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Shota Maehara's Blog

汝の敵を愛しなさい―マタイ福音書第5章44節

Posted by Shota Maehara : 4月 12, 2008

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かつて私の大学の英語の講義で、クリスチャンのことに話が及んだ。その時担当講師はふと教材から顔をあげて、「私は、クリスチャンではありませんが、時として出会うクリスチャンの中には人格的に想像もできないくらいに素晴らしい人がいるものです。」とつぶやいた。その時の表情は印象的だった。

今はもう彼の名前は忘れてしまったし、とりたてて彼の講義が素晴らしかったわけでもない。しかし、この場面だけは鮮明に記憶に焼き付いていて、何年もたった今でも、彼が出会ったこのクリスチャンがどんな人物だったのかと羨ましく感じながら想像の羽を広げてみることがある。

先日2005年に亡くなった教皇ヨハネ・パウロ2世がはやくも聖人として認められる可能性が出てきたとニュースで報じられていた。初のスラブ出身の法王として、彼は民族と宗教の和解のために過去にキリスト教が犯した歴史的な過ちを謝罪して回る旅に出た。そして、彼は人々から「空飛ぶ教皇」と呼ばれるまでになる。彼の巡礼の旅のルーツは、彼の幼少時代、第二次世界大戦においてナチスドイツによって、多くのユダヤ人の友人たちを亡くした体験であった。

恥ずかしながら私の認識はこの程度であった。しかし、教皇が1981年サンピエトロ広場にてファティマの聖母マリア記念日の行事に出席した際、トルコ人メフメト・アリ・アジャに狙撃され死の淵をさまよった。やがて手術が成功し、一命を取り留めた彼は、自らを撃ったこの犯人のいる留置場に面会に訪れたという。そして、数分の面会を終え法王はこう述べたと伝えられている―「私たちが話したものは、彼と私の間の秘密のままでなければならないでしょう。私は彼を許し、完全に信頼できる兄弟として話しました」。私は生れてはじめて新約聖書のマタイ福音書にある「汝の敵を愛せよ」という場面を目撃したような気がして強烈なショックを受けた。

確かに宗教は人を救いもするが、人を狂わせもする。だから宗教なんていらなくたっていい。もしかすると私の大学時代の英語講師はそう思っていたのかもしれない。だが、何かを回想するようにして、彼の口から出てきたのは先の冒頭の言葉だった。つまり、我々のように神の前で人格を高めようと努力することなく生きている人間ごときが一体何を言えるというのか。こうした恥ずかしさにも似た気持ちが彼のこころに一瞬沸き起こったのではないだろうか。たぶん私がこのニュースに接して身内にわき起こった感覚もそういうものだったに違いないからである。

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