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Shota Maehara's Blog

第1部 チェーホフのドラマツルギー―人間の複数性について

Posted by Shota Maehara : 5月 29, 2008

left…実際人間は何かの偶然によって不本意にも悪の世界からこの人生に呼び出されたんですからね―『六号室』より

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフは、1860年1月17日に南ロシアの港町タガンローグで生まれた。それはロシアで農奴解放令が出される前年にあたり、まさにこの国が貴族中心の封建社会から市民平等の近代社会へと大きな転換点を迎えていた時代である。チェーホフの両親もまた農奴出身である。厳格な父親は雑貨商を営んでいたが、やがて破産し家族はチェーホフの仕送りに頼りモスクワの貧民窟で飢えをしのぐ生活を余儀なくされる。チェーホフは苦学して中学を卒業し、1879年に家族と合流してモスクワ大学医学部へ入学する。

そこでチェーホフは学費や生活費を稼ぐために通俗的な短編小説を雑誌に発表するようになる。こうして彼は徐々に作家への道を踏み出していくこととなる。若くして文壇に令名を馳せた彼を《生まれの卑しい幸運児》と呼び、彼の小説の無思想、無主義ぶりをあざける人もいたという。しかし、彼のこうした生い立ちと医師という職業、さらにのちのシベリア旅行の体験が、彼の独自な文学観を形成したことに注目しなければならい。

殊に、当時囚人島と呼ばれたシベリヤ大陸のサハリン(樺太)への受刑事情の調査は彼が自己の文学観を確立する上で決定的な出来事だったとされる。彼がこの旅行から得た確信は次の二つである。第一は、思想よりも事実への透徹した眼差しこそ重要であると認識したことである。彼はこの旅行の後手紙の中で有名な言葉を語っている―「概してロシアでは、事実の方面は恐ろしく貧弱なくせに、議論は恐ろしく豊富だ」。第二に、いわゆるトルストイ主義からの脱却である。トルストイの人道主義・無抵抗主義は確かに素晴らしいものではあるが、人間が生きるという根本的な事実を無視した空論である。人間はその悪もひっくるめて、その総体で人間であらねばならないからである。かくして、あらゆる虚飾をはぎとってあるがままに現実を描くことこそ文学の使命だという彼の独自な「リアリズム」(現実主義)はここに確立したのである。

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