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Shota Maehara's Blog

 北一輝再考―社会の亀裂と皇国的社会主義への道

Posted by Shota Maehara : 4月 3, 2008

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1. グローバリゼーションと民衆の運動 

近年、グローバリゼーションに対抗する地方分権・デモクラシーの新たな可能性を政治と経済の両面から理論化する仕事を続けてきた。その考えは、ようやく「想像の共和国」としてまとまりつつある。本質的に国家理性の画一化・合理化に抗する民衆の運動は、ポリフォニック(多声的)であり、それゆえ政治経済の面では反国家産業主義的である。

また、本質的に歴史の多様性を重んじるという点において、それは反マルクス主義的である。なぜならば、マルクス主義運動は、現実から理論を検証し作り上げるのではなく、理論によって現実を裁断してきたからである。それゆえこの運動はあたかも国家官僚の如く、上からの指令によって思想や実践を統制するという愚を犯し、それぞれの土地に暮らす人々が何を望み、また日々の生活にいかにあえいでいるのかという基本的な事実から目をそらしてきた。

ただここで私自身考えておかなければならない点がまだ残されている。それは現下の教育・医療・福祉など生命の根幹領域への商品経済の侵食を防ぎ、民衆の自治を実現するためのヴィジョンを提示する一方で、もし万が一、私たちの社会が陥るかもしれない最悪の事態を想定して、これに備えておかなければ片手落ちになるということである。

では社会が陥る最悪の事態とは何なのか。その手掛かりとなるのは、イヴァン・イリイチの次の言葉である――「最善の堕落は最悪である」。この言葉を糸口にして、私は自分の描いた代替案の中から生まれ得る最悪のシナリオとは何であろうかと考え始めた。

2.ナショナリズムと社会主義の結婚

私の念頭を離れなかった懸念は、たんに国粋主義的な右翼でもなく、まして国家に反対する社会主義的な左翼でもない。むしろ格差や戦争を早期に終わらせるべくクーデターと結びついた愛国的な社会主義者の存在である。このナショナリズムと社会主義の結婚こそが脅威であり、その代表的な論客が昭和の二・二六事件を引き起こした北一輝である。

私は、最悪のシナリオとしてこれ以外の可能性を排除するつもりはない。しかし、もし私が考える道がいま現在提示し得る民主主義への最良の道であると自ら信じるならば、最悪のシナリオはこれを反転させたものとして徹底的に検証されるべきであろう。そして何よりの証拠に私自身が彼の思想にいわく言いがたい魅力を覚えてしまうのである。なぜなら彼の思想は左翼ならではの具体的な社会改良案と右翼ならではの暗殺という即時実行手段とを共に備えているからである。

3. 国家とテロの弁証法

歴史的に、明治維新は幕末の尊王論・尊王攘夷運動の強い牽引力によって生み出される。一方で為政者達はその力を利用して幕府を転覆させ、他方でその暴走を一定限度に食い止め、また表面上は排除することで、近代国民国家としての体裁を整えることに成功した。ある意味で、あらゆる国家は暴力によって生まれるが、成長の過程でその暴力からの出自を隠し通さなければならない。

しかし、自らの国家に運動体としての生命力を与えたものが自民族中心的且つ異民族排他的な皇国思想であり、それに突き動かされた人々の力であった以上それを完全に排除し去ることなどは不可能である。実際に、この思想的潮流は明治に社会主義者の幸徳秋水らに流れ込みそれを政府は大逆事件で処刑するも、昭和になって再び北一輝や大川周明の思想を生みだし、それに共鳴した陸軍将校のクーデターによる「昭和維新」(天皇の御親政)に結実するのである。かくして近代国民国家を生みだしたエネルギーは、それ自身を食い破るエネルギーにもなる。これら二つは同根なのであり、互いが互いを強化する関係ともなっている。

4.吾、皇国を憂うるがゆえに革命を欲す

さらに、ここには深刻な問題が横たわっている。それは、国体(=天皇制国家)を守り強化することで、グローバリゼーションがもたらす政治経済問題(人口、領土、食糧、エネルギー)に対処しようとして力をふるった人々が生粋の右翼ではなく、その多くが左翼からの転向者であったという逆説である。たとえば、北一輝はかつては幸徳秋水と交流のある社会主義者であったが、のちに急速に右傾化(転向?)して天皇の下で社会改造を目指すべく『日本改造法案大綱』を著した人物だと言われている。

歴史が証明してきたように、本当に現実を捉え得た思想は最良のものにも逆に最悪のものにもなりうる。つまり、それはもろ刃の剣であって、民衆の自治と生命の根幹を守ろうとする「想像の共和国」の構想もその道を一歩誤れば、北一輝の皇国の社会主義革命の出現を防ぐことはできない。実際問題として今後もし格差やテロや戦争の脅威が深刻さを増してくれば、世論はより民族主義的な立場から国家の教育・医療・福祉・軍事における機能不全を糾弾しようとする危険性は十分にある。そして次に現れるのはかつてとは違う衣装を纏った「国家社会主義」(=ファシズム)であろう。

そうした事態を食い止め、未来へ向かう希望はまだ残されているのかは私には分からない。ただもしこの事態を防ぎたいと思うならば、まずはこのいばらの道を誰よりも熟知することから始めねばなるまい。なぜなら、「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知すること」(マキアヴェリ)に他ならないからである。

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