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Shota Maehara's Blog

通俗作家サマセット・モームの謎

Posted by Shota Maehara : 9月 15, 2008

 

 サマセット・モームは通俗的な作家だというのがもっぱら人口に膾炙した見方である。これは確かだとしても、「通俗」とはいかなる意味であるか、という問いを発したものは少ない。そもそも文化や芸術批評において通俗性という入口で思考が止まってしまっている分析が数多い。
 だが、サマセット・モームの作品の通俗性は、そのストリーテラーの才もさることながら、物語の中に意図的にブラック・ボックスを作り出す手法にあるといえる。いったい彼の作品は完全に解りきるということがなく、必ず物語の中に余白と呼べるような、読者の想像に任せる隙間を巧妙に拵えておく。このブラックボックスが物語の構造を支える架空の一点になっている。
 例えば、彼の代表的短編「雨」は、雨の多い熱帯地方パゴパゴに医師のマクフェイル博士夫妻と宣教師デイヴィッドソンらが乗る船が麻疹患者がでたために停泊するシーンから始まる。この土地に一軒しかない商人の貸室には彼らと一緒に下船した娼婦らしい女トムソンがいた。階下で蓄音器を鳴らしてパーティーをする彼女の淫蕩ぶりに対し、悔い改めろと迫ったデイヴィッドソンは侮辱されて追い返される。
 その後、島の提督へ働きかけ、この女を強制送還させるよう画策する。するととうとう音をあげた女は、泣きながら宣教師に許しを乞う。デイヴィッドソンは悔い改めた女を前にして、神の御業に恍惚となる。そして本当に生まれ変わるためにむしろ女が自ら罰を受け入れるべきと諭す。この土地の雨と罪の自覚のために徐々に精神の均衡を崩していく娼婦トムソンだった。
 しかし、物語は急転直下、宣教師デイヴィッドソンの突然の自殺によって幕を閉じる。その時、マクフェイル博士が目撃したものは、以前と同じ姿を取り戻したトムソンと、彼女の次の嘲りの言葉だった。

「男、男がなんだ。豚だ!けがらわしい豚!みんな同じ穴のむじなだよ、おまえさんたちは。豚!豚!」(中野好夫訳)

 実は、私自身最初にこの短編を読んだとき、結末の真意が完全に掴めなかった。一体娼婦が宣教師を誘惑して一夜を共にしたのか、逆に宣教師が彼女を求めたのか、もしくはたんに彼女が実は悔い改めていないことを悟って宣教師は死を選んだのか。熱帯に降り続く雨はどちらの理性をも狂わさずにはおかなかったともいえる。
 しかし、いずれにせよ著者はこの部分をあえてブラックボックスのままにしたのだという方が正鵠を得ている。なぜならこの謎は作品に不明瞭な死角を残すことで、平板なストーリーに、立体的な奥行きを生み出しているからである。かくしてサマセット・モームはこの手法を駆使することによって、いわゆる時代の中で消えてしまう通俗作家と異なり、時代が変わっても読み継がれる通俗作家という特異な位置を獲得し得たのである。

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コメント / トラックバック2件 to “通俗作家サマセット・モームの謎”

  1. プルーデンシャル said

    なるほどね。サマセット・モームの短編「赤毛」などもそのような結末ですよね。また読み返したくなってきました。

  2. akizukiseijin said

    Thank you for your comments. I’d love to read works of William Somerset Maugham, but I have never been impressed by any explanations of his mystery. With his humor, the mystery is one of the essential part in his style.

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