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Shota Maehara's Blog

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』―根を持たざれば

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

激動のファシズムの時代を生きた、フランスのユダヤ人思想家シモーヌ・ヴェーユの生涯の思索と行動は、カントの道徳哲学の次の命題「他人を手段としてだけでなく、同時に目的としても扱え」に表された、他者をいかに「自由」(倫理)の主体として扱えるかというテーマによって貫かれている。それはつまり、全く考えを異にする次元の異なった二つのものがいかにして出会い、結びつきうるかを問題にしている。その過程で例えば、「対話」、「契約」、「交換」などに他者を自由と見做す契機を見いだそうとした。

そして、こうした考えの基に立った、労働を媒介にした個人の自由に立脚した社会主義運動の構想は、当時の右派・左派のどちらの運動の形態とも異質であった。かの地で彼女の思想がほとんど理解されなかったことは、社会主義の前提である自由主義がいかに西洋でも軽視されていたかが窺える。個人の自由を欠いた運動は、必ずや「村」的な構造(権力のピラミッド構造)に帰着する。それは結局社会から弧絶し、互いに慰め合いの共同体になる。それはだからと言って、極めて暴力的組織になる可能性を排除しない。

しかしヴェイユは同時に、仲間集団を作ることの人間の弱さ・醜さを愛を持って理解していた。彼女が晩年故郷喪失者として「根」を持つことを語ったことは、「根」への希求と不可能性を同時に味わった者の言葉として読まれるべきではないだろうか。

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