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Shota Maehara's Blog

民衆芸術について

Posted by Shota Maehara : 4月 10, 2008

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芸術や思想は、民衆の生活の喜怒哀楽の中から生まれる。生活を営む民衆はそれ自体一種の知識人なのであり、他方で知識人もまた民衆なのである。やがて、その中から民衆の娯楽を「芸」にまで磨きあげ、それを生業とする独自の技能者が生まれてくる。これを「民衆的知識人」と呼ぶことができるだろう。

特に日本では、ヨーロッパや中国や韓国とも違い民衆と知識人が切り離されることなく、独自の共通した文化を形成してきた。たとえば歌舞伎、落語、相撲、華道、茶道、俳諧、戯画(漫画)などである。今日でも、欧米の知識人は、サッカーや野球やまして漫才の話をしないが、日本人ならばほぼ誰でもその話題で談笑できる。このことが日本の文化を語る上で大きな特徴となっている。

これは誠に驚くべきことであるが、こうした分厚い民衆文化が存在していることが日本文化の豊かさを証明する一因ではないだろうか。今後、西欧や中国の大陸における知識人偏重の思想・芸術をこうした周縁的な視点から問い直す必要が出てくるだろう。

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コメント / トラックバック2件 to “民衆芸術について”

  1. ヨン様 said

    韓国のテーマについても引き続き何か書いてください。いったい今韓国がどう変わろうとしているのか日韓のジャーナリズムからではよくわかりません。期待しています!!!

  2. 芸術や思想は、民衆の生活の喜怒哀楽の中から生まれる。それゆえ、生活を営む民衆はそれ自体一種の知識人なのであり、他方で知識人もまた民衆なのである。日本は、ヨーロッパや中国や韓国とも違い民衆と知識人が切り離されることなく、独自の共通した文化を形成してきた。たとえば西欧の知識人は、サッカーや野球の話をしないが、日本人ならばほぼ誰でもその話題で談笑できる。これは誠に驚くべきことであるが、これこそが日本文化の豊かさを証明する一因ではないか。これをもって、西欧や中国の大陸における知識人偏重の思想・芸術を新たに問い直す必要が出てくるように思う。

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