにもないのだ。人はどれだけ多くの時間を今を楽しまずに、先を見続けることのみに費やしてきたことだろう。まさに新約聖書の教えにある通り、我々は明日のことに思い煩らわず、何が必要かを見極めてただ今を生きてゆくべきなのだ。

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コメント / トラックバック4件 to “何が現代文明を疲弊させるのか―「公正」という名の支配”

  1. 真奈美 said

    いつもブログを拝見させていただいております。あまりほかでは見たことがないようなとても高度な内容を扱っていらっしゃいますね。でも、エッセイやコラムなどは分かりやすくて興味深く読ませていただいております。もっとこういうブログがあったらいいなと思います。お気に入りのブログです。応援しています♪♪♪

  2. akizukiseijin said

    真奈美さん。いつも応援ありがとう。たくさん元気をもらっています。そちらも順調ですか。また遊びに行きますね。真奈美さんのような綺麗で素敵な大人の女性には頭が上がりません(笑)。今後もアドバイスお待ちしております。

  3. 摩子 said

    摩子です。こんにちわ。また遊びに来ました。ブレヒトの『三文オペラ』をアップしてくれてありがとう。とても面白かった!!!これはロンドンのソーホーと言う貧民街が舞台で、資本主義社会に対する鋭くユーモラスな風刺なのね。秋月さんがこれまで取り上げなかったのが不思議な作品ね~。今度この作品についての秋月さんの評も読んでみたいな。お願いします。またね。

  4. akizukiseijin said

    摩子さん。コメントありがとうございます。三文オペラを気に入ってもらってよかったです。多分摩子さんの感性にぴったりなんじゃないかと思いましたよ。あと公正な社会が人々を息苦しくしているとしても、ではどうすればいいのというご質問に対しては以前、「レディー・ファーストのススメ」でも書いた通り、優れた人を扱き下ろすのではなく、応援して、彼らが立派になったとき、困っている人を助けてあげる様な良い循環を社会の中につくるべきなんじゃないでしょうか。そういう意味ではある社会がどういう指導者を育てていけるかが、その社会の健全さを計るバロメーターになると言っても言い過ぎではないと思っています。詳しくはまたの機会にお話ししましょう。楽しみにしています。

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