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Shota Maehara's Blog

民主政治の根源にあるもの

Posted by Shota Maehara : 10月 5, 2008

1.

一八三一年アメリカに旅行したアレクシス・ド・トクヴィルは、その社会をつぶさに観察した。そして、その詳細な記録を後に『アメリカにおけるデモクラシー』として出版する。この著書は『ザ・フェデラリスト』とともに世界の民主政治の見方に多大な影響を及ぼした。この冒頭は次の有名な書き出しで始まる。

「アメリカ合衆国に滞在中、新奇なことは多々あったが、諸階層の平等ほど私の注意をひいたものはない。この基本的事実が社会の進展に及ぼす影響は、すぐにわかった。世論にある方向を、法制にある傾向を与え、為政者には新しい紀律を、被治者には独自の習性をもたらしているのである。」(岩永健吉郎訳)

トクヴィルはまさにこの書き出しの通り、「諸階層の平等」を民主政治の要諦として捉えた。そして今やヨーロッパをも巻き込む、「偉大な民主的な革命がわれわれの間で進行している」と述べたのである。ただし、旧世界の貴族出身である彼は、新大陸アメリカの人民の国を称賛しながら、その危険性をも察知していた。それは彼がヨーロッパとアメリカ、古い貴族社会と新しい平民の社会を比較して、その長所と短所を見極めようとしていたからである。

それから一七七年の歳月が経った今、こうしたトクヴィルの予言がいかに正しかったかが証明された。そして、州単位で営まれていた初期の民主政治が、一国そして、グローバルへと拡大するに従って、その矛盾もまた深刻なものになったようである。現代は共同体が揺らぎ、諸個人が孤立し、メディアや教育は同質的な価値観を助長する。そして人為的に世論が形成され、学問や政治が時の動向に大きく左右されている。

2.

現代の深刻な問題を解決する糸口は、民主政治の原初にまで遡らねばならない。アメリカの民主政治の原型であるタウンシップは、個人が個人となることなく狭い共同体の中で一緒に自給自足の生活をすることにある。さらに民主政治の祖ともいえるジャンジャック・ルソーは自伝的作品『告白』のなかで、小さな故郷ジュネーブ共和国へ思いを馳せつつ、そこで実現し得る人民にとって最良の政体とは何かという問題が彼の直接民主論の動機であったと語っている。なぜなら、この「孤独な散歩者」は、自然を愛し、顔の見える付き合いを楽しみ、人と人とを疎外する組織や制度そして貨幣を極端に嫌悪したからである。やがて、それは素朴な人民を抑圧する支配者への憎悪にまで発展する。その点でエンゲルスら社会主義者がルソーを社会主義者の祖と見なすことも強ち間違いではない。

しかし、国家を否定し、狭い共同体の中で人は真に人間らしく生きられるという反文明的な立場は、ボルシェヴィズムのそれではない。むしろ、トルストイやクロポトキンなどの農村共同体に依拠した無政府主義(アナキズム)に近いといえよう。日本でも大正時代に白樺派と呼ばれる芸術家や無政府主義者そして農本主義者の間で、平等と相互扶助に根ざす村の生活は、権力の階層秩序(ハイアラーキー)を産まない理想社会であると主張された。

例えば、日本の無政府主義者である伊藤野枝は「無政府の事実」の中で次のように述べている。日本の村ではいわゆる「互酬」の拘束力によって、相互扶助を可能ならしめると同時に、村から犯罪人を出さないための制裁の仕組みとして「村八分」などの掟がつくられた。 一般に「村八分」とは、日本の前近代性や村社会の後進性を示すものとしてよく言及される。

だが、伊藤によれば、それは村が組合の下で自治を営むために考え出された仕組みである。つまり、もし村に犯罪人が出ても、排除したり役人や警察に引き渡さずに、共同生活から離れて生きることができない事実を踏まえて、再発を防止し未然に防ぐために考え出された村人の知恵なのである。もちろん村によって違いはあるだろうが、彼女の村では実際に村八分まで至った人はほとんど見たことがないという。このように互酬制による拘束力は人々の間で相互扶助を実現すると同時に犯罪の発生を抑止する二つの機能を持つ自治の仕組みである。 

3.

