イバン・イリイチの思想
Posted by Shota Maehara : 1月 16, 2008
われわれは未来をもたないということを知っておくことは、意味をもち感覚に訴えることばと明晰判明な観念を用いて思索や考察をおこなうために必要な条件だと思います。明日というものはあるでしょう。しかし、それについてわれわれが何かを言えるような、あるいは、何らかの力を発揮できるような未来というものは存在しないのです。われわれは徹底的に無力です。われわれは、芽生えはじめた他者との友情をさらに拡大していく道を探ろうとして、対話をおこなっています。そして、その場合の他者とは、自己の無力さや、われわれの結合された無力さをともに味わいうるような他者なのです。〔他方で〕ガイアについて語ったり、世界に対する責任を云々したり、それに関してわれわれは何かをなすべきであるという幻想を信じている人びとは、かれらを狂わせる気違いじみたダンスを踊っています。わたしは〔世界という全体を構成する〕一個の原子でもなければ、一個の美ではなく―こうしていまここにいるデイヴィッドという人物なのです。そうした不気味なエコロジーのダンスとは対極的なものを象徴する饗宴〔の雰囲気〕を生み出すことができるのは、このいまという時間を、できるだけそれを利用することがないことによって祝福しうるようなセンスです。つまり、いまこの現在を、それが世界を救うのに役立つからではなく、それが美しいものであるからこそ祝福しうるようなセンスです。そうした饗宴の場では、自覚的に、生命に対置されるかたちで、いきいきと生きることこそが祝福されているのです。―『生きる意味』p.422-3
コメントを残す