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Shota Maehara's Blog

 武士道―文明と野蛮の逆説

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

士道 (岩波文庫)

武士道 (岩波文庫)

日本が日露戦争に勝利した後、明治39年(1906年)に岡倉天心は、英語で出版された最後の著作『茶の本』の中で、次のように述べている。

「・・・一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百 の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見做していた ものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国 と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。・・・もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(『茶の本』岩波文庫)

実は新渡戸稲造がこれに先立つこと明治32年(1899年)にやはり英文で『武士道―日本の魂』を著している。その「武士道」とは批判されている当の武士道よりも、むしろ岡倉の立場に遥かに近いと言える。そこで疑われているのは文明とはすなわち優れたものであるとする自明性である。西欧がアジアやイスラム諸国に行なっていることは文明の名の下に正当化しうるのであろうかと彼らは考えた。本書の中でも新渡戸は武士道の根本は平和主義であると言い切る。彼らの独自なポジションは日本の「外」から、一方で迫り来る西欧文明と、他方で良き封建的遺産を切り捨てて文明化しようとする日本とを同時に批判できることにあった。

そして何より新渡戸の視点が重要なのは、イギリスの封建制と日本の封建性との比較を通して、アジアの中で独自ともいえる日本文化を世界史の中に位置づけ、西洋との類似性を際立たせたことにある。つまり、それは中国やイスラムなどの古代文明の中心地から海を隔てた「亜周辺」(ウィットフォーゲル)と呼ばれる地域でのみ花開く文化・諸制度である。例えば、民主主義や資本主義はここからしか生まれ得ない。この1899年前後を境として、日本は世界の一等国としてナショナリズムを強めてゆく。かくして彼の世界市民的視点は見失われ、今や単なる保守主義の思想に祭り上げられてしまったのである。

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