さらに、実はルソーが理想としていた古代の民主政(ポリス)も同じように、国家というよりは、共同体内での平等と相互扶助(互酬)に支えられた部族内での政治なのである。日本の思想家柄谷行人は、アテネの民主制について次のように述べている。

「特にアテネの民主主義は、西洋に固有の原理として、見習うべき規範として称賛されています。しかし、これは近代国家の代議制民主主義とは根本的に異質です。そもそも、アテネの民主主義は支配者共同体(=市民)の原理です。それは非市民の奴隷を支配する共同体です。また、商業にもとづくにもかかわらず、それを非市民である外国人や居留外国人に任せる共同体でした。
 近代国家がアテネの民主主義を模範として見習おうとしたことは確かですが、そこに一つの決定的な誤解がある。モンテスキューはそのことに気づいていました。彼の考えでは、代議制は貴族的であり、くじ引きこそ民主的である(『法の精神』)。」(『世界共和国へ』岩波新書、二〇〇六年、p.54)

さらに続けて互酬制と民主主義のかかわりについてこう述べている。

「アテネの民主主義には、部族的共同体の平等主義が貫かれています。そこでは、だれかが、特権的な地位を占めることを避けようとする。ギリシア人の中には、ヘロドトスのように、彼らの在り方が、ペルシャのような「東洋的専制国家」と異なること、そしてそれが文化的な優越であることを主張した人がいます。そして、それが近代ヨーロッパにおいて強調されたわけです。しかし、ここに「東洋」に対して進んだ「西洋」の個人主義的原理を見るのはおかしい。アテネの民主主義は共同体の互酬制にもとづくものであり、たとえば、北アメリカ先住民のイロコイ族にもそのような直接民主主義が見出されます。実際、彼らの民主的統治原理が、アメリカ合衆国の創設において模範にされたといわれています。」(同書、p.55)

このように民主政はその起源から反中央集権的、反議会主義、反個人主義な志向性を持っている。それゆえ、互酬制に基づく民衆の自治が比較的小さな集落では実現するとしても、それが共同体と共同体の間、さらには国家単位で実現するかがのちに大きな問題となる。それが劇的あらわれたのが、アメリカの「共和主義」と「連邦主義」の対立である。それまで十三の州にわかれていた自治権を廃して、一つの強力な連邦政府を創ろうとした際、次の対立が生じた。つまり、民主政が不可能になるという「共和主義」派と強力な政府こそ真の民主政を実現できるという「連邦主義」派がいた。これがアメリカ史上有名な一七八七年に憲法制定をめぐってフェデラリストたちが行った議論である。いまやこの矛盾はあまり言及されることもない。

4.

しかし、諸階層の平等にもとづく民主政治の原理は、個人の自由に立脚する自由政治の原理とは根本的に異なる。この区別を誤解もしくは忘却するならば我々はテロやファシズムへと道を開いてしまうだろう。なぜならば、平等を重んじるということは、その裏側で何者かを排除することを意味する。国民の悪しき平等の結果排除される対象は劣った人であることも(蔑み)、逆に優れた人である(妬み)可能性もある。その上で、国家レベルでの民主政治=平等政治を推し進めれば、すべての人を共同体や社会から引きはがし、同質化し、孤立化させることに終わる。既得権の名のもとに、利益団体や組織は解体され、その他の市民団体も国家の公認や監視を受けなければならない。

こうした全体主義に対抗できるのは、民主政治であるという議論が実しやかに囁かれている。だがこうした見方は幻想にしか過ぎない。自由は多様な意見を包含するが、平等はこれらを排除する。これが政治哲学が歴史から学んだ教訓である。ファシズムはこうした排除としての平等を利用して独裁制を敷いたのである。それは現代の議会制民主政治が、民主政治と自由政治の混淆である。ゆえに、より民主政に近づけるためには、自由政治を否定しなければならないという口実の下にである。ファシズムの理論家カール・シュミットは、「ボルシェビズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的ではあるが、しかし、必ずしも反民主主義的であるわけではない。」と述べている。その理由を彼はこう説明する。

「人民の意志は半世紀以来極めて綿密に作り上げられた統計的な装置によってよりも喝采(acclamatio)によって、すなわち反論を許さない自明のものによる方が、むしろいっそうよく民主主義的に表現され得るのである。民主主義的な感情の力が強ければ強いほど、民主主義は秘密投票の計算組織とは違った何ものかである、という認識がますます深くなって行くのである。技術的な意味にとどまらず、また本質的な意味においても直接的な民主主義の前には、自由主義的思想の脈絡から発生した議会は、人工的な機会として表れるのに反して、独裁的およびシーザー主義的方法は、人民の喝采によって支持されるのみならず、民主主義的実質および力の直接的表現であり得るのである。」(『現代議会主義の精神的地位』みすず書房、二〇〇〇年、稲葉素之訳、p.25)

