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Shota Maehara's Blog

ファシズムに変容する民主主義

Posted by Shota Maehara : 9月 13, 2008

「ある種のファシズムが我々の民主主義に置き換わりつつある」―シェルダン S. ウォリン

 

二〇〇一年九月一一日の出来事は、自分たちの国の姿をどう理解するかという点で、重大な変化を加速化させた。「アメリカ帝国」について話し、アメリカ合衆国を「世界で唯一の超大国」と見なすことはありふれたものとなった。

そのような規定の代わりに、「超大国民主主義」とか「帝国的民主主義」などと言うものを思い描くとすれば、アメリカ人は彼らの政治システムを保持し、その中で自分自身を位置づけるという基本的な前提と矛盾するだけでなく対立するように見える。確かに、我々の政治システムは憲法によって制限された権力からなる政府であり、そこでは等しく市民が権力に参入することができる。しかし、帝国が民主主義的な参加手続きの上でもやっていけると見なしたと信じず、超大国は法的な制限を待ち望んでいるのだと考えることはもはや誰にとっても不可能である。

「テロとの戦争」や「悪の枢軸」などというあいまいに定義された企てのために強大な権力を主張したことはブッシュ政権以前にはなかった。ましてや、もし達成したとしてもそれが分かりづらい目標のためにかくも膨大な国の資源を費やし始めた政権もなかった。

以前の全体主義の形と同じように、アメリカ合衆国は、自分達が命じた条件で、疑問の余地なく援助を要求でき、条約や国際法を思いのままに無視し、踏みにじり、怒りを買うことなく他国に侵略でき、犯罪者として裁くのでも、弁護士に相談させるでもなく、無制限に誰でも投獄できるという、向こう見ずな単独行動主義をブッシュ政権は誇っている。

全体権力へ駆り立てる力は、ムッソリーニのイタリアや、ナチス・ドイツ、スターリンのソビエトが主張したものとは異なる形を取り得る。

アメリカのシステムはそれ独自の形を発展させている。すなわち、「裏返された全体主義」である。これは人種主義や絶滅収容所といった公式の教義(ドクトリン)は持たないが、上に述べたように、制限というものを同じく侮蔑するのだ。

それはまた逆さまの特徴をもっている。例えば、ナチスは社会の流動化と結合に焦点を当て、恒常的な総動員体制を維持し、大衆からの熱狂的な参加を要求した。反対に、裏返された全体主義は政治的無関心を利用し、不和・分裂を奨励する。ナチの国民投票は典型的に90%かそれ以上の投票率だったのに対して、アメリカ合衆国は選挙の年、良い時でも参加率は50%位である。

もう一つ別の例:ナチスは議会制度を廃止し、一党独裁制を敷き、あらゆる大衆のコミュニケーションの形を統制した。しかしながら、抑圧のように見えることをしなくとも同程度の結果に至ることは可能なのだ。選挙による立法制度は維持されるが、堕落した制度(ロビイスト、キャンペーン活動、有力者への裏金)によって投票者とその代表者の結びつきが妨げられる。その制度は第一に企業利益を優先する。投票者はシニカルになり、諦める。そして、反対することは無意味に見えてくる。

ナチスはメディアを管理することによって、唯一の公式見解を伝達していたが、一部の資本家がメディアを独占することを奨励し、それによって意見の選択肢を狭めることによっても同様の結果に近づくことができる。

これは「本土の安全」と言う考え方を全土に押し広げ、規制の網で覆うことや、そして経済的不確実性を背景にして、失業、基本的なサービスの縮小などに対しての周期的な警戒によって一般の人々の間に恐怖を浸透させていくことでも、さらに効果を加えていくことができる。

さらに、一党以外のあるゆる政党を禁止する代わりに、二大政党制を変容させる。それは一方の共和党のアイデンティティを根本的に変化させるのだ。

すなわち、穏健的な保守政党から、急進的な保守へ。

孤立主義で、海外への冒険に懐疑的な、露骨に赤字支出に反対する政党から、外国との戦争に熱狂的な政党へ。

イデオロギーや知識人と言うものに懐疑的な政党から、自前の知識人を養い、民主党を右派の陣営へ近づけ反論を封じつつ、国論を穏健なリベラルから圧倒的な保守へと変えるためのネットワークを支持するイデオロギー主導の政党へ。

ビジネスと政府の間に一定の距離をとる政党から、政府と企業の力を結び付け、科学の発展や技術革新による潜在的な力を活用する政党へ。(これはかつて大企業を一党の指導のもとに服せしめた、ナチスの福祉組織とは形態を異にする)。

 この結果、イラクに対して発揮されたテクノロジーの分野や予想通り戦後のイラク復興のための協約に狂喜乱舞した企業においてダイナミックな力はめざましく解放された。

「テロとの戦争」を制度化した時、ブッシュ政権は権力を拡大し、国内のアジェンダをさらに遠くまで推し進める絶好の原理を手に入れた。国内の資源を終わりなき戦争に振り向ける一方、ホワイトハウスは景気後退の中で減税を推進し、国内のプログラムには資源を不足がちにしたままにして置く。この効果は、市民層をますます政府に依存させるようにし、万が一改革を訴える政権が権力の座についた時のために金庫を空っぽにしておくことである。

アメリカ人は今容易な解決のない深刻な状況に直面している。おそらく今まさに独立記念はわれわれに次のことを思い出させるかもしれない―「あらゆる形態の政府は破壊的になったならばいつでも・・・」、異議申し立てをされなければならない。

 

(訳者:秋月誠仁)

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