I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

プロデューサーのすゝめ―出会いの可能性を求めて

Posted by Shota Maehara : 6月 28, 2008

よく人は、他人を評価しようとするときに長所と短所を挙げることから始める。これは一見もっともだが、実は人間の見方としてはあまりに浅いと言わざるを得ない。なぜなら、優れた人物であればある程、その人の欠点が長所と分かちがたく結びついて切り離せないことに気づくからだ。

例えば、ある事件が発覚すると、その会社の経営者を唯我独尊で独裁者のように振る舞っていたと批判するが、その実、力強いリーダーシップと直観こそがその人の魅力だったのではないだろうか。また、同じくらい優れた経営者でも能力よりも平等を重んじすぎる態度に対して批判が集まった場合、もしその分け隔てない姿勢こそがその人の最大の魅力だったとしたらどうだろうか。

いつも優れた人物を見て思うのは、みな自分自身の可能性を追求するなかで贅肉をそぎ落とし自分の中から彫刻作品を生み出していくかのようである。その過程で彼らの長所が増幅されてくると同時に、短所もはっきりとした形で表に現れてくる。

では、そのとき我々はいかに振る舞うべきであろうか。その欠点ゆえに彼らのもとを去るべきだろうか。でもそれでは一生誰かとともに働きともに生きてゆくことなどできないのではないだろうか。友人であれ恋人であれ出会っては別れをただ繰り返していくだけで本当にいいのだろうか。

おそらく自分自身の中にある盲点というのは絶対に自分が見ることのできない死角なのだろう。それはその人の強みと切り離せないだけに本人には見えにくい。だからこそ、それを認めた上で、互いが互いの欠点を長所で補っていく位の余裕が必要だし、簡単に関係を解消しない粘り強さが求められる。

さらにチームや組織を纏める上では次のような資質が不可欠だ。つまり周囲の状況に振り回されず、自分が第三の立場を確立して、優れた人と人の間でむしろ調整役(バランサー)となることである。なぜなら、どんな優れた人でも一人だけで生きていけるものではいない。むしろ優れた人であればある程、誰かもう一つの優れた個性を必要としているのだ。譬えれば、プロデューサーとはこういう役目をする人なのだろう。

世に完璧な人などいない。だから批判は後回しでもよい。それよりも相手の長所を見よ。また人と人の間で揺らがない第三の自己を鍛えよ。そして、次の世代に向けて人が活きる社会を作ること。これこそが日本人すべての使命ではないだろうか。

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