I am the vine; you are the branches

Shota Maehara's Blog

ウィリアム・モリス『理想の書物』―芸術は誰のためにあるか

Posted by Shota Maehara : 5月 28, 2008

エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で叙述したように、一九世紀末のヴィクトリア朝のブルジョア階級の台頭の裏で、労働者階級の生活は困窮化していた。貧しさから路上に投げ出される人の群れは日ごとその数を増していった。貧窮院は何の助けにもならず、むしろ強制的な労働を課されることを恐れて人々は収容されること自体を嫌った。チャーチスト運動以後やや下火になりつつあったイギリスの労働運動も今や再び盛り上がりを見せ始めていた。

こうした時代背景の中で、先行世代のワーズワースやシェリーといったロマン主義左派の流れを引く詩人・美術工芸家ウィリアム・モリスは、美術批評家のジョン・ラスキンらとともに、アーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれるモダンデザインの先駆けともなる新たな芸術運動を始める。かねてからマルクスの思想に深く傾倒していたモリスは自らの運動が、議会による改革を目指すフェビアン協会の社会民主主義路線とも一線を画し、J・S・ミル以来のイギリスのリベラリズム(自由主義)の伝統に依拠した独自な社会運動たることを同時に目指した。

それは複数の芸術家・経営者が個人の自発的な「契約」によって自前の小規模な会社をつくり真に働く喜びのある社会を取り戻そうとするものである。殊に彼らが理想とするのは高い技術に支えられた中世の職人たちのギルドであり、工場制手工業(マニュファクチャ)に基づく工房での協業と分業による集団制作の復活であった。それは近代以降の諸ジャンルの芸術家が社会から孤立してひとり黙々と創作することへの批判であり、同時に、工場で資本家の下で多量の労働者が集められ、機械の下に服従して生産が行われる産業形態に対する痛烈な批判でもあった。

しかし、アメリカの経済学者ヴェブレンが指摘したように、モリスらの労働者のための芸術による社会改良運動は極めて皮肉な結果を生んだ。つまり、モリスをはじめとするアーツ・アンド・クラフツのメンバーによる優れた美術工芸品の数々は一つ一つ手仕事で作られていたため希少でしかも高価であった。このため受注する仕事は教会建築の修復を除けば、そのほとんどは当時台頭しはじめていた生産に携わらなくても何不自由なく暮らしていける「有閑階級」(Leisure Class)と呼ばれる顧客によって賄われていたのである。

特に「有閑階級」と呼ばれる人々は廉価な機械製品に対して高価な手仕事の家具などを買うことが他人への見せびらかしのために大いに必要であったからである。これはイギリスにおいてすで大衆消費社会の萌芽が現れ始めていたことを意味する。かくしてモリスらの活動は、一方で、他人志向的な有閑階級のあくなき消費、他方で困窮しきった労働階級の過激化という社会の分裂と矛盾の間で引き裂かれてしまうのだった。

庶民から離れた「高級な芸術」に対して「民衆の芸術」の素晴らしさを生涯説き続けていたモリスにとってこの事実は苛酷であった。芸術家としての名声は高まる一方でも、実際に困窮する人々を救うことができない無力さを誰よりも感じていたのは彼自身であっただろう。こうした中で彼は晩年ケルムスコット・プレスと呼ばれる印刷所で中世の製本の再現の仕事にのめり込んでいく。芸術は社会とのかかわりのなかでいかにあるべきか。本書は彼がそのとき何を思い、そして何故彼の芸術が今日のわれわれをも魅了し続けるかの秘密をそっと示してくれるだろう。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中