シュミットは民主政治と自由政治が違う原理に基いていることを見抜いていた。そして大衆民主主義の時代に、自由政治の根幹である議会制は危機に陥っていると分析する。これほどまで多くの大衆の民意を政治に反映させるためには、有権者と繋がりの薄い選挙で選ばれた代議士では不可能であると。議会制や自由主義ではこの問題を解決することはできないのだと彼は述べる。確かにファシズムやボルシェビキが失敗したとしても、それが議会政治の喉に刺さった棘を抜いたことにはならないという指摘は当たっている。だが、また彼のいう民意や世論というものが自然発生的に下から発生したものなのかどうか実際政治の上では疑わしい。むしろ、世論はつねに上からある意図をもって人為的に形成されるのではないのか。彼はおそらくそうした実利的な見方を軽蔑するだろうが、議論の論理的整合性において彼は今も最大の自由主義の論敵である。自由主義の限界を乗り越えることはすなわちシュミットを乗り越えることである。

5.

何れにしても人間の歴史は重層的な構造をなしている。ヨーロッパの中世で、国家から相対的に自立した職人や商人が市民の担い手となり、それが国民に発展していったように、自由政治の伝統の上に民主政治が接木されなければならない。それは自由民権運動やリベラルな啓蒙主義者の後に、社会主義運動が生まれた如くである。おそらく今後どの国家でもこの歴史のとび越えは不可能だろう。人間は愛情だけで育てば動物と変わらない。いつか他人に対して敬するということを学ぶ。本来それは父母の共同作業だが、そうでなければどちらかが両方の役目しなければならない。同様に、アジアは市民社会を築きつつ、同時に批判を行わねばならない。確かにそれは困難な道のりである。だが、行き過ぎた個人主義への反発から、再び共同体へ戻ることはアジアにとって反動であるばかりか、まさしく悲劇であろう。

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コメント / トラックバック4件 to “民主政治の根源にあるもの”

  1. これは経験上の話で根拠が無いんすが、A/B/O/AB型の中で、

    AB型の人種?つーのかな。を何人・・・何十人か見てきて、
    一番自然に個人主義?を具現してる気がします。そのため色んな場面で浮く事もしばしばw

    いい特性も、悪い特性?も似ている。トータルで優秀なのが多い。
    (血液型本読まないんで、体験上のみ)

    後付けで薄ら覚えなのが、血液型発祥の地 みたいので、
    A農耕民族・B失念・O肉食民族・AB山岳民族(僻地)
    を知り「あ~ 一理あんな」と思いました。
     

  2. akizukiseijin said

    dbadminさんこんにちは。確かに血液型でAB型は変わっている人が多いですね。日本だと個人主義者は変人としてしか現れないのでしょうか。最近マリナーズのイチローが同じメンバーからあまりにも個人主義的(マイペース)で、チーム・ワークがないと批判されているそうです。これを見るとなんかアメリカも最近日本的な傾向に向かっているなと危惧しています。見方が内向きなんですよね。どこの国であれそういう国は必ず悪くなります。これも歴史の教訓ですね。(ちなみに私はA型です。)

  3. akizukiseijin said

    本論考の要旨は次の点にある。根源に遡ると民主主義とアナーキズムはかなり近い所にある。つまり、彼らにとって「コミューン」に基づき、その連合体こそ民主主義にふさわしい姿だという共通認識がある。そこにおいて、コミューンを束ねる中央政府の存在はむしろ不必要であるとすら考える向きがある。

    参考:日本語版の訳注にはこうある。「当時ニュー・イングランドのコムミューン(英語ではTownship)は人口2000~3000位の小さな村であったので、そこではルソーが当時スイスのジュネーブで見出したように民主主義は代表制によらず、直接選挙制で行われることができた。トクヴィルはアメリカの民主政治の基本構造が、このコムミューンに見出され、これが郡を経て州に及び、遂に連邦に達していることを知ったのである」。

  4. akizukiseijin said

    ジャック・ランシエールは『民主主義への憎悪』を出版した。昔から絶えず疑問だったのは、左翼のマルクス主義系の理論家に典型的に見られるマルクス主義と民主主義の結婚は何を意味するのかと言うことである。民主主義はその根源に遡ると、選挙システムの有無ではなく、狭いコミューン(共同体)のなかでの平等主義と相互扶助(互酬)に基づいている。それは根本的に共同体の原理なのであったが、近代民主政は都市を通り超えて国家にまで拡大されている。ここに現代文明の様々な問題が胚胎している。私は、民主主義に対する好き嫌いを言う前に、まずその正体を歴史的に掴みたいと思う。

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